―河本さんは、これまでに横浜トリエンナーレ2001のアーティスティックディレクターを経験されていらっしゃいますが、今回、PARASOPHIAのアーティスティックディレクターに就任したいきさつ、引き受けた理由を教えてください。
私は、これほど多くの国際展が世界中で開催されているなかで、もし京都が他と同じような国際展を目指すのであれば、開催する意味はさほどないと思っています。京都では他とは少し異なる方向を探ることになります。
今回のPARASOPHIAは、京都経済同友会代表幹事の長谷幹雄さんが、「京都は今のままでは都市の活力をどんどん失っていく、新たな刺激と文化的活力を京都の街に蓄積しなければいけない、その契機として国際的な芸術祭を継続的に開催する必要がある」ということを本気で京都の経済界に訴え、その動きに行政も賛同し支援に回る形で、PARASOPHIA:京都国際現代芸術祭2015の構想が動き出しました。行政主導の国際展が多いなか、この形はとてもユニークであり、私がお手伝いしたいと思った理由の一つです。
国際芸術祭を開催するには、それを動かす組織とその方向性が重要です。私のこれまでの経験だけでなく、他の国際展のうまくいっている部分とダメな部分を検証しながら、京都で何が可能か、優れた内容を実現するためのシンプルでかつ効果的な事務局の体制作りなどもアドバイスできるかなと思いました。
(左から)京都市長 門川大作、京都国際現代芸術祭組織委員会会長 長谷幹雄、京都府知事 山田啓二
―PARASOPHIAのウェブサイトで河本さんが提示したコメントの中に、「美術関係者の知的好奇心も引き付けながら、かつ一般の人にも広く楽しんでもらえるように重層的な内容にしたい」とおっしゃっていますね。京都で国際現代芸術祭をやるということは美術関係者の注目を集めると思いますが、一般の方も楽しめるような仕掛けはあるのでしょうか。
家族ぐるみで外出したついでに、なにも知らなくても、美術館の中に入ってみようかなと誘いこまれるような、魅力的な外見をもった作品をある程度は意識しています。でもエンタテインメント性があっても決して底の浅い作品ではない、少し深く考えるとまた別の体験ができるような、不思議で、変で、でも楽しい、というような入口を用意するつもりです。
PARASOPHIAでは展覧会として幅広く豊かな内容を提供するつもりです。そしてその内容を様々な現場のために解読し伝えていく人たちとも真剣に関わっていきたいと思います。教育の現場の先生方とか、美術教育やアートエデュケーションの当事者の方たちに、PARASOPHIAと関わってほしいなと思います。そういう人たちが京都にはいっぱいいるはずです。
来年度は、アウトリーチの優秀なスタッフも増えてくるでしょうが、彼らが語りかけるのは現場と向かい合う人たちであってほしいし、その人たちのために自分で工夫していってほしいと考えています。
―2013年5月27日に発足したばかりの事務局ですが、6月にはオープンリサーチプログラム[※2]の第一弾、そして2014年2月にプレイベントとして、ウイリアム・ケントリッジの作品展が予定されています。メインプログラムとどのように関わっていくのでしょうか。
つい先日事務局が立ち上がったばかりという状況で、準備期間の二年というのは普通に考えると作家調査だけで終わりますが、過去に実績のない私たちはそれだけではいけないと思います。小さな活動を反復しそれを公開し、PARASOPHIAへの理解者や関係者を増やしていきたいと考えています。
私はこのような国際展が京都で継続的に続けることのできるプラットフォームを作りたいのです。準備段階の二年間は2015年の本番を手伝ってくれたり関わってくれたりする人たちと一緒に経験を重ね育っていくための期間と考えています。そのためのオープンリサーチプログラムとプレイベントです。
2014年2月にウイリアム・ケントリッジの展示をプレイベントとして開催します。この作品は、昨年のドクメンタ13で非常に評判だった≪時間への抵抗≫という話題性のある作品で、今回がアジア初の展示になります。この展示は日本全国のコアな美術関係者は無視できないものとなるでしょうし、作品それ自体が複雑な内容と構造をもち、技術的な難易度の高い設営となります。スタッフとして参加意欲のある人たちにぜひ、展示が実現するまでのプロセスを、スタジオとのやりとりや現場の壁の建込みから機材の設営、音響の調整などを含めてどういう作業があるのかを一緒に経験してほしいと思います。PARASOPHIAの準備に関わる過程で美術や展覧会の運営に自発的に興味を持つ人たちや、本番のプログラムを一緒に盛り上げてくれる人材と出会えることを期待しています。
ウイリアム・ケントリッジ《時間への抵抗》2012年 (c) William Kentridge
―準備段階を含め、今後PARASOPHIAがどのような展開をみせるのか、注目している美術関係者は多いと思います。これから作家の選定、メインのプログラム構成などが決まってくると思いますが、ご自身の中で指針のようなものはありますか。
指針というほどでもないですが、私が気になることの一つは、現在の日本は、均一化が進みすぎて、不寛容になっていることです。自分の知らないものに対する恐れとか、自分の知らないことが世の中にあることが許せない、こうした不寛容な人が多いのではないかと思うことがしばしばあります。そうではなく、最初から世の中には知らないことがいっぱいあるのだと理解するほうがよっぽど健全な気がするのです。それから無駄な努力に対する敬意も、それなりに必要な気がします。
アーティスティックディレクター 河本信治
オランダの70年代から80年代にかけての政府の美術やアーティストへの対応は非常に寛容なものでした。アーティストと宣言すれば補助金がもらえ生活できていた時代がありました。(膨大な書類が必要だったようです)。
オランダでは80年代にはまだ突出した作品は出なかったけれど、90年代に入って一挙に、オランダに在住する作家たちからとても質の高い作品がどっと生み出されたという実例があります。直接的な、目前に効果の見えないものに投資することの大切さをもう一度みんなで考えても良いのではないかと思います。
出品作家についてですが、多分結果的には京都に縁のある作家がある程度の数になると思います。しかしそれは京都が抱える人材の豊かさの証であって、「京都だから」選ぶということではありません。
京都は、本当に様々な種類の人材や知識の蓄積が豊かです。PARASOPHIAを契機に、多様で分散していたそれらが有機的につながり、何か別のモノに変容する瞬間が生み出されれば良いなと思います。PARASOPHIAは楽しい外見を保ちながら、奥の深い読み応えのある、複雑な体験を得ることの出来る展覧会にしていきたいです。そして鑑賞者のみなさんやPARASOPHIAに関わった関係者が、もう一回こうした国際展が京都で開催されても良いかもしれないという気分になっていただけたら、この国際展は成功したと言えるのではないでしょうか。
―なるほど。個々に対応していく受け皿の広さがPARASOPHIAの特徴というわけですね。重層的な性格をもつPARASOPHIAを中心にして人的資源が育まれることや、文化的イベント、教育的なプログラムなど様々な活動がこれから巻き起こる予感がします。
京都は可能性をもっている都市であり、人材や資源の宝庫です。神社や仏閣や自然風景など神話的な魅力を外に匂わせており、歴史的事実や痕跡について参照したり何かを引用されたりすることも多いと思います。しかし本当に面白い活動とは、京都に来て、人や環境と交流しながら様々な考察を重ね、まったく新しい着想や創造の新しい方向を発見することだと思います。そしてそういう活動の蓄積が、京都をより魅力的な街にしてきたと思います。
会場の一つ、京都府京都文化博物館
過去の国際展の多くは、現代美術の展示を通して開催地の特性に囚われず、ある程度の国際性を実現してしまうものでした。さらにいま世界各地で開催されている国際展の多くは、最新のアーティストの作品情報を紹介するショーケースのようになっています。つまり情報代謝のスピードが速く、最新のアーティスト情報を競い消費する場に流れている現実もあります。京都ではそのようにはなりたくありません。一過性のものではなく、作家や入場者が京都という都市で少し立ち止まって考え,その表現や考え方が少し変わっていく、かつ京都に新たな蓄積を残していき、それが京都の街の力を更に強めていく。理想としてはこのような国際展を考えています。
【※1】「PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015」は、京都国際現代芸術祭組織委員会、京都経済同友会、京都府、京都市が主催する国際展です。2015年3月上旬から5月上旬にかけて京都市美術館、京都府京都文化博物館ほか京都府、京都市の関連施設等で開催予定。
公式ウェブサイト : www.parasophia.jp
【※2】アーティスティックディレクターとキュレトリアルチームが、PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015に向けて行う調査研究のプロセスを広く一般に公開し共有するためのプログラム。
2013年6月21日(金)[レクチャー]リピット水田堯「猫と犬のように──映画とカタストロフ」
2013年7月27日(土)[報告会]田中功起+蔵屋美香「抽象的に話すこと——ヴェネツィア・ビエンナーレに参加して」
■取材:2013年6月6日 PARASOPHIA事務局にて