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京都の現代カルチャーと芸術の未来

2016.08.30

京都文化芸術コア・ネットワーク総会「京都の現代カルチャーと芸術の未来」レポート

京都の文化芸術を支える活動を行う専門家等で構成される「京都文化芸術コア・ネットワーク」の年次総会が京都芸術センターで開催された。その際に行われたディスカッションを、平田剛志氏がレポートする。

 京都文化芸術コア・ネットワーク(Kyoto Arts Core Network)の総会「京都の現代カルチャーと芸術の未来」が、去る2016年6月19日に京都芸術センターにて開催された。壮大な題目だが、京都の文化・芸術をめぐる状況には、さまざまな動きがいま起こっている。2016年1月に京都会館がロームシアター京都としてリニューアルオープンし、4月には文化庁の京都移転が決定した。2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向けての文化プログラム「京都文化力プロジェクト2016-2020」の開催、2017年には日本・中国・韓国3か国3都市で同時期に文化芸術イベントを実施する「東アジア文化都市2017」(芸術監督:建畠晢)の開催、2019年秋には国際博物館会議(ICOM: International Council of Museums)の「第25回世界博物館大会」の開催と京都市美術館リニューアルオープン、さらに2023年には京都市立芸術大学の西京区から下京区崇仁地区への完全移転など、さまざまなイベントの開催や話題が控えている。

 今後、京都の文化芸術はどうなっていくのか。今回の総会では、京都の「現代カルチャー」の中心にいる人々が登壇者として集まり、3部構成によりディスカッションが行われた。第1部では、芸術の創造、発信の「プラットフォーム」の現場に携わる遠藤水城(HAPSエグゼクティブ・ディレクター)、蔭山陽太(ロームシアター京都支配人兼エグゼクティブディレクター)、仲西祐介(KYOTOGRAPHIE共同創設者/共同代表)の3氏が登壇し、現場の視点から報告と討議がなされた。

 第2部は潮江宏三(京都市美術館館長)、建畠晢(京都芸術センター館長)、山極壽一(京都大学総長)、鷲田清一(京都市立芸術大学学長)という大学・美術館の学長・館長を務める重鎮4氏が登壇した。第1部よりも年齢層が上がり、大局的なテーマで議論や問題点が交わされた。続く第3部では、第1部および第2部の登壇者全員によるディスカッションが行われた。 本稿では、約4時間にわたるディスカッションのすべてを記述することは困難なため、司会進行の小崎哲哉氏が提議したABCD問題を中心に取り上げることでレポートとしたい。

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第1部の様子(左から小崎哲哉氏、遠藤水城氏、仲西祐介氏、蔭山陽太氏)

■第1部

 第1部では司会の小崎哲哉氏が現場編と述べたように、芸術の創造、発表の現場に携わるHAPS、ロームシアター京都、KYOTOGRAPHIEの3者の活動が紹介・報告された。

 遠藤水城氏がディレクターを務めるHAPS(東山アーティスツ・プレイスメント・サービス)は、京都市の「若手芸術家等の居住・制作・発表の場づくり」事業を中心とした芸術家のための「よろず相談所」である。空き家物件の紹介、年間200〜300件の相談対応、アトリエ運営、展覧会・イベントの開催などさまざまな芸術家支援事業を行っている。

 蔭山陽太氏が支配人を務めるロームシアター京都は、1960年4月に開館した京都会館(前川國男設計)の再整備工事を経て、2016年1月に開館した。再整備によって3つのホールを有することとなり、さらに書店やカフェ、レストランなどの賑わいスペースが併設された。2010年から始まった「京都国際舞台芸術祭 KYOTO EXPERIMENT」もロームシアター京都に主幹を移し、今年の秋で7回目を迎える。

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仲西祐介氏

 仲西祐介氏が創設・共同代表を務める「KYOTOGRAPHIE京都国際写真祭」(以下、KYOTOGRAPHIE)は、写真家のルシール・レイボーズ氏と共同で立ち上げた国際写真フェスティバルである。東日本大震災を機に、日本と海外の情報交換の希薄さを感じ、写真を通じた文化的プラットフォームの確立を目指して2013年4月に第1回を開催、以降毎年開催している。コンセプトに「観客・アーティスト参加型」「歴史的建造物を活用した斬新な展示デザイン」「国際色豊かな事務局チームによる運営」を掲げ、開催ごとに春のイベントとして定着してきた。それぞれの活動の詳細については、本稿では詳述する余裕がないので、ウェブサイト等を参照していただきたい。

 司会の小崎哲哉氏がまず3者に提起したのがABCD問題である。ABCD問題とは、Audience(観客)、Budget(予算)、Crossgenre(領域横断)、 Discours(言説)である。小崎氏は、京都現代カルチャーの現場にいる3者に対して、これらABCD問題にどのように対応しているのかを問いかけた。

 その例として、KYOTOGRAPHIEの報告は具体的だった。KYOTOGRAPHIEはアーティストの視点を基本に、仲西氏たちが手探り手作りで進めてきたフェスティバルである。Budget(予算)については、写真祭は利益を出すのが難しく、毎回ゼロないしは赤字からのスタートで予算探しに苦慮しているとのこと。国や市の支援が望ましいと訴えた。Crossgenre(領域横断)は、アーティストと職人や企業との技術的な協働、交流、コラボレーションを活発に行い、作品の見せ方に力を入れている。Discours(言説)は、昨今は厳しい評論がなくなったが、京都在住の批評家の厳しい批評は「イタ気持ちいい」と評し、京都在住者の作品を見る厳しいまなざしを評価した。

 KYOTOGRAPHIEは行政からの働きかけではなく、仲西氏らが主体的に自分たちで始めた写真フェスティバルである。ただの楽しみで始めたわけではなく、フェスティバルの根幹には日本における写真文化の醸成、啓蒙という強いDiscours(言説)が含まれているがゆえに、領域横断や批評を誘発・協働する機会となっているのではないだろうか。

 また、Budget(予算)の問題として、HAPSとロームシアター京都は、京都市が運営・管轄ないしは補助金を交付している施設であり、KYOTOGRAPHIEは民間で立ち上げられた写真フェスティバルという違いがある。今回のディスカッションにおいても、国公立の施設・団体に所属せずに活動しているのは仲西氏だけであり、ABCD問題について国公立施設とは異なる事例を聞くことができた。

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蔭山陽太氏

 Crossgenre(領域横断)については、蔭山氏がABCD問題を備えた活動をしていた具体例として1980年代のダムタイプを挙げ、京都には新しい劇作家を輩出したり受け入れたりする土壌や環境があると指摘した。仲西氏は、京都の特徴としてアーティストが多く住んでいることによる横のつながり、交流を挙げた。KYOTOGRAPHIE開催の際にはHAPSに助成金申請書の相談をしたり、ロームシアター京都に企画を持ちかけたりして展示が実現するなど、横のつながりで活動が広がった例が語られた。遠藤氏は、京都には大学、美術大学が多く、美大生、芸術家の多さが特徴であると指摘した。また、日常のなかに伝統文化、生活文化があることは、クオリティの参照点があることを意味し、デメリットを感じない、希望しかないと語った。

 最後に小崎氏から2015年に開催された「PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015」の評価の是非を問う質問が出されたが、3者の「観客(Audience)」としての「批評(Discours)」を引き出す有益な質問であった。3者の返答は概ね否定的な見解が共通していたが、展示を見ていない仲西氏、展示を見切れなかった蔭山氏に対して、展示を見てTwitterに感想を発信した遠藤氏は芸術祭というのはいろいろなものや人と出会う場であること、「異質なものは普通の日常世界では出会わないけれども、祭りだから出会う。出会いが芸術祭の楽しみの本質」と指摘し、PARASOPHIAでは「出会い損ねが多かったんじゃないか、本来的にはもっといい出会いがたくさん起こったんじゃないか、もったいない側面があったと思います」との返答が印象的だった。

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遠藤水城氏

■第2部

 第2部は、現役の館長、学長を務める京都市美術館館長の潮江宏三、京都芸術センター館長の建畠晢、京都大学総長の山極壽一、京都市立芸術大学学長の鷲田清一の4氏が登壇した。全員60歳を超えた重鎮である。第2部でも、ABCD問題について質疑がなされたが、話題が多岐に渡ったため、項目別にコメントを取り上げて、その内容を概観したい。

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第2部の様子(左から小崎哲哉氏、鷲田清一氏、潮江宏三氏、山極壽一氏、建畠晢氏)

■Audience(観客)

 京都の文化芸術の問題点として、潮江氏から京都市美術館の問題点と2019年にリニューアルオープンが予定されている美術館の改修案について報告がなされた。京都市美術館の問題点として、ここ20年間に現代美術の展覧会を開催してこなかったことで京都の人が現代美術から遠ざかってしまったと言う。入場者が少なくても、小さな展覧会でも、しなければならない。それによって観客は現代美術に慣れることができる。「チャンスを作らなければ、発見の機会もない。京都市美術館が、(現代美術展を)できてなかったことは確固たる事実です」という認識を示した。それでは今後どうするのか。その答えの一つとして現代美術のギャラリーを新設すると発言した。

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潮江宏三氏

 この発言からわかるのは、京都の人々は現代美術を見る機会、「発見」する機会を逸してきたことである。第1部の遠藤水城氏の言葉を繰り返すならば、観客は現代美術と「出会い損ね」てきたと言えるだろう。京都市美術館のリニューアルによって、京都の観客と現代美術とが「出会う」一層の機会に期待したい。

■Budget(予算)

 鷲田清一氏からは大学や大学卒業後の問題点が指摘された。まず、日本社会においては正社員よりも非正規職の雇用が増加している。大学院博士過程修了者も任期付き非常勤職に就業する者が多く、大学の研究者志望を減少させる一因になっている。大学は国からの交付金が年々減少しており、教員は研究体制の維持のため外部資金を得る必要に駆られ、セールスマンのように申請書や報告書の作成に追われている。それにより、若い学生たちはセールスマンのような教員や非正規職の先輩を見て絶望的な気持ちになる。鷲田氏は、芸術分野においても同じことが言えるという。

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鷲田清一氏

 芸術家を志望する人たちは、職業人にはすぐなれない。早くて10年はかかる。美術では30、40歳になっても、それだけで食っていくのはなかなか難しい。それでは、芸大の教育責任とは何か。卒業させたら終わりではなく、卒業してから最低でも10年間耐え忍び、それでも諦めないで活動を続けられるような環境を作ることが、大学の使命だと述べた。 芸術家が卒業後すぐに活動することはいつの時代も困難であることに変わりはなく、美術館の学芸員、アートマネジメントの業界においても共通する課題である。鷲田氏から提案があったように、芸術におけるパトロネージ(パトロン)の仕組みの具体化も必要となるだろう。それは「芸術家支援」を行うHAPSの活動にもつながるものである。また、労働・雇用問題については、大学だけではなく、社会や経済界、地域など領域を越え(Crossgenre)て取り組むべき課題である。まずは京都市立芸術大学の働き方をめぐる先進的な試みに期待したい。

■Discours(言説)

 建畠氏は、近年よく使われるヘリテージ、レガシー、レジェンド、アーカイブ、オーラル・ヒストリーなどのカタカナ英語に着目したDiscours(言説)を述べた。これらの言葉は、すべて過去へのまなざし、直近の過去だという。例えば、世界遺産登録されたル・コルビュジェ建築、モハメド・アリとジョージ・フォアマンによるキンシャサの奇跡、1964年の東京オリンピック、ダムタイプの古橋悌二の代表作《LOVERS 永遠の恋人たち》の修復と展示、近年の具体美術協会の再評価など、過去の歴史的建造物、作品や出来事が語られるとき、自分たちの直近の過去にスタンダードを求める願望があるのではないかという。

 一方、京都は参照できるヘリテージ(世界遺産)やスタンダードな伝統文化が多くあり、直近の過去である走泥社やダムタイプなどの芸術作品やそのアーカイブに接することも可能な都市である。京都市美術館においても「直近の過去」の作品がコレクション(アーカイブ)され、スタンダードが継承することを望みたい。

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建畠晢氏

■Crossgenre(領域横断)

 アーカイブとも共通するが、山極氏からは京都は参照できる文化(財)が日常にあり、京都の人は肌に染みついているという。

 京都のいいところというのは、いろんな生活の用具や建物や衣服や料理というものが、歴史を持っている点にある。それらが、自分の身体に語りかけてくる。それが歴史的な厚みとなっている。つまり、京都人は、あたりまえのように芸術によって作られた空間に住んでいる。それが京都の文化になっている。何をやるにもそのフィルターを通って、発言をしていく習慣があるから肌身についたものになる。

 ところが、京都大学の学生たちは、そういうことを体験せずに入ってくる。外から来る人たちも多く、そういうものを通した表現法を知らない。それがデザインとか芸術、工芸を通して、自分の肌に染みついていけば、表現方法が変わってくる。科学のアイデアをプロダクションとして表現できるようになるということを述べる。

 だが、今後ICT(Information and Communication Technology)社会が到来すれば、これまで構造物のなかに住んで文化を感じ取っていた人間が、インターネット空間の情報を生活環境とする事態が訪れる。人間が他の生物と違うのは、生活環境を自分の手で作り出すことができる点にある。自分の身体に何をとり込むのか、私たちが今後作るべき生活環境とは何かがいま問われている。

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山極壽一氏

■第3部

 第3部においては山極氏からICT社会の到来に向けて、その可能性が第1部の登壇者に投げかけられた。

 遠藤氏は、アーカイブとシェアリングのおもしろいかたちとして2chやニコニコ動画などの仕組みを指摘し、蔭山氏からは、東日本大震災を機に情報共有、交流、政策提言を視野に入れた舞台芸術制作者オープンネットワーク「ON-PAM」(http://onpam.net/)の取り組みが紹介された。京都文化芸術コア・ネットワークの活動もまたこのような事例に含まれるだろう。

 小崎氏はSNSが人々の意見を分断している状況を指摘し、山極氏からはダイアローグ、直接人と人が出会う「場」の必要性が強調された。その意味で京都という「場」は、街のサイズ感がちょうどよく、自分たちでコントロールできる都市だという見解が共有された。そして、京都(人)の批評性、リテラシーへと話題は進んだ。

■Discours(言説)

 山極氏は、京都市の147万人の人口は、専門家ではないが批評家集団としてうるさく、それが京都で生まれた作品の質を保証しているという。「芸術に対する見方にも、これくらいの規模のコミュニティであればこそ、何か保たれているものがありはしないか」と述べた。

 この意見に潮江氏も同意し、京都の「冷たい目」のエピソードを紹介した。画廊が押す若い絵かきが展覧会デビューし、東京の人たち、批評家などが訪れて褒めるが、京都の人はそれを見て、何も言わず黙って帰ったという。このエピソードに象徴的な京都人の「黙って帰る」批評を潮江氏は「この冷たい目に会うことによって成長していくというところがある」と述べ、京都の独特な批評の奥深さを伝えた。

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小崎哲哉氏

■Audience(観客)

 小崎氏が提案したAudience(観客)へのリテラシーの必要性については登壇者から反論があった。鷲田氏は哲学カフェ、せんだいメディアテークの試みを紹介し、上から目線ではなく専門家と専門外の人々がともにダイアローグをする場の重要性を指摘した。それを受けて建畠氏は「ディベートではなくてダイアローグがコミュニケーションの基本。違いがなければコミュニケーションは必要ない。違いがあるからこそ、コミュニケーションが要る」として、ボードレールが美術館について語った「諸国民が議論をせずに友愛を深め合う場所」(*1)の言葉を紹介し、理解や知識ありきではなく、「友愛を深め合う場所」としてのアートの重要性を述べた。

 蔭山氏は、オーディエンスとリテラシーの関係について、まつもと市民芸術館の例を挙げ、来場者が少ないと人が入っていないと考えてしまう。だが、東京と地方都市ではマーケット規模が異なり単純に換算できない。観客の質でいえば、地方都市はリテラシー、批評性が高く、「単に数ではなくて、質も意識する必要がある」。また、京都は狭いエリアだが、京都府の他の都市、劇場とどのような関係性を持つのかを意識すると、東京と地方の問題を考えることに通じるとし、広い視野から意識することを促した。

■芸術の未来の課題

 最後に、このディスカッションの問題点をAudience(観客)の視点で検討したい。

 今回のディスカッションは、専門を問わず国内外で実績を有する文化芸術の「コア」にいる登壇者だけに、観客にさまざまな課題を投げかけた濃密なディスカッションであったが、第1部と第2部の登壇者がクロスディスカッションするまでには至らなかった。より一層のダイアローグの必要性を感じた。加えて、今回のディスカッションにおいて女性の登壇者が一人もいなかったことは残念だった。女性の管理職・長職の少なさは、日本特有の男性の長期雇用を前提とした労働慣行や社会制度、構造的歪みに由来するもので、京都だけの問題ではない。だが、(任期付きの非正規職が多いのが現状ではあるが)京都の大学、美術館をはじめとしてロームシアター京都やHAPSなど文化芸術の現場には多くの女性が従事している。ABCD問題においてクロスジャンルが主張されながら、同世代、同性の視点で「領域横断」を主張しても限りがあるのではないか。性別や雇用形態の違いで文化芸術の「コア」にいない人々に「黙って」「冷たい目」を向けるのが京都の「批評」や「環境」なのだろうか。

 さらに、ディスカッションのなかでも何度か名前が挙がったが、『京都ぎらい』の井上章一氏がディスカッションに参加していたならば、どうだっただろうと考える。登壇者個々の発言は、これまでの研究や活動、見識や人柄がうかがえ、興味深いものではあった。だが、「京都好き」であることが、京都の芸術文化の領域に潜む問題を見えなくさせている点もあるのではないだろうか。蔭山氏が第3部において指摘したが、京都市ではなく、京都府という視点を持つことは重要だろう。私たちは「京都市」の気持ちよいサイズ感のなかでしか発想・思考できていないのかもしれない。自分のなかの「洛中の中華思想」を意識することも必要だろう。 さまざま課題を挙げたが、ABCD問題がなくなることはない。このディスカッションですべて語れるわけでもない。また、領域、立場によってもさまざまな意見があるだろう。今回のディスカッションであがったさまざまな問題の議論を深めることが今後の課題である。そうでなければ、未来の京都にレガシー、ヘリテージ、レジェンドはない。

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第3部の様子

(*1)正確には「・・・外国美術の美術館は、二つの民族がそこで一段とくつろいで観察し合い研究し合って、互いに深く理解し合い、議論せずに友愛を抱き合う、国際的な共同体(コミユニオン)であるのだから。」(「一八四六年のサロン」『ボードレール批評1』阿部良雄訳、ちくま学芸文庫、1999年、79頁。)

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