2026.04.07

坂本 森海_column2「我が家のカレー」

「今日カレーだよ」
と母から言われた日にテーブルの上に出てくるのはナガカレーであった。強烈に発酵した筍の匂いと熟成に熟成を重ねた納豆の香りが家の中を満たすと、脳裏にうっすらと断片的なナガランドの記憶が蘇る。

確か小学校4年生の頃、家庭科の授業でカレーを作る実習があり、うちではカレーにチョコレートを入れるだの、はちみつを入れるだのと友達から教えてもらった。そもそも我が家は学校で基準とされている市販のルーすら使わないので隠し味どころではないのだが、うちのカレーはナガカレーだ!!と言っても、なんというか学校には通用しないだろうと思い、適当に話を合わせた。

あの頃、説明してもどうしようもないと思っていたナガカレー及びナガランドについてのお話しをしたいと思う。
ナガカレーとは、インド北東部ナガランド州の料理である。

ナガランドは、皆さんがインドにあると聞いてもすぐに思い浮かべられないような場所に位置している。バングラデシュやネパールよりも東の飛地であるセブンシスターズと呼ばれる7つの州の一つ。ミャンマーとの国境の山岳地帯に現在約17の少数民族が暮らしており、総称してナガ族と呼ばれている。人種もモンゴロイドで、日本人と顔がそっくりだ。

そのナガ族がつくるカレー。カレーと呼ばれているため、スパイスの効いた本場のインドカリーのようなイメージを持たれる方もいたかと思うが、マサラ系のスパイスは一切使われていない。
代わりに納豆や発酵たけのこなどの発酵食品やとてつもなく辛いナガチリと呼ばれる唐辛子が使われている。

母がナガランドへ訪れたときに振る舞われたナガカレー


なぜ場所も文化も人種も異なる少数部族たちがインド人なのかというと、ナガランドの隣にはアッサム州という紅茶栽培で有名な平野があることから分かるように、ナガランドも含めて19世紀にイギリスがインドとして植民地化したことが始まりで、インドがイギリスから独立する際にナガランドもそれぞれの部族たちが結集してインドからの独立を宣言するも、インド政府軍との長く激しい武力衝突があり、現在は休戦中という体をとっている。日本も実は無関係ではなく、第二次大戦時、イギリス軍と日本軍がナガランドの首都コヒマで衝突した歴史もある。

コヒマの山の上には、かつて日本軍が掘った塹壕が残されている。


さて、ではなぜ我が家でそのナガカレーが登場するのかという話なのだが、私の母は1995年に社会評論社から『ナガランドを探しに』という本を出版している。

母が大学を卒業したばかりの1988年、インドやネパールにバックパッカーとして旅行していた旅先で、ナガの反政府組織のボスでネパールに亡命中であった、一人のナガ人『アンクル』と出会い、もう一つの家族と呼ぶほどに親密な関係となった。母は、アンクルや組織の部下たちとアジトで共同生活を送るうちに、当時外国人の入域が規制されていたナガランドへ密入国することを決断する。この本は、その旅の後も続くナガランドとの交流を綴った紀行文である。

『ナガランドを探しに』坂本由美子(社会評論社、1995年12月発行)


研究者でも文筆家でもない母がパッションだけで書いたこの本は、後に結婚し私の父となる男との喧嘩から始まるような、恥ずかしいほど赤裸々で等身大な文章だが、読みやすいし、おすすめしたい。とっくに絶版ですが、インターネットで古本販売があったりするので、ぜひ。

実は私も、小学校2年生から3年生になる春休みに、母と姉と一緒にナガランドへ訪れたことがある。
はっきり言ってほとんど覚えてない。アンクルはもう亡くなっていて、妻であるアンティと親族たちが暮らす家で過ごしたり、甥っ子や親族の子供たちに遊んでもらったことは覚えているが、かなり断片的な記憶だ。

しかし、ナガカレーを食べると、その時の記憶がナガランドの空間ごと思い出されるというか、断片がはっきりしてくるのだ。

朝は井戸に水を汲みに行ったり、山の上で初めて会った同じ年頃の子供と一緒に自転車のタイヤを転がして遊んだり、調理にも農業にもなんにでも使うナガランド独特の刃物であるダオをもらったり、会うナガ人会うナガ人に抱っこされたり、辛いナガカレーは食べれないから、アンティが自分のために辛くないナガカレーを作ってくれたこと。

滞在の時間はおそらく1週間か2週間ほどだったにもかかわらず、その断片的な記憶は色濃く、ナガカレーの香りや味と共に、身体に刻まれている感じがする。

話は少し逸れるが、最近気づいたことで、SNSなどで懐かしいと感じる画像を見たときや、よく好んで聞いていた音楽に、ほんの一瞬だけジワリと味のようなものを感じることがある。これはもしや私に与えられた特別な能力なのではないか?もしかして天才?共感覚ってやつかもと思い、興奮気味にChatGPTに聞いてみたのだが、残念ながら共感覚ではございませんとのことだった。

人間の記憶は、視覚・嗅覚・味覚・感情がバラバラに保存されているわけではなく、一つの塊としてネットワーク状に保存されており、視覚的な刺激だけでもその記憶の塊が再起動されうるら
しい。また、嗅覚は脳の中で記憶の器官である海馬と感情の器官である扁桃体に近い位置にあるので、懐かしさが匂いとして感じられる人は多いそうだ。

いやちょっと待って、私の場合は匂いというよりは味に近いような感じがする。正直匂いを感じていると言われればそうなのかもしれないくらい曖昧だが、匂いというには少し物足りない感じがする。

ChatGPTは丁寧な言葉の裏に何かを込めている様子で、とても鋭い感覚ですねと言った。
味というのは、味覚だけでなく、触覚や嗅覚、温度や湿度など感覚を複合して知覚しているもの。そして、何かを記憶する時には、見ることや聞くことだけではなく、匂いや気配、時間や心理状況、その環境のすべての状況を身体が記憶している。あなたは、思い出しているというより、その時があなたの身体に戻ってきているのではないですか?

的なことを言われた。終盤ややドラマチックだったが、なるほど、なんとも言えない懐かしさは、私の体が無意識に知覚していた環境が複合的に思いだされて、その複合さを意識する時に、味と誤認していたのかもしれない。

身体が覚えているという言い回しは、当たり前とは言わないまでもどこか聞いたことのあるような表現ではあるが、自分の意識とは全く無関係の記憶を、身体が持っていることを今まであまり意識しなかったなと思った。

気づいたらナガランドの話から飛躍してしまったが、次回のコラムでは、みなさんお待ちかねのナガカレーのレシピを大公開しようかなと思う。







坂本森海 さかもと・かい
陶芸家/美術家。長崎県出身。1997年生まれ。小さな町の山の中腹に実家があり、神社と霊園に挟まれた森の中で過ごす。幼少期は落とす相手を一切考えずにただ落とし穴を掘ることに夢中で、そのすべての落とし穴には父が落ちていたが怒られることはなく、のびのびと育つ。
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