この展覧会は、1963年生まれの3人の写真家(鈴木理策、鷹野隆大、松江泰治)と2人の批評家(倉石信乃、清水穣)からなるユニット「写真分離派」による企画展である。3人の出品作は主に、本展のために制作・構成される新作、もしくは未発表作から構成される。
2010年末に結成された「写真分離派」はこれまで、ナディフ(東京)、中京大学アートギャラリーCスクエア(名古屋)で展覧会を開催してきたが、今回は3回目にして最後の展観となる。写真分離派はそれらの展示や出版を通じて、ディジタル・テクノロジーの浸透による写真文化の根底的な質的転換とそれに伴う危機を指摘する一方、制作と享受の可能性のかたちを探ってきた。
折しも「2020年東京オリンピック」の開催が決定した。1964年の東京オリンピックがそうであったように、6年後のオリンピックも再び、首都だけに留まらないさまざまな土地の内包する固有の記憶を抹殺し、風景の均一化をもたらす恐れがある。「震災からオリンピックへ」という、いま私たちが経験しつつある移行は、「ショック・ドクトリン」がそこここでまかり通る、麻痺と忘却の時間に転じつつある。そのことに抵抗的であるためには、「日本」と呼ばれている場所の様態を、しかるべき技倆によって可視化することがまず求められる。鈴木理策の視覚的な歩行形式というべきもの、松江泰治の精緻な俯瞰による踏査、鷹野隆大による過度に散文的なスナップはいずれも、「日本」の現在に対する注釈・批評として有効に機能するはずだ。
また本展では、「震災からオリンピックへ」という移行期間を歴史的に検証するため、1964年のオリンピックの前後の東京を冷徹に活写し、後続世代にも影響を与えた春日昌昭(1943-1989)の写真を、特別に出品する。
本展は無論、「日本」の現在を包括的に描き出そうとするわけではない。しかし、私たちが格段の意識なく『日本』という土地=国土を同定するその仕方を、実際の風景に残存する歴史の痕跡をも指し示しながら、批判的に省みる好機となるだろう。(倉石信乃)