児玉画廊|京都では9月6日(土)より10月11日(土)まで谷中佑輔「Have a Good Appetite」を下記の通り開催する運びとなりました。これまでも児玉画廊では、グループショーignore your perspective 20「NOT A TOTAL WASTE」(2014年, 京都)、ignore your perspective 25「JUST THE WAY IT IS」(2014年, 東京)など、谷中作品を積極的に紹介してきました。また京都市立芸術大学@KCUA(アクア)での個展「Galatea」、アートアワード丸の内2014への出品(大賞受賞)でも大変好評を博した谷中ですが、本展が児玉画廊に於ける初個展となります。谷中は、主に石材や木材を使用した大規模なスケールと重い量感を有した彫刻作品やインスタレーションを制作していますが、谷中の作品には、彫刻を制作するという点において大きく2つのコンセプトがあります。一つは「感覚/身体の可逆性」、そしてもう一つは「距離の測定」とそれぞれ言い表すことができるでしょう。
まず、「感覚/身体の可逆性」とは、作品制作にあたり谷中が素材の石や木材に触れる時、この「触れる」行為の主体である谷中が同時に石に「触れられる」客体でもあるという両義性を持つ、というものです。@KCUA(アクア)で発表された近作「Galatea」にそれは顕著に見られ、今回の個展でも中心的な作品としてより深くこのコンセプトを掘り下げた新作が発表されます。「Galatea」において、谷中は巨木材にしがみついて攀じ登り、その際の自分の体の形を木材に彫り込んでいきます。そうすることで木材にしがみつくという行為が谷中の能動的なものとしてのみならず、木材に彫り込まれた自らの型によって抱き込まれている、という受動的な状態にも置き換えられるようになります。この可逆性は、単に行為主体の置換だけではなく、谷中にとっては、肉体という他との境界を喪失することであり、自分の感覚を他に転移させてしまうことである、という実感を伴った現象でもあるのです。本来、体は皮膚を境に世界と分たれており、触れることとは即ち他者とのゼロ距離での接触を意味します。しかしながら、「極限に集中した状況下において、自分の体と道具や素材が呼応し合い、一体となったり離れたりする」という谷中にとって、触れるという行為は単なるゼロ距離の接触ではないのです。素材に触れた手を介して、その物の硬度や質量、密度や性質などのあらゆる情報について、まるで自分の体のことを触知した時のように鋭敏に知覚できる瞬間があり、その際素材と自分が入れ替わったかあるいは同化しているように感ずるということです。「“消失した体”は作品と私との両方に股がって存在する」と谷中が表現するように、触れると同時に触れられ、感覚と身体性が谷中の肉体と素材の両者間を絡み合うように反転していくのです。かつてフランスの哲学者メルロ=ポンティが「キアスム(chiasm)」という概念で主体と客体の可逆性/両義性を述べましたが、谷中はその現象を体験的なレベルで彫刻化しようとしているのです。
もう一つの「距離の測定」とは、谷中が自身とモチーフとの距離を知覚することです。しかし、距離と言っても、何メートルという数字上の距離ではなく、もっと体感的な距離感を指しています。手の届く距離にあるものなのか、それとも遥か彼方にあって触れることのできないものなのか、主に自分の体を一つのスケールとして対象物の大きさや距離感を、やはりここでも「触れる」ことによって掴み得ようとします。この場合の「触れる」とは実際に接触しているかどうかを問わず、例えば、谷中が今いる地点から数キロメートルを隔てて山並みが見えるとすれば、その稜線を「目」による触感に置き換えます。いわゆる彫刻というものが、モチーフをあらゆる角度から観察し、場合によっては触れながら、その「形質」を写し取る造形物であるとするならば、谷中の目指すものは、対象物との「距離」を造形として表出させようとする試みです。手の届かない先の山並みを彫刻として表現しようとすれば、現実には触れられるはずのないその物理的な距離を保ったままその稜線に何とかして触れる、つまりはその稜線の形質を何とかして手中に呼び出さなければなりません。そこで、自分と山の間に存在するであろう木の梢や岩肌に目を凝らし、実際に見える情報や、あるいは記憶として体得している枝や岩の手触りを頼りに、稜線に触れているという感触を油粘土をこねる手に置き換えます。手の中に涌き上がったその触覚をダイレクトに粘土に伝え塑成していくことで、「遠くにある稜線」という「事象」そのものの彫刻が可能となり、それは即ち対象物である稜線との距離を知ったということになります。「NOT A TOTAL WASTE」(児玉画廊|京都)で発表した「稜線の振動」というセラミックによるインスタレーションは、まさにこの触れられぬ距離を超えてその形質を知り、それを彫刻とする作品でした。
この2つのコンセプトは、物に「触れる」という非常に彫刻家的な行為/経験をベースとしつつ、彫刻として提示される対象物との距離 (作品と鑑賞者の距離ではなく、対象物と制作者の間に存在した物理的/心理的距離) のレンジを「ゼロ距離よりも密接な地点」から「不可知な遠距離」までの全てを包括した彫刻を可能とするためのものです。よって、鑑賞者は、ともあれ作品に対峙し、谷中の感覚的/身体的な距離や境界を超越するような体験の痕跡を見、そして追体験するべきなのです。「Galatea(ガラテア)」はギリシア神話に登場する彫刻家ピュグマリオンが理想を注ぎ込んで制作し、それを命がけで愛する対象としたが故に神から命を授けられた女性像の名ですが、谷中にとってもまた彫刻という行為は、肉体と物の境界を払い去ろうと欲するが故のものであり、距離と知覚の関係性を認識し直そうと欲するが故のものであるという、谷中の余りに濃密な欲求(Appetite)の対象であるのです。