presented by KACCO
京都市文化芸術総合相談窓口(KACCO)と
HAPSは、2021年夏、アートマネジメントの現場でのトラブル事例を共有し、その予防策や解決方法を検討する非公開ワークショップ(以下、ワークショップ)を実施しました。ワークショップには、主催者や依頼者とアーティストの間の調整役となることが多い、アートマネージャーやコーディネーターなどの方々に参加してもらい、双方の立場でのトラブルについて、経験したり見聞きした事例を共有していただきました。それらの事例に対し、アドバイザーとして参加いただいた三輪晃義弁護士からは、お互いが予め確認し合意しておくことの重要性や、どのように合意を形成するのかということなど、「契約」について初歩から理解することの重要性が指摘されました。これを踏まえて、同年秋には、オンライン講座:事例から考えるアートマネジメント「アートの現場における契約の知識」(講師:三輪弁護士)も開催しました。
本稿では当初、ワークショップと講座をふまえて、誰でも使えるような契約書のひな型などを作成して公開したいとも考えていました。しかし、契約について知れば知るほど、契約書に唯一の正解はなく、汎用性のある文言でひな型を示す難しさを理解しました。契約書というのは、双方が希望を伝えあい、調整し、合意した内容を書面に記録するものです。調整の結果、ある部分で譲歩する代わりにその他の部分でよりよい条件を盛りこんだり、絶対に譲歩できない部分をこだわり抜いてその他の部分で譲歩することもあります。契約書のひな型を公開したとしても、それを契約についての基本的な知識のないまま流用すれば、希望を伝えあって調整して合意するという「契約」の機能を失わせることになります。また、気付かないままに自分に不利な契約を結んでしまうという事態も起こり得てしまいます。
そこで本稿では、まず契約書の理解の前提として、ワークショップであげられたトラブル事例や、講座での三輪弁護士のアドバイスを踏まえて、アートマネジメントの実務に携わる側から考える、契約書での確認点や予防点などをレポートとして紹介したいと思います。
将来のトラブルを防ぐために
講座では最初に、契約とは法的な拘束力を持つ約束だということを学びました。口約束でも、メールでも、SMSでも合意した内容が記載されていれば契約として有効であるということです。書面が「契約書」という名称でなく、「覚書」や「確認書」というタイトルであっても、双方が合意したことがわかるものであれば契約の証になります。メールやSMSのやりとりでも、双方が合意した内容が記載されていれば、契約の証拠とされる可能性があります。
そして、「契約が成立する」ということは、”契約を守らなければいけない”という法的な義務が双方に発生することを意味します。どちらかが自己都合で契約関係を離脱することはできませんし、どちらかが契約を守らない場合には、契約に従って義務を実行するよう請求することができます。それでも契約が守られない場合は、裁判所に訴えて強制執行をするなど法による救済を受けることができます。ただし、契約書を作らずに口約束しかしておらず、証拠が不十分な場合は裁判で勝訴することは難しい場合がありますし、裁判にはそれなりの費用と時間と労力がかかります。これらのことを考えると、契約書を作成して事前にトラブルを予防しておくこと、将来の紛争の芽を摘んでおくことは、双方にとってメリットがあると言えるでしょう。口約束でも契約であると先述しましたが、後になって「言った」「言ってない」「こういう意味だった」「そういうつもりではなかった」と双方の認識や解釈が異なっていたことがわかると、将来のトラブルを予防することができません。そうならないために、双方がきちんと理解して、納得して、合意した内容を客観的に確認できるかたちで記録しておくことがとても大事です。
「契約書を交わしたい」は大げさ?
ワークショップでは、なぜアートの分野では契約が結びにくいのか?についても意見交換しました。「契約やお金にうるさい人だと思われたくない」という心理が働くのは、アートが生まれる発端が、必ずしも経済的な利益や価値を目指すものではないという態度が強く働くからかもしれません。あるいは、契約の話をすることが「あなたを信頼していません」という態度表明になり、せっかく掴んだチャンスを逃したり、クライアントとの協働プロジェクトに水を差してしまうことを心配しているのかもしれません。
しかし、契約は双方が希望を最大限に伝え合う機会だと捉えると、むしろ気持ちよくプロジェクトを進めるために必須のプロセスだと言えます。モヤモヤや不安を抱えたままスタートして後から疑心暗鬼になったり、相手の良心に期待して大雑把な契約を結んで、後からトラブルになるよりも、さまざまな状況を想定して細かく確認し合っておく方が、より充実した制作や仕事に専念できるはずです。ワークショップでは「報酬が支払われなかった」「報酬を先払いしたのに納品してもらえなかった」という事例の報告もありました。裁判には至らずとも、契約を守らない相手に対して、堂々と契約の履行を求めたり、「事前に約束したことだから履行しなければ」という心理的な効果を与えるものとしても、契約書は有効です。
作品の構想が固まっていないから、契約が結びにくい?
「作品の構想が固まっていない曖昧な状況から契約交渉がスタートするのはアートの特徴ですね」と三輪弁護士は言います。ただし、だから契約が結べないという話ではなく、そこでは「それなりの工夫が必要」という指摘がありました。例えば、ワークショップで挙げられた事例では、「モックアップを作って作品プランを提示したところ契約に至る前に依頼主と連絡がとれなくなってしまい、それまでにかかった経費も支払ってもらえなかった」というケースがありました。三輪弁護士からは、「『契約に向けて進めていきましょう』と双方で合意してモックアップ作成を依頼したのであれば、そのための費用が発生することは当然認識しているはずで、その経費は請求できる余地があります。プレゼンテーションのための費用をどちらが負担するか事前に合意し書面化しておけば避けられたかもしれません」とアドバイスがありました。また、参加していたアートマネージャーからは、<打合せや下見→プレゼンテーション→本制作>といったように、段階的なフィーを設定して相手に提示しておくという予防策も提案されました。
これらのことから、第一に、契約書は大事だという認識を業界全体で広めていくこと、そして業態にあった契約の工夫をもっと考えていかなければならないということが再確認されました。
まずは契約の知識を持つこと、第三者と一緒に契約書を確認するのもおすすめ
業態が理解されにくい上に、特に個人事業者や非正規雇用者(※)であることが多いアーティストやアートの従事者は、契約関係において弱い立場に置かれがちです。
三輪弁護士からは、①まず一人一人が契約の知識を持つことが重要、②提示された契約書を読まずに漫然とサインするのはもってのほか、③契約書の内容を確認する際に知識を持つ第三者に一緒に確認してもらうこともおすすめ、というアドバイスをいただきました。
講座では、展覧会主催者と出展アーティスト間のデモンストレーション用の契約書をKACCOが作成し、ゲストの美術作家・谷澤紗和子さんと共に条項を上から確認しながら改善点などを指摘していきました。展覧会に特有の確認事項には次のような項目が、挙がりました。
(※)ワークショップでは労働にまつわるトラブル事例も多く挙げられ、これについてはオンライン講座「アートの現場からハラスメントをなくすために」を開催しました。本稿では労働契約については触れていませんが、内閣官房、公正取引委員会、中小企業庁、厚生労働省が公開した「フリーランスとして安心して働ける環境を整備するためのガイドライン」が参考になります。
―出展に関する契約書の確認ポイントの例
◯ 展覧会の概要
(展覧会名、会期、会場、搬入出期間など)
◯ 業務内容(契約者双方の責任範囲が明確か?)
◯ 契約期間(納期。いつまでに搬入を完了する必要があるか?)
◯ 報酬額(消費税や所得税等についても明記されているか?)
◯ 報酬や費用に含まれる内容(業務内容の遂行に必要な経費の分担は明確か?撤収費用、トークイベントの出演料、ワークショップの講師料や材料費、リサーチや滞在制作のための交通費・食費・宿泊費、保険料など)
◯ 報酬の支払い期限(いつまでに・どのような方法で?分割払いや概算払いは可能か?)
◯ 広報の協力の範囲(過去の作品写真の提供、テレビや雑誌のインタビューへの取材対応など、希望があれば伝えておく。制作に差し支えない範囲で協力するとか?図版使用料が発生する場合はその費用分担についても確認)
◯ 作品写真や展覧会の記録写真の二次利用について(クレジット表記、作品写真が展覧会グッズに使われる場合の利益の分配や、記録写真の利用範囲はどこまで契約に含む?)
◯ 新作の依頼の場合は、会期後の作品の権利や取り扱いについて(誰が所有するか?再展示する場合の手続きは?)
◯ 延期や中止になった場合のキャンセルポリシー(中止の場合に段階的なフィーや途中までかかった経費が支払われるか?)
上記はほんの一例です。個々の業務に応じて何を確認すべきか、注意を払いながら確認しましょう。契約時点で決められないことがあっても、わからないから書かないのではなく、「〇〇については別途取り決めを行う」など、後で取り決めるという約束を記述することもできます。
プランが定まらない状態で契約を結ぶということは、アーティストにも、アートマネジメントに従事する人たちにもよくあることです。しかし、ある程度経験を積んでくると、その業務にどんな作業やどれくらいの経費が発生するのか、おおよそは見えているはずです。細かすぎるかも?と思うくらいしっかりと見積書に書き出して、積算してみる努力が重要です。アートに従事する人たちが(どこで・誰と・)どのように・どれくらい業務をこなしているのか、契約相手は知らない場合も多々あります。文化芸術以外の業種の相手ならなおさらです。まずは依頼される業務で発生する仕事と経費を、しっかりと可視化して相手に提示すること。もし見積書の金額どおりの契約成立が難しいとしても、契約の金額内でどの項目を引き受けたのか、引き受けなかったのかを交渉することができますし、その作業はお互いの業務の責任の範囲を明確にすることにつながります。
ここで、行政や企業から依頼される文化芸術事業を受託する場合に、想定されるアートマネジメント項目の一部を挙げてみます。これらは、アートプロジェクトや芸術祭などでは、アーティストが担ったり協力していることもあるでしょう。アートが生まれる現場で、どんなプロセスでどんな作業が発生しているのか、解像度を上げて見るための参考にしてみてください。
―アートマネジメントの請負業務の例
◯ 作品制作のマネジメント
(アーティストへの依頼、チームビルディング、打合せ・下見・制作・本番の立会い、関連イベントの企画・実施、進行管理)
◯ 助成金の申請(実績報告書の作成・提出)
◯ アーティストやスタッフとの条件交渉と委託契約書の作成
◯ 会計・経理(データ入力、経理書類の作成・管理。制作費や事業費が予算オーバーしないための様々な努力を含む)
◯ ボランティアマネジメント(ボランティア募集のスキーム作成や説明会の実施、名簿作成、登録者との連絡調整やシフト管理、勉強会の実施、ボランティア保険の加入手配)
◯ PR・広報(デザイナーのアレンジ、チラシやWEB制作の進行管理、チラシやプレスリリースの原稿執筆・宣材手配・マップやアクセス情報の収集・データ管理・編集、レイアウト・校正、発送、広報リスト作成、チラシの発送、SNSでの発信、取材交渉と立会い、プレスツアーの実施)
◯ 記録・アーカイブの作成(カメラマンのアレンジ、撮影スケジュール調整・立会い、デザイナーや編集者のアレンジ、執筆依頼、編集補佐、校正、制作物の発送)
◯ 主催者や事業担当者、関係者への連絡や報告
ここまで読んでいただきありがとうございました。以上のことは、ワークショップや講座で触れた内容のほんの一部です。実際の契約の場面に合わせて応用が必要であることをくれぐれもご了承ください。
最後にお伝えしたいのは、契約書は自分たちを守るもの、希望を反映するためのツールだということです。このレポートが、前向きな気持ちで契約に取り組む後押しになれば幸いです。
(参考情報・その1)
2021年に文化庁では「文化芸術分野の適正な契約関係構築に向けた検討会議」が設置され、契約書のひな型の作成や公開も検討されているようです。
※著作権契約書については2022年4月に「著作物の創作や演技・演奏等の実演を職業としない者とその利用を職業としない者の契約(一般人どうしの契約)を想定し」た文化庁ウェブサイト「著作権契約書作成支援システム」が公開されました。
その他、業種やジャンルによっては契約書のひな型を公開している団体がありますのでKACCOでリンク集を作りました。
いずれの場合も、書かれている条文がどちらの契約方にどのように作用するのかをよく読み解きながら、ご自身の契約の参考にしてみてください。
(参考情報・その2)
KACCOでは士業相談のサポートをしています。対象は京都市内を拠点に活動する文化芸術関係者で、初回の相談料をKACCOが負担します。詳しくはお問い合わせください。
https://www.kyotoartsupport.com/
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「アートマネジメントの現場のトラブル事例を共有する非公開ワークショップ」
参加者:緒方江美(一般社団法人地域共生社会創造ラボ 代表理事)、小島寛大(アーツマネージャー、Bassline Arts Management代表/コジカレーベル主宰)、野田智子(アートマネージャー/Twelve Inc.取締役/Nadegata Instant Party)、藏原藍子(一般社団法人HAPS事務局長)、櫻岡聡(一般社団法人HAPS/FINCH ARTS主宰)、佐野晶子(京都芸術センタープログラムディレクター)、内山幸子、高坂玲子、鬣恒太郎、平野春菜(以上、KACCO相談員)
(以上、順不同)
事例収集協力:一般社団法人HAPS、京都芸術センター
アドバイザー:三輪晃義(弁護士)
企画:京都市文化芸術総合相談窓口[統括:山本麻友美、相談員:内山幸子、高坂玲子、佐藤真理、鬣恒太郎、中山佐代、平野春菜(※五十音順)]
事例から考えるアートマネジメント:オンライン講座
Ⅰ「アートの現場からハラスメントをなくすために」(2021/10/13)
講師:三輪晃義(弁護士)
Ⅱ「アートの現場における契約の知識」(2021/10/27)
講師:三輪晃義(弁護士)
講座協力:谷澤紗和子(美術作家)、蔵原藍子(一般社団法人HAPS)
主催:京都市文化芸術総合相談窓口[KACCO](公益財団法人京都市芸術文化協会)
共催:一般社団法人HAPS
協力:京都芸術センター
ウェブサイトは
こちら
作成:2022年3月31日 文責:内山幸子(京都市文化芸術総合相談窓口相談員)
京都市文化芸術総合相談窓口(KACCO)
京都市が設置した文化芸術に関する総合相談窓口。相談を受けるだけではなく、創作の現場からできることを考え、文化芸術に関わる人のよりよい環境作りを目指しています。2022年度はフリーランスのアートマネージャー、舞台制作者、キュレーター、アーティスト、ミュージシャン等が相談員を担当しています。
https://www.kyotoartsupport.com/