美術

アーティスト・ランの可能性を探る

2013.05.01

キュレーター不在

2012年から2013年にかけて、京都ではアーティストによる自主企画(展)が同時多発的に開催されました。Kyoto Art Boxの公開イベントとして、これらの実行委員に集まってもらい、展覧会等を企画した経緯や、そこから感じた問題点や課題について話を聞きました。(2013年3月1日実施。京都芸術センターにて)

中本:今回のトークは、京都市が運営する文化芸術オフィシャルサイトKyoto Art Boxの特集記事「KABダイアローグ」のコンテンツとして企画されたものです。これまでもインタビューや座談会を通じて、京都の文化芸術にかかわる人々の考えを明らかにしてきました。公開での実施となる今回は、アーティストラン・プロジェクトの実行委員に集まってもらい、京都における現代美術の動向や可能性、アーティストがどのようなことを考えているのか、ということをアーティスト、企画者、文化行政関係者、鑑賞者等たくさんの人と共有し明らかにしていきたいと思います。まず、最初に、それぞれの展覧会について、動機やモチベーション、収支等経済的なこと、それぞれが感じた問題点などを交えながら紹介をお願いします。





田中和人:「アブストラと12人の芸術家」は、抽象というテーマを設定して、12人のアーティストが参加した自主企画展です。会場は、二条駅の近くにある大同倉庫という普段から倉庫として使われている場所を選びました。参加アーティストは30代前後のアーティストで、関西に限らず、関東、アメリカからも参加し、彫刻や平面、映像といろんなタイプの作品が並びました。



中本:「アブストラと12人の芸術家」に行かれたかたどれぐらい?(客席で挙手。2/3程度)結構いらっしゃいますね。続いて、衣川さんお願いします。



衣川:「溶ける魚‐ つづきの現実」は、京都精華大学のギャラリー・フロールと、三条御幸町にあるギャラリー・PARCの二つの会場で行いました。出展作家は、関西と中部、関東の計10名と1組の作家を招へいし、衣川と高木智広が代表として運営しました。「溶ける魚」は、フランスの作家アンドレ・ブルトンのシュルレアリスムの文学作品から引用したタイトル。シュルレアリスムにも、文学、映画、美術など多様な表現方法があるので、絵画、彫刻、写真、映像とさまざまな表現が一同に会した展覧会になっています。サブタイトルが「つづきの現実」ですが、作品が立つべき位置、各作家の現実との向き合い方を展覧会の中で提示できる、仕掛けを目指してつけたものです。他の展覧会と違う点は、大学機関のギャラリースペースを活用している点。会期中にイベント等も行いませんでした。また出展作家に、展覧会との向き合い方がわかるようなコメントを寄せてもらって、テキスト集を作りました。



『溶ける魚‐ つづきの現実』 展示風景




高橋:まず「パズルと反芻」の構造を説明しようと思います。先ほどのお二人の展覧会と違うのは、個展でも、グループ展でもなく、加納俊輔と高橋耕平の二人展であることです。京都ではSocial Kitchen、LABORATORY、Divisionの3つの会場で行い、東京でも3会場で行いました。特徴としては、複数の会場を設けたことと、アーティストランでありながら京都ではhanareの山崎伸吾さん、東京ではisland MEDIUMの伊藤悠さんにコーディネーターとして入ってもらったことです。さらにデザイナーの見増勇介さんに積極的にかかわってもらい、展覧会の印刷物やブックレットを作りました。また展覧会の関連イベントとして京都ではゲスト講師を招き、ふたりの作品のキーワードになっている「変換」をお題にしてレクチャーを行い、東京では批評家、作家をゲストに招きトークを複数回実施しました。加納と高橋は、いったいどういうことをしているのか、ということを、たくさんの人に関わってもらいながら、展覧会を使って編集するということをしました。



加納俊輔・高橋耕平展『パズルと反芻』“Puzzle and Rumination” 東京展 展示風景



田中英行:「Kyoto Open Studio」と「京都藝術」の田中です。僕がみなさんと少し立場が違うのは、アーティストとしてイベントの企画運営を行うことに限界を感じ、NPO法人Antenna Mediaとして法人を立ち上げ企画をしているところです。「Kyoto Open Studio」の企画をはじめたきっかけですが、もともと京都にはアーティストがたくさん住んでいて、共同スタジオでオープンスタジオをしたり、展覧会をしたりしていたものを、もっと見やすい形でプレゼンテーションし、集客の増員やアーティスト同士の交流を活性化し、今までと違う状況を作りたいと考えました。2011年は、ちょうど「アート・フェア京都2011」があった時に、アーティストのスタジオを巡るツアーも企画しました。「京都藝術」は、2010年、2012年の隔年でやっています。この企画については京都で開催されるイベントや展覧会どうしの連携をはかり、芸術文化に関わる場や人の繋がりを強化し、京都における芸術文化の活性化を目指したプロジェクトです。「Kyoto Open Studio」と「京都藝術」これらは展覧会の企画ではなく仕組みづくりであることが特徴です。





水野MOVING実行委員会の水野です。水野勝規、林勇気、宮永亮の3名と、&ARTの中本さんにディレクターをお願いして実質4名で行いました。会場は7か所。参加アーティストは、主に映像を扱う作家を選んでいますが、映像表現の多様性を見せるために、純粋な映像作家だけではなく、映像にアプローチしている美術作家等もチョイスしています。関西と関西以外の作家は半々ぐらい。展覧会を開催するまでに、2回、プレイベントを行いました。MOVING2012のテーマは、多角的に映像の可能性を検証するというものです。



中本:それぞれのプロジェクトを実施する上でのモチベーションについてうかがいたいと思います。アーティストランじゃないとできないと思っているのか、あるいは企画する人がいなかったから自分たちでやったのか等。実行委員となった作家の芸術的な興味から展覧会に発展していった、というのがひとつの流れかなと思ったのですが、いかがですか。



田中和人:僕の作品は抽象がテーマになっていて、自分のためにもう少しそこを掘り下げて考えて行こうと思ったのがきっかけです。普段、西院にあるシェアアトリエで制作しているのですが、そこで、今回参加してくれた菅かおるさん、国谷隆志さん、中屋敷智生さんと話すことが多い。「これからますます抽象という考え方が重要になってくると思うんだけど・・・」という話をしまして。個人的な興味、自分の作品に対するモチベーションが元にあって、それをみんなに広げていったら、より意義があるものになるんじゃないかと考えました。僕は、自主企画展をやって、従来のアートの発表の形式に物申そうというよりは、純粋に自身の作品に対する問題意識が先にあって、やろうと思ったことを広げていったら、こうなったという感じです。みんなは、個人の興味が出発点なのか聞いてみたい。



高橋:僕が田中さんと違うのは、加納くんと二人でやっているところ。モチベーションは、田中さんとよく似ていて、自分たちの作品の位置づけ、検証を、展覧会を通してたくさんの人に関わってもらいながらやるということでした。デザイナーやコーディネーター、批評家、アーティストと、自分たちと違う立場から意見を述べてくれる人たちと物事を考えていきたいという想いがありました。やりたいことがまず先にあって、実現するにはどうしたらいいかを考える。その結果、自主企画になったということだと思います。



中本:「MOVING」は少し違いますね。芸術表現を追求するというよりは、映像表現を普及するということに重点を置いていたと思うのですが、そのあたりいかがですか。



水野:2年ぐらい前に実行委員が集まる時があって、映像作品ばかりが集まる展覧会があったら面白いよね、という話になって。僕自身、映像作家として活動しているんですが、映像作品も映像作家も増えて多様化しているのに、見る機会が増えていないという共通認識がきっかけです。



映像芸術祭MOVING 2012 MOVING Exhibition2 トーチカ個展「maze」photo by OMOTE Nobutada



中本:アーティストランというところには、こだわっていたように思うのですが、そのあたりは?



水野:アーティストランのいいところは、自分たちで好きなように作ることができるところだと思うのですが、キュレーションが入るとテーマによっては選ばれにくい作品というのがあって。特に映像作品は、例えばグラフィック系の作品だと展覧会であまり見ることができません。自分たちで見せる機会を作った方がいいんじゃないかと思った、というのはあります。



中本:「MOVING」は、アーティストがキュレーションをするというところを放棄している部分もあって、搬入の関係で物理的なことは確認したのですが、初日までどんな作品が来るのか実行委員も全く知らなかった。高橋さんのお話をうかがっていて思ったのですが、イニシアティブをとることと、体制があることが結局比例している。「MOVING」は、アーティスト・イニシアティヴというより、個々の作家にイニシアティブを渡したというところがあったので、オルタナティヴな要素が強まったのではないかと思います。アーティストが用意されている状況を捨てて、社会に介入するということで、時間がかかるかもしれないけど、社会や日常の中でアートがどう機能するのか、ということが重要になっている。イニシアティブと社会性は比例するのではないか、ということです。



高橋:そう思います。キュレーターが入らないっていうよりも、実作をしている人の方が作家のことをよく知っていたり、語弊があるかもしれませんが、批評し合っているところがあると思うんです。今の話の中で面白かったのは、実行委員がどの作家を選んでいるのか、というところ。誰を選ぶかという基準にある種の人間関係や政治が見えるので面白いなと。加納くんと僕は、昔からお互いの作品を見ているけれど、ずっと親しい関係であったわけではありません。今回、展覧会を通して、ある緊張感を保ちながらできたという自負はあります。



衣川:「溶ける魚」はグループショーなので、代表が作家を選別していきました。展覧会によっても、コミュニティが見え隠れする部分はあると思います。そこで、友達付き合いだけでやりました、という仲良しショーにはできないわけですよ。何を展覧会として発信したいか、伝えたいかというコンセプトのもと、「溶ける魚」では高木智広さんと展覧会コンセプトを重視して作家を選んで、面識のない作家にも声をかけていきました。



田中英行:みなさんを敵にまわす発言かもしれないですが、作家として展示をしても展覧会で出来ることの限界にぶちあたるというか。現代美術の観客の少なさは根源的な問題だと感じています。展覧会を企画するだけでは観客の絶対数が増えず、限られた客層が狭い範囲でぐるぐる回っているような印象があります。新しい客層をいかに呼び込めるかというところに手をつけていかなければ、自分たちで展覧会を企画してもなかなか状況は好転しない。あと、今まで地方で行われる多くのアートプロジェクトやアーティスト・イン・レジデンスにアーティストとして参加してきました。地域の活性化のために結構な予算を投じて運営されています。それを京都に帰って改めて考えた時に、多くのアーティストが住み、沢山の文化施設もあり、様々な条件が揃った恵まれた土地だなと再認識しました。展覧会を開催するだけでは解決しにくい問題を、アーティストとしての経験や視点から仕組みづくりを行う事で現状の問題を少しずつ解決していきたい思いがあります。





中本:打合せをしている段階では、現状に対する不満とか、そういったものはあまり感じなくて、それなら自分たちでやるよねっていう感じの方が強かったのですが。



田中和人:モチベーションの話に戻ると、アーティストランのいいところって、自由なところです。環境を自分で作っていくことが、次のモチベーションになりました。この作家たちで展覧会をやることが本当に素晴らしいことだ、見に来てくれる人に会いたい、という意識は常にありました。キュレーターと一緒にやっていくことが、アーティストにとって重要で、成長になる場合は、もちろんあると思います。経験としては自分の中にはまだないだけで。今回の自主企画展では、限られた条件で、最高のものを目指そうと、モチベーションを複合的に保っています。




高橋:所属するギャラリーがあったりすると、枠に縛られずに発表しようと思ったら、アーティストランでないとできないことがあるように思います。「アブストラと12人の芸術家」が、ニューヨークや関東からアーティストを呼んだりされているように、僕も過去の展覧会で他の地域の見知らぬ作家と一緒に展覧会ができるというのは、モチベーションになりましたし。



中本:アーティストランは、決してお金がもうかるものではないので、モチベーションは大事です。それがないと企画すら成立しない。とは言っても、収支の話も大切だと思うので、それぞれの予算規模についてお知らせします。「溶ける魚」30万円。「パズルと反芻」は収入が10万円~。あとはブックレットの売り上げ。支出は54万円~64万円。「MOVING」は、280万円。「Kyoto Open Studio」は50万円、「京都藝術」は30~40万円、「アブストラと12人の芸術家」は150万円ぐらいとのことです。主な収入源についてですが、「MOVING」は企業協賛、助成金から計180万円ご支援頂きました。企業協賛が株式会社フィールド、株式会社資生堂、助成金が公益財団法人花王芸術・科学財団、一般財団法人ニッシャ印刷文化振興財団、宝塚大学です。舞台関係の知り合いが多くいたので、ノウハウを聞きながらイベントの内容を考えました。「Kyoto Open Studio」の助成50万円はどこからですか。



田中英行:NPOのメンバーが全国税理士共栄会文化財団という助成金を見付けてきてくれました。



中本:「アブストラと12人の芸術家」も資生堂から企業協賛をもらっていますね。



田中和人:初めてだったので、いろいろやったことがある人を紹介してもらいました。初めてのイベントで、会場も知名度のないところだったので、厳しかったです。助成申請は1年ぐらい前に出さないといけないので、その段階だと参加作家も確定していないし、タイトルも仮で。そりゃ、落ちますよね。資生堂に申請した時は、後の方だったのでちゃんと資料ができていたんです。



田中英行:「Kyoto Open Studio2011」は、ニッシャ印刷文化振興財団から助成をいただきました。その前は、助成金に申請できるほど充実した資料がなかったので、各共同スタジオから予算を集めていました。継続してやることで、助成金も取れるようになってきました。



京都藝術2010トークイベント/ヤノベケンジ/名和晃平/金氏徹平/Antenna/矢津吉隆 photo by OMOTE Nobutada




中本:衣川さん、ギャラリー・フロールの展覧会会場費の半額補助、というのは、制度としてあるんですか。



衣川:展覧会募集というのがあるんです。運営費の半額が出るというもので、会場選びの理由にはなりました。



中本:入場料と参加費についてですが、展覧会で入場料をとったのは、「アブストラと12人の芸術家」だけなのですが、これは収入源として一番大きいんでしょうか。



田中和人:協賛と同じぐらいです。個人協賛と企業協賛って違うように聞こえるけど、企業って言っても公募している資生堂とは違って、メンバーが知っているところを周って集めてきたものです。それが個人か企業かっていう違いで。ホームページを見て、善意で協力してくれた人もいて、それが結構集まりました。展覧会にプラスして、記録冊子の作成をするということに決めていました。冊子制作はお金がかかります。協賛だけでは足りなくて、入場料でその分をまかなおうと考えました。ひとりで始めたことだけど、12人の作家が声をかけてたくさんの人が協力してくれて、みんなが同じような気持ちになってくれたっていう、ひとつの証拠になったと思います。




中本:物販等もありますが、入場料は継続して自立できる収入源だと思うのですが、他の展覧会は何故、入場料をとらなかったんですか。



高橋:その質問に答える前に、みなさん、プライスリスト等は作らなかったのですか?「パズルと反芻」は、入場料を取らない代わりに、作品を販売しました。作品が売れれば展覧会にかかる費用がペイできる。入場料をとるのもアイデアのひとつですが、それを管理するスタッフのコストを考えると、物販で対処できるかな、と答えられると思います。京都でも東京でも、収支決算に入れてないですが、それぞれ作品は売れました。



衣川:「溶ける魚」は、会場のギャラリー・フロールが教育機関でもあったので、入場料をとることができませんでした。ただ、作家活動として、金銭的なものが還元できるのであれば、ということでギャラリーPARCのような街中のギャラリーをサテライト会場として、売買できる状態に設定はしました。




水野:京都芸術センターがメイン会場で、普段、ギャラリーは無料で運営されているので。映像作品を集めた展覧会だったので、入場料取らない方がいいか、ということでそうしたのもあります。




中本:「MOVING」は、出展作家に一律4万円を支払っているんですが、東京の作家の方とか交通費だけでも持ち出しになる可能性があるので、作品を収録してもらったDVDの販売をして、売上から経費を差し引いて、残りを均等に割って渡しました。個人協賛とか寄付金、少額出資は、あまり日本で定着してないと思いますが、どうですか。



田中英行:「京都藝術」は当初は個人からの寄付をかなり集めました。いろんな人に企画の意義や熱意を伝えてまわりました、少人数での草の根的な予算集めにはものすごく体力を使う。断られることも多いので効率も良くない方法でした。



田中和人:イベントをやるのにお金を集めるのがたいへん、というのは当たり前のこと。みんなでモチベーションを保つために、集めてきてくれた人を褒めるとか、感謝するとか、そういうすごくダサいことが、大事です。日本でドネーションの仕組みがないとか、今から作って何年かかるんだ、っていう話で、間に合わない。幼稚な青春談みたいなもの、部活的な感じは、美術館とは違うアーティストランには、意外と必要だと思います。



中本:動員数ですが、「アブストラと12人の芸術家」は1600人、「溶ける魚」1300人、「パズルと反芻」は両会場でカウントしているところだけで900人、「MOVING」5316人、「Kyoto Open Studio」は1500人、「京都藝術」は未算出です。会場から、質問を受け付けたいのですが。



会場:ひとつは、このトークに参加するモチベーションが、みなさんにどれぐらいあるのか。ふたつめは、タイトルの「キュレーター不在」について。いる、いないとかが悪いではなく、いないことでよい点、悪い点、いることでよい点、悪い点などをうかがいたい。



中本:僕は自分で企画したので、こういう機会があったらいいなというのは、考えていたので、モチベーションはあります。



田中和人:公の場所でやるのはいいなと思いました。ある意味で展覧会をやりっぱなし、という感じもあったので、概要的なことをまとめて話す機会にもあるので、意味はあるなと思いました。



衣川:「溶ける魚」が、この中で一番直近の展覧会です。動員数など、目に見える結果だけを求めているわけではないし、こういう形で座談会の要素になれるのはうれしい。



高橋:アーティストランの企画って、ここの5組だけではなく沢山あって、京都ではデフォルトのような気が。しかしアーティストランに特化したイベントは、今日が初めてかもしれない。現在はアーティストラン含め、色々な種類の展覧会が乱立している状態であるということは言っておきたかったです。モチベーションとしては(このようなイベントを)先にやられたな、っていうのがあります。





田中英行:充実した企画をやっている人が集まっているので、それぞれの知恵を持ち寄って、このトークをきっかけにし、京都全体を巻き込む大きなアートイベントでも開催すれば盛り上がるんじゃないかと思っていたので、最初はこのトークに対する期待値は大きかったですね。ただ受け取ったトークのレジュメは各イベントの情報と概要が主になっていて…



水野:モチベーションどうのというより、お客さんに知ってもらう機会が作れたというのがいいと思っています。




会場:このトークという形態の目的はなんですか。せっかくこれだけ、いろんなアイデアを持っている人が集まっているのに、あまりいい時間になってないのは、すごくもったいない。



高橋:トークよりも展覧会を見てほしいですけどね。トークやディスカッションがアートの実践になるのか、というと、僕は必要なものではあるけれど、あくまで二次的なものだと思っています。トークがアートの実践になるのだとすると、(ネタとして語られる)展覧会や作品はつまらなくてもいいっていうことですよね? キュレーター不在についてですが、美術館で展覧会を見る機会は多いですが、誰が企画して誰がどういう作家をチョイスしてという、キュレーターの名前が明示されているものって少ないような気がしていて、不在という点で気になっていたのは、そういうところです。もう一つは、「MOVING」はキュレーションをしないという姿勢で、作家の選定は実行委員がした。「パズルと反芻」は作家が二人なので、このふたつの展覧会を見た時に、キュレーションというものが入っているのか、いないのか、ということが気になっていました。キュレーター不在なのか、キュレーション不在なのか。



田中和人:自分がキュレーションということに対してまだまだ勉強不足ですが。僕は作家の中にもまだ出てきていない部分があって、それを抽象というテーマで新作を作ってもらうことで、大事なものが出てくるんじゃないか、それを見たい、と思う作家に声をかけました。感覚だけで頼むというのとも違って。説明してダメだった人もいます。これをキュレーションと呼べるか分かりません。



田中英行:目的が違うので「Kyoto Open Studio」や「京都藝術」は選定に意図を入れないことに気を遣っています。展覧会にはキュレーターの意図やメッセージがあって、そのために作品を選定する。展覧会を構築する上で作品に対するキュレーターという第三者的な立場から見た客観性は重要な要素だと思います、アーティストが企画した展覧会に自身の作品も出すことはよくあると思うんですが、それをやる限りは、客観的な視点で伝えたいメッセージや新たな価値を構築することって難しいんじゃないですか。



中本:キュレーター不在っていうのはありえると思うんですが、キュレーション不在っていう状況はありえるんでしょうか。なるべく意図が入らないようにするというのも、限界があると思いますが、それはキュレーションの質と方法の問題のような気がします。





会場:この会場でアートにかかわっていない方ってどれぐらいいらっしゃるんでしょうか。(数人が挙手)田中英行さんが先ほど面白いことをおしゃってましたが、こういう中でどのように発信していくのかはというのは健全な感じがしました。内輪でぐだぐだこんな話をしていても仕方がない。今回のように京都で同時多発的にアーティストランのプロジェクトが起こったということの意義や意味について話し合われるのかなと思って今日は参加しました。経過を報告して共有してっていうことですが、共有している先が、見知った人ばかりなので、聞いている側もつまらない。実際、もう少し大きなくくりで、日本の社会、京都という磁場でアートの意義を、どう考えるのかということを話し合える場がもてたらいい。



高橋:キュレーター不在っていうのは、アーティストにとってはマイナスな気がします。キュレーターがいない方が、逆に不自由な気がして。アートの意義を、京都の社会でプレゼンテーションしていく時に、キュレーターに立ってもらうのは、回路がひとつ出来ていくということですよね。



会場:やっている意味、誰のためにやっているのかをみんな考えているのかっていうことです。つなげる先をどんな風に見据えているのか、ということを問題にしていかなければならないんじゃないですか。



高橋:同意見です。ただ、作品の社会的な意味を、一からプレゼンして、市民や社会に開きながら展覧会をするというのは、アーティストにとってはたいへんだと思います。キュレーターはいた方が、というのが僕の立場です。それに対抗するなり、違うアンサーを返すなりをアーティストは出来る。あと、キュレーターは不在じゃないけど、関西では目立たないのかもしれない。しかし実際、キュレーターはアートの業界で力を持っていると思うんです。



田中英行:アーティストは作家活動がメインなので、アーティストランの展覧会をずっとやりたい人は多くないと思う。このトークをきっかけに一緒に動きだしてくれる人がいたらいいと思って、今日のトークに参加しています。アーティストはインディペンデントな立場の人が多い、でもキュレーターは何らかの体制に属している場合が多い。自分達アーティストのように自由な立場や目線で話せる事は少なく、それが問題かと。作家同士で集まった時には新たなシーン、時代を自分達でつくりあげよう。という話で盛り上がることも多く、じゃあ自分たちでやってしまうかとなることも多い。



高橋:次は、キュレーターの方々で集まって「アーティスト不在」というトークをやったらどうでしょう。いや、不在ではないんですが。むしろ、アーティストとキュレーターの関係をテーマに話し合った方が建設的な感じがします。



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