最後の時を過ごす、その音と記憶と共に:川中政宏

ジャンル
  • 美術
形 態
  • 展覧会
"音の世界"
私はもう聞く事もないであろう、オーディオテープを捨てる事が出来ませんでした。
それはモノとして存在し、単なるデータとしての音だけでなく、その時の記憶、思い出としての音が、その中には記録されているからなのだと思います。

"最後の時を過ごす、その音と記憶と共に"
私は気に入った物を長く使用します。
その最後が来るまで。
それは長持ちをさせるという事ではなく、
単にそれ以上に気に入る物が中々見つからないからです。
しかしその行為を続けることにより、それは使用というよりも、
共生というものに近い感覚となります。
私は彼らと最後の時を過ごします。
そしてその思い出は、その音と共に、
いつまでも私と彼らの中に在り続けます。

※私はこの度、その物達を纏い、共に最後を過ごした時間をテープに録音しました。
そのテープは音の粉となり、そして染料となり、その物達自身を染め上げます。

【“モノ”がモノではなくなる時】
こんな経験はないだろうか。
壊れた若しくは不要になってもう捨てようと決断したモノに、
あたかも “まなざされている” かのような感覚を覚え、
思わず捨てることを躊躇してしまった…
人知れず幼い頃から継続的に使っている
若しくは所持している “物質” の存在であったり…
または、なぜだか長い間、自分の身近に存在し続け、
自分自身と特別な関係性を保ち続けている、
と感じる自分でも不思議な “物質” 、など…
私の現在の愛車は、約20万キロを走破した、
ボロボロの軽バン、スズキ・エブリィ、である。
ここ数年の車検時、お別れがチラつく度に、
打ち消して余りある愛おしさが増し続ける、愛車のエブリィ。
忘れもしない大学院終了時、
その後の不安な船出を掻き消したい思いとともに、
頼りになる相棒を得る感覚で、
なけなしのマネーで購入した新古車だった、若き日のエブリィ。
彼と私の共有した時間には、語りつくせないほどの膨大なエピソードが内包されている。
あの人も乗せたし、あの人も運転し、あそこにも行った。
期待と不安が込められた自作品を乗せて、
渋谷のスクランブル交差点で信号待ちも共に経験した。
あんなこともこんなことも(警察的なやつも含め)共に乗り越えて来た。
その都度彼が私のケツを押してくれた、気がする。
気づけばパートナー共々、あるときにはそれ以上に、
“物質” である彼に静かに “まなざされ” 見守られ、
私の自己中の行動や活動に無言で付き合ったくれていた。
カッコ悪く惨めさ全開の時期にも、
かけがえのない唯一に近い「味方」でいてくれた、そんな気がするエブリィ。
私は、彼(エブリィ)にモノの記号・名称としての概念以上の、
“潜在的可能性” を感受し、そのポイントで彼と関係性を結び、
更には、その “結び目” を常に感じ見つめてきたのだと思う。
こういった類の、日常や常識から逸脱した感覚や経験が、
非言語的 “他者” からの “まなざされ” 体験と、
その結果沸き起こる “ざわめき” 体験、と言えるのかもしれない。
(多少オカルト的所感を抱かせてしまったかも知れない…)
何を言いたいか。
“ホンモノ” と解するアートと対峙した時、
対峙者側(あるいは被対峙者側にも)沸き起こる心的構造に類似しているのではないか、だ。
川中政宏さんは、自身の周縁にいつからか何気なく存在している、
個人的だが固有の関係性を結んでいるモノたちに、
優しく穏やかな目線を向けることに秀でた作家である。
捨てるか捨てないか迷い続け、
時間と記憶の蓄積、その共有を繰り返してきた、
川中さんにとってのインディヴィジュアルなモノ達。
愛しいモノ達との決別を決意したエピローグでさえ、
そのプロセスを永遠のメモリーボックス化する装置を構築、
またはあたかも剥製や標本へと転化することで、
最後の瞬間の様相までも、
二者間の個別で固有な非言語的関係性への昇華を試みる。
時間の蓄積を、素材の持つコンテキストをズラしつつ表象化することで、
鑑賞者である他者への集合的意識(あるいは無意識)に向けて、
「本質的感情」への気づきの予兆を感覚として芽生えさせる。
彼の作品を眺め続けるうちに、改めてその思いを強くした。
“モノ” が “物質” が、モノでも物質でもない、
アフォーダンスのような “まなざし” を向ける、
“他者” への変容を自覚する時、
南方熊楠は粘菌に、柳宗悦は井戸茶碗や木っ端仏に見出した、
曖昧だが確かなその実感は、アート作品(表出物・現象物)について、
サイズ感が大きいだの小さいだの、情報・知識や技術の優劣等々の、何らかの尺度に測ろうとするような「二元論的次元」からは逸脱した、つまりは、「アート」というべき世界へと続くであろう、
“他者” が湧出しえる、“傷” そして “裂け目” なのだと、
川中さんの作品を前に意を再確認した。


studio silent blue
斎藤 啓司

イベント情報

日時
2022年2月22日(火)~ 2022年3月6日(日)
15:00~19:00
最終日は18:00まで。
月曜日
場所
[東山区]
Art Spot Korin
〒605-0089 京都市東山区元町367-5

◎京阪電車 三条駅下車、出口② 徒歩3分。
◎京阪電車 祇園四条駅下車、出口⑦ 徒歩8分。
◎市バス 『三条京阪』 徒歩5分
料金
無料
URL
https://artspotkorin.wordpress.com/
主催
Art Spot Korin
問合せ先
■電話/FAX 075-746-3985
■メールアドレス artspotkorin@gmail.com
※内容は変更になる場合があります。詳細は各イベント主催者にお問い合わせください。
※チケットや申込みが必要なものは、売り切れあるいは定員に達している場合があります。ご了承ください。