その他

予言めいたことに真摯に向き合うこと

2013.11.15

「予言と矛盾のアクロバット」

最近はじまった「予言と矛盾のアクロバット」というプロジェクト。ウェブサイトでは「想像し難い未来に対する備え」という一文と、ステイトメント、アーカイブ、参加者のみが知らされ、全容が簡単には把握できない。そこで参加者のひとりであるアーティスト増本泰斗に、自身の考えとともにこのプロジェクトについて伺った。

アクロバットなプラットフォーム


榊原:まず、「予言と矛盾のアクロバット」について、このプロジェクトを始めるに至った経緯を教えてもらえますか?


増本:例えば、いま台風が京都に迫っていて、明日上陸するとする。明後日には台風によって大災害が起こったことになる。でもその可能性を信じて行動するのは難しい。原発の事故でも、危険性をずっと言われてきたが回避できなかった。そのように、なんとなくイメージできていることに対して行動に移せないのはなぜか。つまり、予言めいたことに真摯に向き合うことについて考えていました。それこそ、アートでアクロバットにアプローチできないかと。そうした考えが先にあって、今度自分が住んでいる街で国際芸術祭が開催されることを知った。未だ見ぬ芸術祭が、その思考を進めていくよい材料として立ち現れたのです。


榊原:実際、2011年3月11日以前に、「2ちゃんねる(注1)」で予言めいたことが言われていたけど、でもそれに対してアクションをとった人は極めて少ないという現実が思い起こされます。「そりゃそうだろう」と簡単に言いきれない問題ですが、そこから「じゃあどうしたら動けるのか?」ということと「行動できないのはどういうことか?」と、二種類問うことができるかなと思います。


増本:そうです。さらに補足すると、未来から現在を考え、その集積が別の未来をつくるのでは?という問いもあると思います。そこでアートは何かというと、ある問題を考えるためのリソースをつくったり、考え方のプロトタイプを試したりする領域。この企画もそこを念頭においています。でも何が正解かは分からないので、関係あることから関係無いことまでトライしないといけません。


榊原:それは、参加しているメンバーの皆さんが共有している問題意識なんですか?


増本:どこまで共有されているかは分かりませんが、それぞれ思想も違うので解釈は異なると思います。なので、ここで話す「予言と矛盾のアクロバット」についてはあくまで僕の見解です。また、メンバーではなくてプレイヤーと呼ぶ方が適切です。というのも、この企画はプラットフォームであって、グループではないからです。関わり方にも開きがありますし。
実は、こういう「まとめることをやめる」ような集まりを以前行っていたことがあります。「COLLECTIVE PARASOL(注2)」という共同体ですが、その時はうまくいかなかった。


榊原:どうしても「みんなが共有する問題意識を持つコミュニティであるべきだ」みたいな考え方は、もちろん一理あるとはいえ、つきまといますよね。


増本:そうですね。でも、それだけでは不十分な気もします。なので、失敗しても何か実験的なことを試せる領域を、せめてアートが、あるいはアートのコミュニティが担っても良いと思います。


川勝:いま、「ゆるさ」や「柔らかさ」は社会にすごく求められていますよね(注3)。ただ、それがどういう状態なのかをしっかりイメージできていないのではないでしょうか。もし、このプロジェクトが、柔らかさを追求していく中でどういう痛みがあるかも含めて可視化していくのだとしたら、すごく意味があると思います。これまでの作品や活動でも、あえて負荷をかけて既存のパワーバランスを崩すということはありましたか?


増本:崩すというよりは、ある社会におけるパワーバランスや関係性を改めてトレースするようなことはありました(注4)。


榊原:「COLLECTIVE PARASOL」も「予言と矛盾のアクロバット」も、増本さんにとって「まとめることをやめる」ことを目的としたオルタナティブなプラットフォームである、と言うことができると思います。増本さんにとって「オルタナティブ」とはどういうものなんですか?


増本:ユートピア(注5)を邁進するというか、メインとアンチの両方からある距離をとっているものだと思います。だからこそ、いろいろできる。アートの本質もそれに近くて、知の創出と交換のための実験と検証のサイクルが成立する領域だと考えています。余談ですが、最近は「対話」自体が創造的な媒体であることに気づき、言語空間の中でポコポコと何かが創出されていることに興味があります。


川勝:増本さんは自身の制作の中で完成図を描いたりしていますか?


増本:モノでもコトでもよいのですが、ある仮説に対する試作、プロトタイプが作品だと考えていて、変容を前提としているので、完成をイメージしていることはないです(注6)。



イラスト・撮影:増本泰斗


(注1)2ちゃんねる

日本最大の電子掲示板サイト。別名、厠の落書きアーカイブ。

http://www.2ch.net/


(注2)COLLECTIVE PARASOL

2010年に発足し、京都上桂をベースに約1年半活動していた共同体。アーティストやキュレーターなど様々な形で文化芸術事業に従事しているもの。そうでないものたちが、互いに有機的な連帯を形成しながらも、それぞれの意思で自発的に活動を行おうとしていた。2010年にTate Modernで開催された「No Soul For Sale」という世界中からオルタナティブなオーガニゼーションが集まった展覧会にも参加した。

http://collective-parasol.blogspot.jp/

http://www.nosoulforsale.com/


(注3)ゆるやかな社会

たとえばSNSのような趣味などによるゆるやかな繋がりによるコミュニケーションが盛んに行われたり、シェアハウスのような地縁や血縁によらない離脱可能な居住形態が一般化している。また、企業や行政などでもこれまでのように垂直的な組織構造から、状況に柔軟に対応できるようなネットワーク型への移行が試みられている。


(注4)ある社会におけるパワーバランスや関係性を改めてトレースするような作品

・「The legs of a table」

http://gremiorecreativoescoladepolitica.org/kyoto/723/


(注5)ユートピア

現実には存在しない,理想的な世界。参考になるアートの実践としては、第50回ベニス・ビエンナーレにて、モリー・ネスビット、ハンス・ウルリッヒ・オブリスト、リクリット・ティラヴァーニャの三人が共同キュレーションを務めた「ユートピア・ステーション」という企画がある。

http://www.e-flux.com/projects/utopia/


(注6)ある問題を思考するためのプロトタイプとしての作品

・「客観(歴史を認識すること)」

http://bit.ly/17PY26G

・「陸橋(分断された空間の架け橋そのものになること)」

http://bit.ly/1daD1Z6

http://bit.ly/1dw6PSE

・「Blue, Red, White and Yellow(東アジアにおける架空の国家による争い)」

http://artforum.com.cn/video/id=3964&mode=large&page_id=0




プロトタイピカル・アーカイビング



イラスト・撮影:増本泰斗


榊原:「予言と矛盾のアクロバット」のアウトプットをどう考えていますか?


増本:個人的には、「予言と矛盾のアクロバット」で行われる実践は、想像し難い未来に対する行動モデルになると考えています。それは成功と失敗の両方を含むものになると想像できますが、その集積、プロトタイプ集というか、アイデア集というかティップス集がこのプラットフォームの成果だと考えています。百科事典のイメージですね。いまのところは箱に詰め込むイメージ。見せるときは、時系列か、あいうえお順、アルファベット等、考え中です。その点で『Self-organization / counter-economic strategies(注7)』という参考になる本があって、経済に対抗するオルタナティブな戦略を実践ベースで行った記録が載っています。


川勝:それってアーカイブですよね。一つのストーリーではなく、様々な場面の断片集のようなもの。近代というのは、ある正しいお話を計画的につくれるということで建築や都市をつくろうとしてきた。でもいまはそういう計画という概念自体が疑われていますよね。計画可能な個人や社会なんてないわけです。時間とともに使い手がどういう風に変わるか分からないし、社会状況も激変する。

いまではリノベーションということも当たり前のように行われていますが、おそらくそれは当初の計画にはなかった話なんですね。だからどういうふうにつくられているかとか分からないことが多い。そういう時にアーカイブって有効な考え方になるのではないでしょうか。
全体はないけれど、プロセスの断片がきっちり整理されていて、必要に応じて類似した事例を取り出すことができる。問題は、アーカイブを有効に作用させる構造をどう設計できるかということですね。本だとやはり目次があって、ある項目に対して内容も対応している。でもある状況は複数の属性を持っていたりするので、必ずしもひとつの項目だけに収まるものではないですよね。いわゆる縦割行政というのも一対一対応の構造しか持っていないところが問題なのであって、もう少し緩やかにその都度グルーピングが起こる仕組みが必要だと思います。経路の多数性の確保に僕は興味がある。


増本:色んな見方を可能にさせるためのアーカイブの構造。あるいは、ライブラリーのあり方。非常に興味深いです。


榊原:加えて、プロトタイプにおけるプロセスはすごく重要だと思います。プロトタイプがプロトタイプである理由は、常に完成せずに「あれかもしれない」「これかもしれない」っていう可能性を含んでいる、というところにある。
でも本の場合、ある時点で止まるから、本はそのストップされた切断面を見せてると言うことができると思うんです。増本さんの考えているプロトタイプは、本というよりも、ルーズリーフの束やバインドされた紙くらい。つまり新しくページをどんどん入れ替えられるものだとするとイメージがしやすい。ウェブのアーカイブは割とそれに近いのかもしれないですけどね。プロトタイプがどう生成して移り変わっていくのかを上手くつかまえるための仕組みの設定は、増本さんにしかできない役割なんじゃないかと思うんですね。「予言と矛盾のアクロバット」もその設定のひとつですよね。


増本:これまでの僕自身の実践では、同じことを何回も、言えばプロトタイプの検証をずっと続けているものもあります。水戸芸で展示した壁を倒す作品もそうですね(注8)。あれも何回かやっていて、継続中ですね。


榊原:そこでプロトタイプが変わるっていうのは、壁の倒し方が変わるっていうことですか?


増本:壁の倒し方も変わるし、支える人数も変わる。その場その場に適用している。都度変容していると思う。だから、プロタイプとはいえ、「発展していく」という方向にはありません。
「予言と矛盾のアクロバット」に話を戻すと、発展していく方向の反対、未来から現在に向かい、そこからまた別の未来に向かうという複雑な道筋を辿っています。それは、寓話のようなものかもしれません。例えば、ある男が街に出てきて、明日になったら君たちは皆死んでいて、明後日になったら君たちが生きていたことなんて誰も知らない。そうならないために舟をつくる、と言う、まだ生じていない死者を悼むモーセの話とか。さっき京都に台風が来たらという話はモーセの話をサンプリングしたものですが。


榊原:その話にのっとると、「ありえるかもしれない状況に向けてアクションを起こす」ためには、ありえるかもしれない状況や可能性に対して決断していかなきゃいけないじゃないですか。でも実際には、「ありえるかもしれない可能性」があまりにも世の中に多すぎるから、日々そういう可能性のひとつひとつをいちいち真に受けていられない、という悩みはある。その悩みに対してどう対応させるのかは分からない。


増本:分からないから分からないままやってみても良いかなと。もっと言えばモーセの話の本質も、自分なりにしか理解はしていないし。


アメリカ先住民の箴言 イラスト・撮影:増本泰斗


榊原:この問題は「予言と矛盾のアクロバット」を考える上で、すごくポイントになるのかもしれないなと思っています。予期しきれないことに対して、人間はどう考えられるか、と。


増本:他の例では、アメリカ先住民の、「大地は子孫から借りたもの」という箴言があります。時間概念を反対にして、僕らが生きられているのは未来のおかげと言えばよいのか、とにかく、現状を見つめる時にすごく機能する視点だと思います。


榊原:「こういう風に振る舞えばいいんだ」っていう答えが出てしまうと、それはひとつの固定的な思考でしかなくなる。でも増本さんはその固定的な思考に対して疑っている感じがする。答えのない問いを意識的に立てて、その元でどうトライ&エラーを行うかが気になります。


増本:大切にしているのは、まさにに1から10までやる気持ちです。僕が好きな作品もそういうのが多いです。例えば、中国・広州の地下鉄内で大惨事に繋がる欠陥が見つかった。その情報をどこからか入手したアーティストが、なんとか市民に伝えようとしたプロジェクトがあるのですが、告発しても、ただの都市伝説と思われるので、その状態が引き起こす何かをアニメーションで表現した作品をつくり、Eメールを使って発表した。どこまで効果があるかわからないが、考えられる可能性にかけた事例だと思います。


榊原:この話の中で、増本さんの制作をめぐるキーワードみたいなものが浮かんできましたね。ティップス集、プロトタイプ、アクション......こういう形でまとめられるのはあまり好きじゃないかもしれないですけど、さっき出た「寓話」という考え方も面白いですね。


増本:寓話は、あるアーティストと戦争の話していたときに口をついて出てきました。「予言と矛盾のアクロバット」にもつながりそうで、気になっています。


中国・広州の地下鉄の大惨事につながる欠陥の想像図 イラスト・撮影:増本泰斗


(注7)Self-organization / counter-economic strategies

http://pankov.files.wordpress.com/2010/03/17886868-selforganisation-countereconomic-strategies11.pdf


(注8)水戸芸術館のクリテリオムという企画で展示した作品「Protection」

https://vimeo.com/18836555




逆さまだからオープン



イラスト・撮影:増本泰斗


増本:現在「予言と矛盾のアクロバット」で進行中の個々の企画は、公開するもの、限定公開、非公開のものがあります。僕の場合は、不特定多数の鑑賞者を想定していません。でもプレイヤーとしても、傍観者としても関わってくれることは大歓迎です。ただ、各企画の記録は公開することが前提です。目指しているのは、プロトタイプのアーカイブに、いろんな人がアクセスできること。そして気になったらいろんな場面でそのプロトタイプを使ってもらえる状態です。


川勝:普通作品ってできたら閉じてしまいますよ。オープンなプロセスを持っていても、作品化した途端に定着したものになってしまう。そういう、いわゆる「参加型の作品」とは違いますね。


増本:参加型ではないですし、参加するには、分かりにくい企画かもしれません。でもそんな複雑な企画を、しれっと且つきちんとやってみること、そして、最低限告知だけはしておくこと(注9)を大切にしています。


川勝:こっちのほうがオープンアクセスだと思ったんですよ。「予言と矛盾のアクロバット」のアウトプットの仕方、アイデア集というのはそのアイデアを誰が使ってもいいっていうので、そこへのアクセスが開かれている。
「誰に対しても開かれてる」ではなくて、「誰のものでもないから誰にでも受容できる」っていうのをいかにアウトプットとして出せるかっていうことですよね。


増本:まさにそういうことです。


榊原:ただ、そうした「プロトタイプ」は時間から逃れているわけじゃなくて、それぞれ異なった時間に発生している。だからそれが、「ひとところにある」状態から見てしまうと、とりこぼすものもでてくるし、かえって可能性も広がるかもしれないですよね。

「予言と矛盾とアクロバット」も、これから先50年くらい続く可能性もあるわけで、それで2011年に考えたことと50年後に考えたことは、背景には大きな開きがある。観客の側も100%そのまま額面通りに受け取るのも保証されていない。その点をどういう風に考えられていくのかを聞いてみたいです。


増本:継続していくことで、背景に開きや違いができることは、受け取り方が変化する、変化せざるをえない状態であるとすると、受け売りですが、消費される速度を遅くしている、微力ながら抵抗している状態でしょう。資本主義下では、回収と消費の速度は早く、アートワールドも然りだと思います。展覧会を1年やらないとアーティストとして見られなくなるぐらいですから。むしろ受け取り方が変化する構造によって、そのとき何も感じられないものが、ある時に何かに結実することに期待しています。

また極端な話ですが、アーティストの活動は途中で休憩があっても良いはずです。ポルトガルに、マノエル・ド・オリヴェイラというの映画監督がいるのですが、彼は、20代で映画監督にデビューした後、40年ほど休止して、60歳を超えてから映画制作を再開し、70歳以降は毎年1本映画をつくっています。今年で104歳になります。
彼の存在が、「おい、お前焦ってないかい?」と言っているようで、あくせくしないで良いのだと励まされます。彼に比べたら、僕のアート活動の速度はF1みたいなものでしょうね。


(注9)最低限告知だけはしているプロジェクト
「Picnic(批評家の杉田敦との協働プロジェクト)」

https://www.facebook.com/pages/Picnic/259375414100782


■取材:2013年10月10日 etwにて

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