1、AIRという仕組みの多様性:
“Artist-in-Residence”文化芸術の現場で耳にすることが増えてきた名称である。“in residence”とは「居住する、滞在する」という意味で、アーティストが居住者(residence)としてある土地に一定期間滞在し、リサーチ、作品制作、交流などさまざまな創造的活動を行うこと、それを支援する取り組みをAIRと称する。AIRネットワーク準備会は、AIR事業を運営する組織・人材が交流する全国的ネットワークの構築と国内外の現状についての情報発信を目的として2013年11月に設立された。一方、KACN事務局である京都芸術センターは、開設当初からAIRプログラムを10年以上運営するAIR事業者でもある.
例会の前半では、AIRネットワーク準備会から3つのプレゼンテーションが行われた。まず、AIRの制度、歴史と現状についての紹介を、AIR全国ネットワークの構築に長年携わり、海外の事情にも詳しい菅野幸子氏(国際交流基金 プログラム・コーディネーター)が、続いて日沼禎子氏(陸前髙田 AIRディレクター、女子美術大学)から「国内外におけるAIRのネットワーク」の紹介と、ネットワークがどのように機能しているかの報告。さらに、新しい形のアーティスト・モビリティ促進として注目される“Move arts Japan”(代表 小田井真美氏)の活動について紹介された。
現在、日本国内のAIRプログラムは把握されているだけでも60数カ所、小さな単位でのAIRプログラムを含めるとそれ以上の数が存在するという。筆者がレジデンスの取組みに関わりはじめたのが7年ほど前であるが、その当時と比較してもこの数年で実施団体の数が急増したという印象がある。AIR事業に継続的に取組む団体の地道な活動の成果に加え、近年の文化庁の助成により、多くのプログラム運営が可能になった結果であると考える。また、先進的な取組みとして、組織の中にアーティストを異分子として取り込み新しい発想を引き出す、いわゆるマレビト的効果を期待するプログラム、Artist in Company, Artist in School, Artist in Hospitalなど、AIRから派生した多種多様な取組みがあることも紹介された。一方で、国内AIRの海外への情報発信が十分ではないこと、またAIRプログラムに対する定数的な評価が難しく、創造や文化のプロセスを数字以外で評価する方法が日本ではなじみ難いという課題が指摘された。
後半は、ケーススタディーとして多様性に富んだAIRプログラムを紹介しつつ、AIR事業者のネットワーキングの必要性についての議論が行われた。その中でも印象に残ったプログラムについて次に紹介したい。
2)アーティストの移動と定住:Move arts JapanとHAPSの取り組み
「アーティストのための旅サイト」として、3月にリニューアルされたばかりのMove arts Japan(http://movearts.jp)の取り組みはなかなか興味深い。従来のAIRプログラムでは、運営団体がアーティストを選抜し、プログラムの目的に沿って活動を行う。一方、Move arts JapanはAIRプログラムそのものではなく、アーティストが目的に合わせてプログラムや施設をマッチングできる目的別AIR検索サイトである。旅行サイトでいうとトリップ・アドバイザー的な機能を持つ。アーティストが移動する理由は、例えば、制作・発表、リサーチ、リラックス、新しい出会い、文化体験を求めるなど、さまざまであり、また、受入れるAIR事業者の目的も異なる。従来のAIRとは逆転のアプローチで、アーティストの移動、流動性を促す仕組みとして、今後の情報のさらなる充実が期待される。
これとは真逆の方向性を目指す「東山アーティスト・プレイスメント・サービス(HAPS)」では、京都に若手アーティストの定住を促す取り組みを行っている。HAPS エグゼクティブディレクターの遠藤水城氏は、AIRとは目的が少し異なると前置きしつつ「地域にアーティストを迎え入れ、定住を促すこと、これもひとつのAIRの作り方だ」と話す。HAPSでは、アーティストの制作と生活の場のサポートに留まらず、キャリアを築くためのさまざまなサポートを提供している。例えば、海外からキュレーターを京都に招待し、アーティストとの出会いをつくる海外の窓口機能、アーティストが海外へ出て行く準備として、英語のポートフォリオ作成講座、海外レジデンスの情報提供や相談窓口など。個別のアーティストに対してきめ細やかなキャリアサポートを行うことで短期的なアーティストの流動性を促しつつ、長期的には定住場所として京都に戻ってきてもらうことを目指す。これら2つのAIRは「移動と定住」とその目的は対照的ではあるが、共にアーティストの視点に立ったサポートという点で共通している。
この他にも、オランダの文化交流団体と京都市景観・まちづくりセンターが共同で開催する「京町家AIR」、京都芸術センターが今夏に実施する3カ国を巡る短期派遣型AIRフェルトシュテルケインターナショナル、廃校の芸術利用のリサーチ、マイクロレジデンスの紹介など、さまざまな事例報告がなされた。本サイトでは全てを紹介しきれないが、詳細については文末のAIR事例紹介リストを参照されたい。
3)文化芸術ネットワーキングの可能性と課題:
かつてAIRの成り立ちは、アーティストが異なる土地で創作に集中する環境を提供するというシンプルな目的であった。しかしながら、現代のAIRは、環境問題、地域振興、ポリティクス、ジェンダー、ポップカルチャーなど様々な社会現象や問題と結びつき、それらの解決や発展の糸口のためのプログラムという位置づけが特徴的である。AIRネットワーク準備会の日沼氏はこれをAIR=社会装置と表現する。先に紹介した事例が示すように、複雑に変化する社会において、さまざまな役割を持たされるようになったAIRプログラムを画一的なシステムとして捉えることは容易ではない。それでは、多様なAIR活動をネットワーキングすることの意義とはどのようなものであろうか。
後半のディスカッションでは、KANCから「ネットワーキングは、人的交流や情報交換以上の何が可能か?」という問題提起がなされた。実際の現場では、AIR事業を運営するのに精一杯で、アーティストの活動に対して、情報発信、評価、フィードバックが十分に出来ないという悩みを多くの事業者が抱えている。AIRネットワーク準備会の設立の動機は、このような悩みに対して、レジデンス事業者が交流し、課題を情報交換することで現場に有益なシステムをつくることが目的であると定義する。具体的な方法としては、シンクタンク機能、アーカイブ機能、海外への情報発信、ネットワークの構築、調査研究、コンサルティングなどを挙げる。ネットワーキングによって、現場が効果的に繋がる仕組みをつくり、AIRの意義や社会的位置づけを明確にすることは意味のあることだろう。しかし、アーティストにとって、AIRは作品を制作し発表するための手段であり、AIR運営側が意図する社会装置とはまた異なる認識であることも心にとどめておきたい。
今回、二つのネットワーク組織が課題とする「文化芸術のネットワークは何を実現することが可能か?」について、異なる立場からのディスカッションを聞くにつれ、ネットワークとは生き物のようなものだと感じた。上手くゆく時も、そうでない時期もあるだろうし、手入れを怠らず、更新され続けることが求められる。効果的なネットワークやシステムの構築を目指しつつも、ある程度の自由や柔軟さ、遊び心を持ちつつ、アーティスト、運営者が互いに利用し合い、したたかに、しなやかにこのネットワークが更新されていくことを期待したい。
AIR事例紹介リスト:
京都芸術センターアーティスト・イン・レジデンス
フェルト・シュテルケ・インターナショナル
Move arts Japan
東山アーティスト・プレイスメント・サービス
廃校・旧校舎の芸術文化活用調査
京町家AIR /日蘭文化交流事業