京都写真美術館 ギャラリー・ジャパネスクは2021年2月23日(火・祝)から3月7日(日)まで、2階展示室にて、三宅 章介「切妻屋根の痕跡のための類型学ー Typology for Traces of Gable Roofs ー」を開催します。
◼️ステートメント
今、京都では老朽化した町家がつぎつぎに解体され、街並みのそこここに空き地が出現している。空き地に面した建物の外壁には取り壊された隣家の屋根の痕跡が残されている。かつて、その屋根のもとで営まれたであろう日々の暮らしを偲ばせる。
痕跡は風雨にさらされ、時の流れのなかで磨耗していくだろう。そこに新たな建物が建てば視界から消える。やがては痕跡を印した壁面も解体され、人々の記憶からも跡形なく消え去るにちがいない。
わたしは街を彷徨い、屋根の痕跡を見つけては撮影している。これらの写真をベッヒャー夫妻の類型学(Typology)へのオマージュを込めて、「切妻屋根の痕跡のための類型学」と名づける。
◼️推薦文
何か、子供の頃遊んだ空き地に再会したような、失われた故郷が夢の中で立ち昇ったような感情が抑えられない。三宅章介の「切妻屋根の痕跡のための類型学」は、家族アルバムを見るよりも心を動かされる。一人っ子の私にも、兄や弟がいたような不思議な気分である。初めてシンクロニシティを信じる気になってしまった。
実は、私も痕跡に惹かれて、写真を撮っている。だから余計我が事のように、シャッターを切る心情に共感するのかもしれない。
もちろん、三宅章介の写真は、時代の残滓を露呈する作品ではない。かつてそこにあったという、写真が抱えるメディアの特性がテーマである。あらゆる写真は遺影である。今ある記念写真、人物写真は、50年も経てば直ぐに時代の雰囲気を伝える資料に変容する。三宅章介が提示する作品が愛おしく思えるのは、街が遺影である事を表現しているからに他ならない。そしてもう一つのテーマ、見えないものを見ようとする描写の中に、視覚偏重への疑問が深沈と流れている。それが、愛おしさを生むのである。痕跡が触発する消失した建造物のリアリティー。見えない、喪失したものを幻視させる描写力。
三宅章介の写真の魅力は、メタメディアの構造にあるのだ。この、見えないものを見せる三宅章介の姿勢こそ、わたしたちが今最も必要としているテーマだという事は言うまでもない。
映像作家、演出家、エッセイスト
多摩美術大学名誉教授、前橋文学館館長
萩原朔美