ズザッ… ズザッ…
…ジャリ …ジャリ。
前を歩く小柄な女性とは歩幅が合わず、足を止める。
雪山を歩く際には先に歩いた者の足跡をトレースするのがセオリーだ。
しかし20cm以上も身長差があれば、合わないのも当然だ。諦めて再び歩みを進める。
彼女の名は井上亜美、先日まで
京都芸術センターにて個展を開催していたアーティストだ。今は肩に銃を担ぎ、こうして僕と共に雪山へと猟に繰り出している。
2月。京都市内とはいっても北山には驚くほどの積雪があり、昔いくつもの氷室が作られていたことも納得できる。僕たちは今、貴船から芹生にかけての峠にいる。
積雪が膝を超えると歩行は途端に辛くなる、膝頭を抜くのに足を持ち上げなければならず、余分に体力を使うためだ。僕ですらそのような状態だから、先を歩く彼女はもっと前からそうなっていたのだろう。
ズザッ… ズザッ…
…ザッ …ザッ …ザリ
再び歩みを止めて前方を見やると、やはり彼女も苦労しているようだ。ましてや彼女が連れる猟犬はすでに足が完全に埋まり、ウサギの様に飛び跳ねて移動している。もはや歩いているというよりも、泳いでいる方が近いかもしれない。
狩りを行うには、猟犬を使役する。
猟犬は獲物を追い出すという重要な仕事を任されている。犬を導き獲物を追い出す勢子(※1)、追い出された獲物を射獲するタツマ(※2)と共に三者三様の役割を全うして始めて猟果に与れるというものだ。獲れた獲物を配分する際には、昔から猟犬も一人分と計算することでもその重要性の一端がうかがい知れる。新人の勢子やタツマは文字通り半人前しか分け与えられないというのに。
今日の狩りにおいてもこの子たちは良い仕事をしてくれるだろう。3か月間の短い猟期に使役するために1年間毎日面倒を見るのだ、頑張ってもらわないと割に合わない。
「お前たちもずっとただ飯を食っていちゃあ、気が引けるってもんだろう?」
珍しく山で言葉を発した僕に、前を行く彼女が振り返る。言葉には出さずに、何?どうしたの?と問うてくる。僕もただ首を横に振る、何でもないと。
山では無駄な話はしない、声も物音も。できる限り静かに行動できれば、それだけ狩りには有利に働くからだ。狩りにおいては静かに行動できることも、それだけで技術となりえるのだ。
再び尾根を目指し雪山を一歩一歩進み始める。
ズザッ… ズザッ… ズボッ。
雪の下に隠れた倒木の隙間だったのか、彼女が大きく足を取られる。見れば足を取られた側の脇腹辺りまで雪に埋もれている。それでも何事もなかったかのように手を着き、足を引き抜いて再び歩き始める。
彼女が声を出すわけでもないし、僕も声を掛けるわけでもない。
雪山での日常がそこにはある。
いつものことなのだ、歩きやすい道などない。
獣とそれを追う猟師だけが使う道。それでもよく使われる獣道は太くなるし、踏み固められて歩きやすくなってくる。こうして原始的な道が生まれるのだろう。
そんなふうに考え歩いていると、 …彼女がふと足を止めた。
「ここ、新しい足跡。入ってる。多分鹿。ひとつ。」
聞き直さないといけないくらい、小さな声で彼女が言う。自分で確認を取るように、その足跡から目を離さずに。
※1 10名前後の猟師で行うグループ猟の中で、自らの声や猟犬を使用し山の中から獲物を追い出す役割を担う者。
※2 下調べした獣道に銃を持って待つ猟師。山の縁にて勢子や猟犬が追い出した獲物を射獲する。
>>> 大道良太_Column 2「勢子」
>>> 大道良太_Column 3「猟欲」
大道良太 おおみち・りょうた
1979年京都市生まれ。2002年京都精華大学人文学部卒業。日頃、自動車整備士や養蜂家として働きながら、狩猟をおこなう。
京都府猟友会の支部長を務める父の下、京都北山にて伝統的な巻き狩り猟を5年間修行したのち、猪犬を用いた単独猟をはじめ、全国で狩猟の見聞を広める。大日本猟友会狩猟指導員、京都府緑の指導員などを兼任。
おもな活動に、環境省主催「ビギナーのための狩猟講座」メインコメンテーター、総合地球環境学研究所「熱帯泥炭社会プロジェクト」植林地害獣捕獲アドバイザーなど。論考に『犬からみた人類史』(勉誠出版、2019年)がある。
Profile photo by Ami Inoue