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伊藤隆介「All Things Considered」
ジャンル
美術
形 態
展覧会
児玉画廊|京都では3月28日(土)より4月25日(土)まで、伊藤隆介個展「All Things Considered」を下記の通り開催する運びとなりました。
伊藤は実験映像、ファウンド・フッテージの作家として既に国内外において高い評価を得ていますが、近年は特に映像インスタレーション「Realistic Virtuality (現実的な仮想性)」シリーズを制作の中心に据えて活動しています。児玉画廊では初紹介となります今回、昨年好評を博した札幌宮の森美術館での個展「伊藤隆介ワンマンショー; ALL THINGS CONSIDERED」を再構成した内容で「Realistic Virtuality (現実的な仮想性)」シリーズの代表的作品を一堂に展観致します。
「Realistic Virtuality (現実的な仮想性)」シリーズは、基本的な作品構造としては、自作の模型をCCDカメラを通してライブ上映するという形の映像インスタレーションです。プロジェクターやモニターで映し出される映像部分は、例えば、落下する原爆、崩壊した原子炉の様子、錐揉み状に回転し続ける旅客機など、非常にスリリングな光景です。仮に映像だけを見せられれば、ニュース映像や特撮映画のワンシーンを流用しているのかと思わせるような臨場感に溢れているため、これはどうやって撮ったのだろうか、本当にあったことだろうか、と戸惑うことになるでしょう。実際の作品展示では、すぐそばに置かれた模型をただ単純な仕組みで映し出しているその様子がつぶさに見て取れるため、「ああ、そういうことか」とじきにその戸惑いも収まりはしますが、一瞬でもハッと息を呑むような感覚に陥ったという妙にモヤモヤとした違和感を胸の中に抱えることとなります。
その模型部分は、ビスコのパッケージやリカちゃんハウス、ジオラマ用素材などを駆使して作り込まれ、特撮映画の撮影セットを思わせます。細部を見ていくと、映像上の映りを計算し、各々オブジェの配置や前後の距離関係、スケールの大小が細かく設計されているのが分かります。しかし、使用している機材や作りは非常にローテクなもので、自動車模型のモーターを転用したスライド式カメラレール、デスク灯によるライティング、背景用バックスクリーンは文房具のクリップで吊るされており、物によっては量販店の値札さえ付いたままになっています。このいかにも寄せ集めの状況から映像上のあのリアリティを生み出しているということにただ驚かされます。
この、映像と模型の間にあるギャップを目の当たりにすることで、現実感が迷走するのです。この点において、伊藤作品は模型と映像の間にある享楽的な驚きを鑑賞者に与えているだけではなく、映像というメディアそのもの、あるいは映像を主な情報媒体として信奉している現代社会への痛烈な批評的態度を示していることも大きな意義を持ちます。伊藤が掲げている「Realistic Virtuality」シリーズの一つ「こんなことは無かった」(2012年制作)への作品コンセプトとして、次の三点が明示されていることからもそれは理解されます。
?現在の日本人がいちばん見たいと思っているが、見ることがかなわないモチーフ(被写体)を見せる
?映画史の「荒ぶる神々」を翻案する
?映像の属性を通して、メディア(報道)の性質を提示する
「こんなことは無かった」は、カメラがズームしていく先に倒壊した建物が現れ、さらに進むと露わになった原子炉が見えてくるという作品で、これは先の東日本大震災での原発事故を言わずもがなモチーフとしていることが分かります。映画などでよく見られる遠方からのズームで対象物に迫っていく緊迫感を煽るようなティピカルなカメラワークを踏襲しつつ、「見たい」(知りたい)あるいは「見たくない」(認めたくない)いずれにしても、人々の関心が高いにも関わらず実際には直接見ることが叶わない対象物をさも現実感のある映像として提示するのです。ビスコの箱に開いたトンネル穴を通り抜けた先に同じサイズ感で原子炉が露呈していく距離感とスケール感の喪失、本来見えていてはならない原子炉を映像化するということ。今眼前にある模型と映像の関係性を超えて、現実に起こった事象に対してその真実を未だ測りかねている我々の内面的な不安や恐怖を指差すようにして、どこか楽観的にお菓子箱宜しく幸せなフリで仕舞い込んでいる不安な胸の内に、風穴を開け、のぞき穴を開けるのです。「荒ぶる神々」と伊藤は表現していますが、単に神話に見る神々の人智を超えた力というだけでなく、自然災害やパニック、SFの架空の世界、それらは全て、実際に目にすれば恐怖や畏怖の対象であるにも関わらず、映像上においては刺激の強い効果的なスパイスであって、我々はそれを現に楽しんで見るのです。ここに、映像と現実の間に存在する相互不可侵的な約束が露呈しています。映像を通して事象を見る、という関係性が、その映像内の脅威が直ちに我々を危険に晒すことはない、という、一つの防御壁を約束するものであることです。リアリティは存在すれども現実ではない。メディアはその点ではどうか、報道上の真実は果たしてどこまで真に事実であり得るのか、と尽きぬ疑念が頭上を巡ります。映像で見るものの、その画面の枠外では、ひょっとすると伊藤作品のように、クリップ留めしたバックスクリーンが吊り下げられているかもしれないし、そうでないかもしれないのです。果たして現実はどこにあるのか、実在するかどうかすら分からなくなっていく、「こんなことは無かった」とはその謂であるのです。作品の一例として端的な「こんなことは無かった」を挙げましたが、上述のコンセプトはほぼ全シリーズを通底しています。まず、作品に臨む態度として、モチーフは非常にトピカルなものを題材としつつもその提示の仕方はあくまで遊びのような軽妙さがあり、一つの作品内で事の軽重に大きなギャップが生まれていること、次に、作品そのものの性格として映像と模型の間を虚実が往来することによって現実感に混乱をきたすこと、この二点にある極端な二項対立は、寄る辺ない現代社会の縮図のようであり、作品を前にどちら側に身を傾けるかは鑑賞者の主観と判断に委ねられるのです。
伊藤は少年期から特撮映画のメイキング資料などに夢中になっていたと言います。掲載されている写真図版にセットの脇にいる裏方スタッフが写り込んでいたり、映画では派手に土埃を挙げて倒壊した建物が実はちっぽけなミニチュアだったりと、舞台の裏側を覗いて実態を暴いてしまったような視点に、映像における現実感を演出する仕組みの面白さを見出して以来、「Realistic Virtuality」シリーズへと続く一つの制作動機となっています。フレーズとしてはより一般的であろう「Virtual Reality(仮想現実)」ではなく、「Realistic Virtuality(現実的な仮想性)」と敢えて掲げている点にも、伊藤の基本姿勢がよく表れています。人工的な再現を現実により近づけていく為の追求が「Virtual Reality」であれば、「Realistic Virtuality」は、現実的に見えるものの中にある虚構性を暴露したり、仮想であることをあらかじめ了解した上での現実「らしさ」と割り切るような態度であり、両者は真逆を向くのです。伊藤作品は鑑賞者にその身を取り巻く現実の所在をシリアスに問い正しつつ、それと同時に童心に戻るような遊興的な高揚感を煽る、極端な両義性を持っているからこそ強く目を惹きつけてやまないのです。
本展覧会は「KG+」(国際写真フェスティバル『KYOTOGRAPHIE』サテライトイベント)参加プログラムです。
イベント情報
日時
2015年3月28日(土)~ 2015年4月25日(土)
11:00~19:00
毎週日月・祝休廊
場所
[南区]
児玉画廊|京都
〒601-8025 京都市南区東九条柳下町67-2
料金
無料
URL
http://www.kodamagallery.com/index_jpn.html
主催
児玉画廊
問合せ先
075-693-4075
※内容は変更になる場合があります。詳細は各イベント主催者にお問い合わせください。
※チケットや申込みが必要なものは、売り切れあるいは定員に達している場合があります。ご了承ください。
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