2026.10.01

HISTORY #02「たまり場」COLUMN_2『コーヒーハウス』|奥野薫平

ひとりで、あるいは仲間と、コーヒーの香りや音楽、食器の重なる小さな音、手元の小説に目をおとす…思い思いにひと時を過ごす場所ー京都にはたくさんの喫茶店やカフェがあります。お店それぞれに背景や大事にする部分(コンセプト)が違い、みなさんも「いつもの場所」や、「今日はあの場所へ」というように、気分や状況にあわせて選べる「わたしの場所」があるのではないでしょうか。
人々の人生のほんのひと時が交差する「たまり場」。そこにはどんな人のどんな人生があるのか…。
第2弾は京都の老舗喫茶店・六曜社の奥野薫平さんのコラム。人々が交差する場を開き、そこにとどまり流れゆく日々を見つめる店主の目線で「たまり場」について見てみましょう。






『コーヒーハウス』


 奥野薫平(六曜社店主)



-思想-
 食器が重なる音や新聞をめくる音にトースターがチンッとリズムを刻む。コーヒーに息つくひといきにホッとする瞬間もあれば、お客様の話し声やスタッフが励む声に賑やかな活気が生まれている時もある。はたまた逆に本を読む人や黄昏れる人の姿も伺えて、様々な時間軸と多種多様な人達が一つのハコを共有していることに心が躍る。そしてそのような空間を皆で奏でているように感じることから、私はその光景を「喫茶的オーケストラ」と呼んでいる。場合によっては「喫茶的ロック」なんて時も…(笑)。その人の人生の中で考えれば、ほんの一瞬かもしれないヒトトキが、訪れる人の分だけ連続し交差するのが喫茶店やカフェという場所。良し悪しでは言い表せない醍醐味や人間模様があるからこそ、数十分、いや数分かもしれない滞在時間にさえドラマを感じれるのだろう。そう思えば、私が見るカウンターからの景色には、人の時間や大袈裟に言えばその人の人生を預かってるかもしれないという責任を抱くほど沢山の表情を横目に日々を重ねている。そう、コーヒー屋というのは刺激的なのだ。

喫茶的オーケストラ/担当:カップと煙。


 そして、コーヒーという飲み物は時に主役になることもあるけれど、概ね自分と向き合ったり人と過ごす時間の傍らに置ける贅沢として脇役の役目を果たしているから魅力的なのかもしれない。その茶色い液体は、豆の個性としての味わいやブレンドすることにより生まれるハーモニー。BGMのように寄り添いその場を彩る香りと共に広がりをみせるから、私にとって「飲む音楽」という感覚なのだ。その音楽に想いを乗せるためにも、私はシンガーソングライター的な立ち位置、題して「マスターコーヒーロースター」として“焙煎/作詞・抽出/作曲・提供/演奏(歌唱)”を一環することを念頭にしている。農園まで作り、コーヒーチェリーを育てて生豆の精製に携わることまですれば、まさに本物の域に達する境地に辿り着くのだろうけど…、残念ながら私にとってその域は思い馳せるほど遠い道のりなのが現実である。

 それでも、一つのハコとされる空間(場所)を飛び回るような日常は積み重ねている。そう、喫茶やカフェの店内は世界のようなものなのだ。お客様のテーブル(国)一席一席で過ごすマナーには、それぞれの時間軸や好みがある。その、都度代わるルールのようなものを察知しながら、機微を持ってキャビンアテンダントのように旅を共にして居心地に繋げる。そうやって異空間と称されることの多い喫茶店やカフェの“セカイ”を一つの星と捉え飛び回りながら、また訪れたいと思えるような魅力を演出しているのだ。そう、その店内はまた舞台のようなものでもある。前提として、お店は店主(店側)のものでありながらお客様の場所というのが私の考え方にある。何でもかんでも需要やニーズに応えれる訳ではないし、提供や伝えたいこだわりがあるからこそお店はそれぞれの個性を発揮する。そして、それらとのバランスを取ろうとすることで、商いとしてお店とお客様の関係が構築されるのだと思う。喫茶店やカフェに関しては、単に飲食することが目的になるのではなく、どこでどう過ごすかが大きな付加価値になるためお客様が主役になるパターンが多いのだろう。店側はあくまで脇役の観点、コーヒーと同じだ。そうやって各々の居場所と感じ取ってもらえるように、時間と空間を守ろうとする感覚は、まさに監督でもあり総合演出家の役割のようなものだろう。だから内装や外観含めた店作りも大事。そして何より、そのようなモノコトに重要性を見出せているお店は、訪れた時に各々のお客様や従業員が演者のように輝いて見える時がある。そのような場所になれればきっと自分が足を踏み入れること、そこに加われるということは感動に近い感覚が味わえるのだと思っている。大切なのは、五感と共に質感や肌感といった感情を揺さぶる体験や経験をしていくことなのだと信じている。そして、それを経ていくことでお互いの立場以上の信頼関係が生み出されるのだろう。

店側とお客様が一体となるような六曜社という舞台。


 私自身は現在、コーヒー屋に携わって25年目の節目になっている。そんな中で、この仕事が当初から天職だと感じれて続けていくことが出来ている所以を一つ紹介したい。冒頭に記したように、カウンターの中などから眺める店内の景色には様々な表情と多様の時間が交じり合っている。そして、何らかのその時の自分の感情とリンクしてその光景が止まったかのようにスローペースに進み、目ではなく直接頭(脳)で映し出している感覚で俯瞰して身を置いてるような我を忘れた場面になる瞬間がある。そんな時に鳥肌が立ち涙が零れ落ちそうな感情が生まれ、そこからの時間は目の前に薄いガラスが張られたかのように繊細かつ脆い。現代で言えば、その場面でスマホのマナー音(振動)などの自分の理想ではない出来事が生じてしまったり、そこに身を置きたい自身とは裏腹にその客観的感覚が作業(業務)によって身勝手に引き戻された時にハッとして薄いガラスは割れてしまう。そうやって現実を目の当たりにすると、瞬時に何事もなかったように普段の姿に戻ってしまうのだ。私がこの仕事を長年続けていける理由は、そんな夢を見ているかのような尊い幻想のようなセカイに、いつ出会えるだろう。いつまた引き込まれるのだろう。と期待しながら日々を送っているからなのである。




-視点-
 1950年創業。祖父母が戦後満州からそれぞれ返ってきた後に落ち合い開業した喫茶店『六曜社』。家業となるその場所では、現在私の両親含めた従業員と共に汗を流している。そんな家庭で生まれた私は、幼少期からコーヒーを飲んでいた。勿論カフェオレ(ミルク多い目)がほとんどだが、クリームソーダなどに手を出すことがあまりなかった。職業柄か両親が喫茶店やカフェに足を向けることも趣味の一つだったため、自然と一緒に連れ回されていたのが事実。でも、今となっては感謝でしかない。これが現状を意図して狙われていたものだったのかの確認をしたことは無いがおそらくそうではない(笑)。更に、コーヒー屋巡りが多かったことで子供が遊ぶ場所に行く機会が少ないことにすら疑問を持たずして過ごした私は、むしろ楽しみになることも多かった。

 京都なら、昔から続く北野天満宮の天神さん(天神市)に行った帰りに『静香』に寄って、ウエハースが乗ったアイスクリームを食べるのが定番だった。親が遠方の友人と会う場合は『イノダコーヒ本店』で待ち合わせることが多く、その時に食べれる銀の器の蓋を目の前で開けてくれるナポリタンの提供の仕方には毎回興奮していた。毎年の正月(元旦)に祖父母の家がある南禅寺で家族の集まりをしていた頃は、帰り道で『はなふさイースト店』に立ち寄るのも乙だった。

 京都以外だと、なぜか神戸に行く機会が多かった。その際は『にしむら珈琲店中山手本店』に立ち寄ることが多く、当時アンティークなトレイに本日のケーキを並べたものを持ってきてくれて目の前で選べる演出に贅沢さを感じた。小学生時代の夏休みには、毎年親戚がいる東京に旅行にいく機会があった。ディズニーランドにも連れて行ってもらえたが、思い出は『味の珈琲屋さぼうる』『アンヂェラス』そして何といっても『大坊珈琲』の存在だ。コーヒーの味わいは大人になってから魅了されるのだが、当時はその伝説になった店を濃厚なぶどうジュースと共に堪能していたのだ。中学生になってから日本初上陸した『スターバックス』が銀座にオープンしてから足を運んだ際は、これまたそのオシャレさやエスプレッソを使用した飲み物に驚きを隠せなかったのを覚えている。雑貨なども展開して注目を浴びていた『カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ』を目指して鎌倉に向かった時は、その空間や雰囲気とメニューのラインナップにカフェカルチャーを初めて実感した気がしている。高校からは部活に明け暮れていったので、結果そこまでが家族3人でのコーヒー紀行になったのかもしれない。そして、大人になって自らのコーヒー屋巡りを再開してから印象に残っているのは、大阪の『丸福珈琲店千日前本店』や、鎌倉にある『カフェロンディーノ』。何といっても福岡にある移転前の『珈琲美美』に行けたことはコーヒーカルチャーを知るうえでは大きな体験になっている。

今では普段使いになった『はなふさイースト店』は早朝から深夜まで営業。


 高校卒業時点でプー太郎を選択していた私は、音楽の道に入り込もうとする。そして実際は何気ない何もない毎日の繰り返しのような一日の連続に焦りを感じ始め、お小遣い稼ぎくらいは自分で何とかしないとと探し始めたアルバイトが当たり前のように喫茶店だった。それでも今思い返せば、あの頃に自分を見つめ直す時間や感受性を豊かにするきっかけを作っていたのかもしれない。そして見つけた『(有)前田珈琲』にアルバイトとして入社できることになったのが、自身のターニングポイントの全てとして今に繋がる。私は社長(息子)の計らいで本意ではなかったのだが、創業者(父)の元でイチから珈琲道の“いろは”を学ぶことになった。そして、その熱心さと心意気に気持ちが動かされ、家業にも視野を向け始めることになる。その当時の前田珈琲は親から子へと代替わりをした転換期だった。街から地域へ、そして京都から全国へと飛躍と言える躍進を遂げていく姿には尊敬心を抱いた。そのような中でもヨソ様の飯を食わせてもらっている私に対して惜しみなくチャンスを与え続けてくれることにも感銘を受け、いつしか自分の家族のお店を守ることに目標を持つようになっていた。それでも社員からホールチーフ、店長職や催事担当の経験を積ませてもらっていく私は肌感覚で身勝手に葛藤のようなものが続いてしまう。その道半ばなタイミングで一度六曜社に入れないかと父に相談した時があったのだが、答えは“いらない”…だった。実はその当時経営難が続いていた六曜社には迎え入れる余地もなく、それは私のことを思っての判断でもあった。何も知らず現実を目の当たりにした私は独立へと思考を変え、そこからは前田珈琲への恩義を忘れずに背中を押してもらえるまで経験を積んだ。結果7年半の時を経て個人店を開業するまで成長させてもらえたことには、今でも敬意と感謝しかない。

 同年、繋がりのあった好きなお店の移転に伴い、居抜きではあるがメニューも含めて自身の理想を詰め込んだ『喫茶feカフェっさ』をスタートさせる。従業員やお客様に恵まれ、少しずつだか自分のお店のカラーが出来上がっていく日々を尊く感じた。近くが小さな商店街でもあったため、買い物等の微々たることだが地域貢献含めて町に根付くことも意識した。そうした中で生まれていく常連さんや、その繋がりから広がっていく過程を経験出来たことも重要だった。そして貧乏暇無しでも、お陰様で成り立っていく喜びの価値観は現在でも影響していると思う。勿論経営という現実には困難も多く、とにかく仕事に費やした月日は今でも忘れない。そんな毎日が改善せずいつまで続くのだろうと悩んでいた最中、同時期に父の入院で六曜社地下店の営業が数ヶ月止まることを知った私は、意を決して今度は祖母に家業に戻れないかと相談をした。そして、六曜社も経営の状態は変わらず藁にも縋る状況に、独立まで果たせていた私を迎え入れることにしてくれたのだ。一度は閉ざされつつも、いつかはきっと六曜社に携わりたいという想いが遂にこのタイミングで実現する。それは同時に自身のお店を畳む苦渋の決断でもあった。当初は従業員を成長させ、店長職を勤めてくれるような人材を育成してから家業に携わる店舗展開として漠然と想像はしていたのだが、その実力が無かったのも実際のところ。長いようで短かったかけがえのない経験は、3年半の年月でピリオドを打つことになってはしまった。

『喫茶feカフェっさ』という思い出。


 そこからは現在に至る六曜社での時間。長く続くこだわりや、曲げられない理念みたいなものを守り抜くためにも“変えない”を前提に携わりだしてからの役割は、今まで以上の想像を超えた大変さだった…。それでも自分が思い描いてきた目標の地に身を置いた覚悟と、蘇らせるという信念なるものが、時間をかけてでも店を守り抜く意地にもなっている。自分の経験と家族との価値観、従業員との理解の相違からの改善、そして高齢化による親族の引退という店側の問題。お客さんや時代の変化に、変わらず在り続ける意味と残す意義を探る課題。この六曜社での年月は、これからも続いていく過程にあるので、姿勢や行動で示すためにもここでは多くを語らずにいたい。だけど、今の六曜社に流れる店内の景色は、人々の心の中に訴えかけるメッセージ力がある空間になれてきていると自負している。後は、時代に流されるのではなく文化を作り上げていくつもりで、自信を持って一日一日の積み重ねを歩んでいきたい。

コーヒーは「飲む音楽」と想いを繋げたオリジナルカップ。





-文化-
 ヤギ飼いの少年が、赤い実を食べて興奮しているヤギの姿を見て僧侶に伝えたという伝説。そこから13世紀頃のアラビアで医薬品として、15世紀頃は中東、16世紀ではイスタンブールに世界初のコーヒーハウスが誕生し、17世紀にはヨーロッパへと海を渡りコーヒーハウスの文化が広がり始めました。日本では19世紀頃に長崎の出島に持ち込まれたのが始まりとされ、1860年頃の江戸時代に輸入が認められてから、明治時代に東京・上野に日本初の喫茶店がオープンしたとされています。

 高価な嗜好品として飲まれていたコーヒーは、1950年代の高度経済成長期からより身近な喫茶店ブームを巻き起こしました。脱サラをして人生を賭けて挑戦する店舗もあり、外観や内装にもそれぞれの個性が反映されます。その後、別ジャンルの営業形態が生まれ、多様性が見出されていく喫茶業には順風満帆な魅力がありました。しかし、長く続かなかった経済成長はバブルが弾け、そこから喫茶店も減少の一途を辿っていきます。社会も資本力が勝り外資も参入してくることで、日本の景色でもあった職住同居の姿も陰りをみせ始めました。専門職や職人という存在も商業的になり、個性ではなく安定的な供給が当たり前になっていったように感じます。それでも90年代に入ると、カフェ文化なるものが誕生しはじめ、多彩なドリンクや充実したフードを提供する発展を遂げていきます。チェーン展開やFC加盟、スタバのような外資系セルフカフェの参入もコーヒー業界としては光を放ちました。並行してスペシャルティコーヒー協会が、農園を軸とした生産地を支援してクオリティを上げること。そして、コーヒー豆や液体としての評価基準も定めて価値を作り高めることによって普及が加速していきます。その前兆が、コンビニで手軽に本格コーヒーが楽しめるようになったことであり、スタンドというテイクアウト主流のスタイルが確立されたこともその象徴ではないでしょうか。それでも、日常に溶け込んでいくコーヒーのセカイに期待は持てても、生活は格差を生み続けているため、個人店の継続は厳しさを増しているのが現状です。

魅惑的な液体に結びつけるための珈琲焙煎。


 時代も個性を輝かせるよりかは、マニュアルやルールを作り、守りを固めるこで安定的な基準を作り出していってるように感じます。いつからか“早い・安い・旨い”を売りにした食券スタイルから、今では当たり前のようにタッチパネルの注文で利便性と効率を生んでいます。セルフ形式やキャッシュレスは、人と接することやお金の重みを感じる重要性を省き簡素化されていく。アナログはデジタル化によって、人の手を介し生み出す力と触れる機会を減らしました。コミュニケーションは画面越しの交流が増えグローバルに展望。更にAI時代に突入した現代は知識やデータに支配され、システム化され、感情ある人間の価値を削ぎ落としているようでいたたまれません。便利になることは何も悪いこではありません。必要とされる場所や物事も沢山あるのは理解しています。だけど、進化が早すぎて時間軸さえ変化している背景に、生み出した一部の人間以外が着いていけてない世界全体の様子は、今の日本の政治にも言える局面に立っているのではないでしょうか…。以前はもっと、人と会うことや時間に対しても相手を思いやる配慮が充満していたように思う。個人を尊重しすぎて、向き不向きで次へ次へとリスタートしながら居場所を求める感覚は、私は成長の速度を止めているように感じてなりません。ダイヤの原石が元はただの石ころのように、良し悪しを通り越して自分を高めていくことで磨かれ形が整います。そして、やり続ける中で成功や失敗を経て得るものから、諦めずに成し遂げていくこで他から評価されて輝いていくものではないのでしょうか。いろんな選択肢が増え充実し、多様な可能性が溢れて幸せなようで有り触れていてるだけの現代に、逆に物足りなさを感じている人も少なくないと思います。だからこそ、特性ある人や特長ある個人店のような存在が輝くサブカルやアンダーグラウンドといったインディーズなセカイに身を置く価値を、小さいかもしれないコミュニティーの輪で少しずつ自信を持って繋げて広大にすることを目指して、再び資本力ではない心の豊かさとなる富を与えていく役目を担っていきたいと本気で思っています。それは整っただけの綺麗さではない美しさのあるカルチャー。それを、私はコーヒーを介して“止まり木” や “やすらぎ”の重要性と共に、喫茶店のマスターとして人と関わっていきながら実現したい。叶わなくてもいい、だけど何かしようと思うことは誰にだってできるし平等だと思う。きっと、今一度顧みる必要性のある人間社会に突入してしまっている。答えは簡単に見つけれるものでも拾うべきものでもないはず。だから、正解のない物事や人生に自分なりの答えを示すことが重要で、そこにたどり着くには遠回りしたっていいと思う。その方程式のような過程を自ら導き出すことが重大かつ糧となり全になるのだから。

 いつか自身の足跡を振り返る機会に、“あ~、あんなこともあったな”と笑える自分になれていたら幸せなのだろう。これからもしロボットが涙を流す時代が来てしまっても、私達は人の目を見て向き合い、人となりを理解して過ごしていく力を持ち続けていくべきなのだろう。

六曜社は、いや喫茶店は…、揺るがない。

六曜社がある河原町三条と人の波。



画像はすべて奥野薫平氏提供。

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奥野薫平 おくの・くんぺい
六曜社珈琲店 店主。
1983年10月2日/京都生まれ京都育ち。
ウルトラマンや漫画家になりたいと夢見た幼少期。小学3年生から高校卒業までは野球小僧。限界を感じて、高校卒業後はフリーターを選んで音楽の道に触れる。
平行して2002年6月からは「前田珈琲」にアルバイトとして入社し社員を経て修行時代を過ごす。2009年末に東山の古川町商店街横で「喫茶feカフェっさ」を独立開業。2013年夏に家業に転身し、2018年春に代を継いで法人化「株式会社 六曜社」となり代表取締役に就任して現在に至る。
コーヒーの可能性を信じて多目的に繋げる六曜社のセカンドライン「6448 COFFEE + ESSENCE」の展開も行いながら、自店だけではない喫茶文化について探求・継承を担う。生涯現役を目指し、マスターとしての役割と存在を磨き続けている。


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