舞台芸術

演劇の複製は可能か?―「複製技術時代」の演劇を考える

2013.12.10

あごうさとし(劇作家・演出家)

近年「複製技術の演劇」をテーマに演劇作品を発表し、2014年9月にはアトリエ劇研(ⅰ) のディレクターにも就任されるあごうさとしさん。今回は、ご自身の作品や京都の演劇についてお話を伺いました。

―最初に参加された劇団「WANDERING PARTY」ではどのような活動を行っていたんですか?

様々なジャンルのものから影響を受けて、自分たちなりに消化して新しい感覚の娯楽劇を創作したいという事だったと思います。基本的に娯楽劇ということでやっていましたが、後半になると抽象的で身体表現を伴う演出作品に変化していきました。初めの頃は強い主体性というものがなかったのですが、途中から自分がやりたい方向が見えて、活動が変化してきたように思います。 僕は、「忘れられたもの」とか「忘れられているもの」とか、そういうものに光を当て、どういう形で抽出しようかといつも考えています。個人的な昔の記憶だとか、他者の記憶だとか、長い歴史のスパンの中のものだとか、そんなものを現代の自分たちの中にどういう形かで持ってくるという。何か「救済」とかというと大げさで、宗教がかって来るし微妙な感じが漂うわけですけど、そういうマインドがあるようです。隅に追いやられているもの、蓋をされてしまったものなどに、触れてみるということです。

―解散後は劇団を作らず、1人で活動されていますね。

個人的には劇団という組織を続けていきたかったのですが、結局解散しました。そうなった時に、「1人でやる」という事を受け止めたいと考えました。演劇は集団作業ですが、芸術はどこか宗教儀礼から外れたタイミングで、「個人のもの」っていう側面が強くあると思うんです。「個」の側面があるから、何か新しいものが生まれてくるということを確認しようと思い、1人でやってみることになりました。ただ、単に1人芝居をやってもつまらないので、登場人物が複数出てくる戯曲を1人でも上演可能な工夫 ― 映像とか特殊メイクという技術を引用して、いわゆる「1人芝居」でないものを作っていこうと考えました。初めはイオネスコの『授業』やベケットの『しあわせな日々』を、映像メディアを使って上演しました。

『しあわせな日々』撮影:三谷正

―なるほど。そこで「複製技術」の考えが基になった訳ですね?

いえ。恥ずかしい話なんですけど、「複製技術」は後付けなんです。実は、ヴァルター・ベンヤミン(ⅱ)に出会ったのは、やなぎみわ(ⅲ)さんのプロジェクトに劇作として参加させていただいた時です。作品のテーマが1920年代のヨーロッパと日本のアバンギャルドに関することでしたので、ヨーロッパの当時の前衛について猛烈に勉強しました。そうすると、ヴァルター・ベンヤミンという名前がいろんなところで出てきました。『複製技術時代における芸術作品』(ⅳ)に出会ったのも、この過程の中でした。自分が今当たり前に使っている映像演出とは何かをきちんと考えた方がよいと思いあたり、ベンヤミンを取り上げた連作を考え始めました。演劇で映像演出することそれ自体には何の新規性も面白みもないのだけれど、それを自作の手法として用いているから、その存在理由をベンヤミンの考えによって裏打ちしたかったのです。ベンヤミンは難しいですが、ここ数年の活動の大きな土台になっています。演劇の複製可能性についての検証、或いは、演劇作品自体の複製化という主題を得ることになりました。

『―複製技術の演劇―パサージュⅠ』 撮影:三谷正

―「複製技術」ということでは、一連の『パサージュ』公演がありますね。

ベンヤミンについて考えるうちに、ベンヤミンそのものをテーマに連作という形で発表を始めたました。『パサージュⅠ』は映像と生の俳優の関係に着目し、映像が生の身体に拮抗するかどうかを確認したかったのです。映像が「主」たる登場人物で、生の俳優が「従」になることが出来るのかどうか。あるいはそこまでひっくり返らなくても、拮抗して、同じ重さを持ったものとして認識してもらえるかどうか。ベンヤミン風に託けていうと、「俳優のアウラは複製されるかどうか」みたいなことです。試みとしては簡単で、公演のほとんどが映像の演技で、5分程度しか生の俳優が出てこない。ただ、その空間が演劇として成立したら、演劇の複製可能性や俳優のアウラの複製性ってものが少しはあるのかなと。結果、多くの方にお越しいただいた中で、「演劇じゃない」と言った方は1人もいなかったので、一応成功だったと思っています。 『パサージュⅡ』は、昨年の「鉄道芸術祭」(ⅴ)で上演させていただきました。ここでの課題は、観客の身体が劇空間を担うかという問いかけでした。 会場内に長いプラットホームの舞台美術が設置されたのです。レールも引かれて、ひな壇の客席があって、奥行きが異様に長い舞台でした。ひな壇の客席は使用せず、お客さんには、舞台であるホームに自由に立って頂いてご観劇いただきました。駅で待つ群衆というイメージの中で僕も群衆に混ざってお芝居をしていく。そうすると照明で作る影に実際のお客さんの影が映ったり、ヒトラーの演説の映像を流すとお客さんが演説を聞いている群衆になるとか、劇空間を構成するお客さんの具体的な気配が面白かったんですね。 今年12月に大阪で公演する最新作『パサージュⅢ』は、演劇そのものが複製されるかどうかチャレンジする試みでもあります。「映像と身体」、「舞台空間と観客」という一連の課題を合わせて、俳優を登場させず、劇空間とお客さんの身体だけで演劇作品を作るという試みです。「芸術はいつも原則的に複製可能であった」というベンヤミンの言葉をそのまま受け止めて、演劇も芸術ならば複製できるだろう、という暴論に基づいたものですが(笑)。演劇的な空間と展示的な空間の間を揺れ動くような奇妙な演劇公演を予定しております。お客さんは、展示された音声によって語る「物」を、鑑賞するという行為を通じて、ゆるやかな演劇的な関係性を紡いでいただくという趣向です。訓練された俳優とは違う遊歩者(フラヌール)の身体性が劇空間を満たすというものです。遊歩者の些細な行為の中で、用意された物語と親和したときに、「ベンヤミン的なもの」が浮かんで来ればいいなと思っています。

『―複製技術の演劇―パサージュⅡ』 撮影:井上嘉和

―「ベンヤミン的なもの」、というのは?

多分、忘れらた記憶をどうやって救済できるかっていうことがベンヤミン哲学の1つの肝なんですね。ベンヤミンほど高い知性で考えていたわけではないですけど、僕のやりたいこととベンヤミンの哲学が共鳴するところはある訳です。ベンヤミンは「忘れられた全ての記憶の救済」ということを言うわけで、これはキリスト教のすべての魂が最後に復活してきて審判を受けるイメージと同じで、この記憶版というと話が分かるかもしれません。そもそも忘れらた記憶なんて、演劇では表現不可能なんですよ。だって、俳優そのものが忘れられた存在ではないので。そこで、劇場でもっとも闇に沈んでいる存在って誰なのかと思った時に、お客さんしかいなかったんです。だから今作『パサージュⅢ』では、お客さんの身体を使う工夫をしました。仕掛けは見に来て下さった方へのお楽しみ、ということで。

アトリエ劇研にて

―2014年9月にアトリエ劇研のディレクターに就任されますが、アトリエ劇研についてどのように考えていらっしゃいますか?

劇研という場は熟練者にも若い演劇人にも、どちらにも許容される完成度を持った場所だと考えています。ですから、なるべく幅広い方に、特に若い方に使っていただきたいです。今までもそういう形で歴史的にあった劇場だと思いますので、その経緯は引き継いでいきたい。加えて、ここでクリエーションされたものが、他府県に持っていけるようなスキーム作りもしたいと思っています。さらに、他府県からお越しいただいて京都の人たちに紹介できることもコンスタントに出来ればと考えています。共催事業のようなフレームで長い期間でクリエーションしていただいて、なるべく質の高い作品を初演時から出来るような準備もしたいです。レジデンスなどで海外と交流することも刺激になるでしょうね。国内外のいろんな団体と交流して、進めていけたらなあと。スタッフは、僕を含めて語学の勉強をしなければならんですね(笑)。

―京都の演劇界については、どのように考えていらっしゃいますか?

僕が言うのはおこがましい限りなのですが、京都は地方都市としては活発な地域だと思います。多様で多相なクロスジャンルなことが可能な土壌でもありますし、ある程度腰を据えて出来る環境が整っていることは皆が賛同するところではないでしょうか。若い人も多いですし、若手のクリエーションを支える環境もありますし、この10年は専門の学科も新設され、若い才能がそこからたくさん輩出されています。今は演劇がいろんな人に広がりつつある面白い時期にあるのではないかと思います。これから若い人も、刺激を受けてどんどん育ってくるでしょう。そういう点で京都は恵まれていますし、今こそ演劇をよりよくするためのアクションを起こす時だと思います。 昔は受け入れてももらえませんでしたが、今ではワークショップなども少しずつ企業や小学校などで行われ始めています。普通のビジネスパーソンが演劇を分かってきて、将来的には企業の中に部活動みたいな形で劇団が出来て、年に1回上演するとか、そこで培ったパフォーマンスのテクニックがプレゼンテーションの現場で反映されたりするといいですね。演劇が演劇人の為だけにあるのではなく、児童から社会人ひいてはシルバー世代までが演劇に参加し、それぞれの立場で活用する。こういう社会になると楽しいなと思います。

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ⅰアトリエ劇研:左京区下鴨の小劇場。1984年に「アートスペース無門館」としてオープン、1996年に「アトリエ劇研」改称し現在に至る。京都小劇場の草分けとして、今でも多くの舞台人を輩出しつづけている。演劇・現代ダンス関係者にとっては全国的にも有名な小劇場として、関西以外の劇団の上演も多い。運営は特定非営利活動法人(NPO法人)劇研が行なっている。http://gekken.net/atelier/

ⅱ ヴァルター・ベンヤミン:ドイツの文芸評論家、哲学者、翻訳家、社会学者。(1892~1940)

ⅲ やなぎみわ:兵庫県神戸市生まれの現代美術家。京都市在住。写真や映像をメディアに、「エレベーターガール」シリーズや「マイグランドマザーズ」、「グランドドーターズ」、「フェアリーテール」などで国内外から高く評価される。 2011年~2012年に『1924』3部作を発表。あごうは第2部、第3部の脚本・演出助手を担当した。http://www.yanagimiwa.net/

ⅳ『複製技術時代の芸術』:ベンヤミンが1935年に著した評論。カルチュラル・スタディーズやメディア論の領域に大きな影響を及ぼし、ベンヤミンの評論の中で最も頻繁に引用されるものである。

ⅴ「鉄道芸術祭」:大阪の「アートエリアB1」にて2010年より毎年開催されているプログラム。2012年にはやなぎみわプロデュース「駅の劇場」として開催された。http://artarea-b1.jp/event/tetsugei/

■取材:2013年11月6日 アトリエ劇研にて

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