2026.05.06

HISTORY #02「たまり場」COLUMN_1「箱鳴」|吉田省念(シンガーソングライター)

京都盆地 - まち自体がひとつの閉じた空間であり、常に人や情報が出入りする開かれた場所でもあり。古くから住む人、ほかの国やほかのまちからやってきた人。子ども時代、青春時代、壮年時代 … 通りの辻々に人や時間が交差するまち・京都。声や気配が空気を揺らし、空間を揺らし、心に響く。
人々がひと時、あるいは長く、そして何度でも、場所と時間を共有する「たまり場」。それはどんな場所で、どんな時間がそこにあるのか…。
第1弾はシンガーソングライターの吉田省念さんのコラムです。





「箱鳴」


 吉田省念


2025年12月10日、京都市京セラ美術館の中央ホールで、細野晴臣とキセルのコンサートを鑑賞した。
音は16メートル高さのある天井隅までスペクトラム状に放射され、耳が傾く。
「箱鳴」に追憶し文章を書き出した。

中央ホールは、旧京都市美術館において大陳列室という展示スペースだった。
そこは僕にとって幼い頃から馴染みがあり、美術を志す両親の活動現場だった。
1980年3月14日、京都市美術館で開催されていた「アンデパンダン展」に
父・ヨシダミノルと母・荒木みどりは「きりこときこりの生涯」という作品を出品。
毎日の様に館に赴き作品と同化していた、その会期中に僕は産まれた。

「きりこときこりの生涯」展示模様


「アンデパンダン展」1980年DM


「きりこときこりの生涯」コンセプト文



抽象画家から始まり具体美術協会と共に60年代を経て、1970年からニューヨークで過ごしパフォーマンスアートに目覚めた父は、帰国後母と出会いパートナーとなった。
アトリエ兼住居である「大空ライブ美術館」と命名したコンクリートの「箱」の様な建物と、
生活空間をも持ち込んだ展示会場という非日常の空間を往来する両親のもとで僕は育った。
インクラインを抜けた山中にあるアトリエは1964年に父が設計した建造物で、制作中の作品と過去の作品に埋もれながらも生活がその中で進行し、パブリックとプライベートの混在そのもの。
日常生活を送る中でも別の感覚値へと誘うヒントを得れる空間だった。
窓からの自然光は絵画の色彩を絶対化し、60年代のアクリル作品は裏山で自然に回帰できず透明度を増してゆく。
ひぐらし鳴く夕暮れには父のピアノと母のバイオリンの即興演奏が鳴り響き、年中制作の美意識が充満した空間だった。

1985年のアトリエ風景


自覚して両親のパフォーマンスに参加したのは、1988年京都大学西部講堂のアレンギンズバーグ来日講演の前座だった。
僕は「うさぎうさぎ」をハンドマイクでアカペラ。
大人達は座り、漆黒の静寂な講堂に反響する自分の声を覚えている「箱鳴」体験。

中学に通いだし出会った友達と古着が好きになり、その流れで洋楽を聴く様になり何となくバンドをはじめ、ロックミュージックを教科書にエレキギターに明け暮れた。ギターアンプの「箱鳴」
ある日アトリエの隅にあった謎の部屋の存在を思い出した。
そこは父が渡米中に音楽スタジオとして外部の誰かが作ったスペースで、当時はカビと埃の充満する物置化した部屋だったが、そこを練習場として再生させてゆき、今だにレコーディングスペース兼アトリエとして活用している。
同時期に父と交流のあった京都のロックバンド「村八分」のチャー坊が、本腰をいれるきっかけとして僕に半年の約束でレスポールを貸してくれた。
そのひと月後に彼は帰らぬ人となった。
亡くなる直前、十字屋でチャー坊に会った「ビートルズもええけどストーンズもええで」というのが最後の会話。
約束の半年が経った日、チャー坊の兄に連絡をしギターを返す申し出をしたけれど、
弾いてあげた方がギターが喜ぶという理由で譲り受ける事になった。
今となればそのギターが京都の不思議な世界の門を開ける鍵となり、脚を踏み入れると、面白い出来事や人との出会いが本流だけで起こるのではなく、少し淀みのある支流に現れるという価値観の目覚めになった。

チャー坊のレスポールを弾く16歳の僕


90年代、鴨川に行くと橋の下に二十代の女性が暮らしていた。
彼女は音楽好きで、いろんな体験談を話してくれた。笑い声が橋の下で響く街の「箱鳴」
先斗町歌舞練場の前、バスキングするギター弾きのブルースが街角にひっそり響くあの角。等間隔で河原に座る恋人達は、目の前の川が響きをなくし囁きあい、きぬ着せぬシリアスは川が流してゆく。
かと思えば、朝方の哲学の道から南下する南禅寺への静寂。伽藍の商店街には拍子木が響き、リズムの取り方と移動速度がアーケードのレゾナンス。夏が近づけば、お囃子の練習が聞こえてくる碁盤の目は、霊界との交通整理。
部屋と街との往来がデスクワークとフィールドワークの交互だと受け取れるようになると、コンパクトに整ったバラエティ豊かな街だと気付く。丸太町通りを東西、鴨川を南北のガイドにし街乗り自転車で駆け巡り、喉が乾けば疏水記念館の冷水機で潤した。
MTR(多重録音機材)を小脇に21世紀を迎えた頃、街はずれの運送会社の夜勤アルバイトをする。
小さな守衛所で朝まで伝票整理をする傍、そこにあったラジカセで深夜2時台の日本の歌心の歌を聴くのが楽しみだった。
昭和10年代の骨太なスウィングに魅了されノスタルジーの勉強部屋となり、宇宙空間に守衛所が漂う気分を味わった。
それを機に市内に賃貸を借りた。つげ義春様式に基づく部屋選びは、風呂無しであってもパラダイスで不安なんて何もなかった。

初めて借りた下宿。僕以外の住人は外国人で、汲取に風呂なし。家賃はなんと5千円。


「箱鳴」は中空間の音の反射、定位(Localization)と位相(Phase)は四畳半から大陳列室まで同じ物はなく、低音が隅に溜まるように淀みも生まれる逆位相。
俯瞰してみると街にもバイタリティの「箱鳴」があって、京都は歴史という要素がそこに加わるだろう。盆地の小さな街で人との距離感を気にせず、ゆるいタイムポケットに落ちず郷をクリアし、独自の路線を発見したいものです。


両親と弟と4人でいる事を「現代家族」と命名し、旧京都市美術館大陳列室でライブパフォーマンスをしている


二十代半ばにフリーランスの広告デザイナーの手元についた。その事がMTRからMacに変化してゆくきっかけとなり、
紙媒体からWEB媒体に移行していく過渡期と宅録(DTM)を同時に体感できた。
友達に渡すカセットテープやコンピレーションCDRをジャケット作りの実戦も踏まえて練習し、作品を自分でパッケージする楽しさに気付いた。今で言うZINEの様な物を、自分の描いたイラストや詩、オリジナル18曲入りCDRが付録に付いている冊子を手作りで装丁し友達に配った。コツコツと小石を拾い集め積み架空の石彫を建てる様に、アルバム制作の段階(Phase)を経てゆく楽しさ。
作品を作るデスクワークとそれを持ってライブ会場に演奏しにいくフィールドワークに変化してゆく。
その頃十字屋で、Martin社1964年製のOO-18という小ぶりなアコースティックギターに出会った。
海を越え、演奏者を渡り半世紀の時を経て僕の手元に訪れたギターは乾いた木の「箱鳴」そのものだった。
自分の詩をのせて歌う事を許される道具と出会った、今度はそのギターが自分の心の門を開ける鍵になった。
ギターは自分のお気に入りのサウンドを「箱鳴」として何処にでも持って行ける最高の道具だ。

2022年パンデミック最中、動く事へのプレッシャーを逆手に東京に定借の部屋を借りた。
東京にいると京都を考える、同時に訪れるダブルフィールドワーク。
古いビルの5階でアルバムを制作した。良い「箱鳴」に出会えた。
関東平野に風が吹き、どこまでも続く鉄塔の高圧線と電車の走る音。
16:30になると街に鳴り響くアナウンスがこだまするドップラー効果も京都では得られない箱鳴体験。
年齢的にも初の上京は良いタイミングだった、元ある東京の自然みを公園や地形、風にも感じ得る事ができたのだから。
街小屋の「箱鳴」

街小屋からの風景


2023年にリリースしたセルフタイトルの2枚組LP


ライブハウスやcafe、Barの片隅、書店やレコード店、電車の中、ギャラリーや美術館、至る所で発表する機会与えてもらえる事は本当に幸せな事である。
と同時に、場所によって響き方が違い、実体のない音は耳に人に届くまで時差も生まれ続け
ギターを鍵に開いた門の行末は何処に向かうわけでもないが、尊敬できる同業者と先人、音楽仲間たちと世代や国境を超え出会う事ができる「箱鳴」の喜び

音楽家としてどれだけ自負があるかと問われても、自信の無いデラシネであって良いと思ってしまうし。
答えが出るかと問われても、解けないのが継続の秘訣なのでは?とはぐらかしてしまう。
そんな性分で良くやってるな、なんて考えながらインクラインの枕木をヒョイと渡りながら散歩し、蹴上の発電所を見るのが好きだ。
建造物は集中できている時のデスクワークの様に聳(そび)えていて。
ねじりまんぽ 浄水場と原風景から鉄塔 ビル 夜も働く誰かしらオフィスの電灯に至るまで。
音楽制作は発信する事だけでは成り立たず、聴くことに始まり演奏をし、道具も調整し続ける。
それだけでも時は泡沫になってしまい、途轍もなく高速な時間軸に立っている様に感じる。
時間をマテリアルにするが故、多動的に立ち向かわなければ成し得れないせっかちな職業とも言える。
生業とはそもそもそういうものだし、これからもっと音の本質に迫りたい。
体験1 地点とし0地点からの経過を記憶媒体とし、想像力を掛け合わせ、演奏という可動を経て肉体を通過し、形成される音には人間の「箱鳴」が聴こえるのではないだろうか。

2026年ねじりまんぽにて










吉田省念  よしだ・しょうねん
ギター演奏を主軸にシンガーソングライター、音楽活動を続ける。
ルーツミュージックからアバンギャルドまで多岐に吸収し、作り出す音に「絵心的」なものを求める。
2000年京都の美術短大洋画コースを卒業後、宅録音源付きイラスト詩集「月刊ナイフ」を制作。これを機に発展し自主レーベル[SONOS Records]制作発表を行うようになり、これまでアルバム7タイトルをリリース。
作中で必要な音は出来るだけ自ら手掛けてみたいという探究心からマルチな楽器演奏、編曲やアートワークに至る構成力と触覚値を学ぶ。
稀少な仕事仲間と音楽の枠を超えた偶然性、必然的な出会いに恵まれ共演や制作に至る。
2014年から続ける京都・拾得での定例ライブ「黄金の館」は120回を突破。
2026年3月には「爆発的凝縮」と題したフリーライブを横尾忠則現代美術館ロビーで開催した。
www.yoshidashonen.net
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