あなたの一番古い本の記憶は何ですか?
私が覚えているのは、なかなか眠らない私を寝かしつけるために両親がしてくれた絵本の読み聞かせだった。影絵を藤城清治が担当している宮沢賢治「銀河鉄道の夜」、福音館書店の林明子「こんとあき」などを思い出す。
「銀河鉄道の夜」は少年ジョバンニが親友カムパネルラと不思議な銀河の列車に乗り、星々を巡る幻想的な物語。藤城清治の影絵は今見返すと、なんとも美しい影絵だが、幼い頃は人物のギョロッとした目が怖かった。「銀河ステーション......。銀河ステーション......。」とアナウンスされるシーンがあり、このワードは今でも両親が読み聞かせる声で再生される。
当時2歳、音読が好きだったらしい
実家には、絵本の他にも父と母が買い集めた本や雑誌、漫画が大量にあった。小学生にあがる頃には漫画を読み始め、雑誌の「なかよし」や「ジャンプ」、父母の蔵書にも手をつけ始め、手塚治虫、つげ義治、林静一、大友克洋などを読んでいた記憶がある。どの作品も子どもながらに面白く読んでいたが、話の意味を全部は理解できていなかった。ただ、腰を落ち着けて1冊の世界に深く没頭できる経験が心地よかった。小説も好きだったけれど、読むスピードはとても遅かった。小学校の学級文庫として、たまたま手に取った新潮文庫 三浦綾子著の「塩狩峠」は、読むのに1年ぐらいかかった記憶がある。
大学院卒業後、約5年ほど京都の丸善という書店で働いた。本は物理的にとても重いことを知った。入荷や返品時は本を段ボールへぎゅうぎゅうに詰めるが、持ち上げる時に油断していると、すぐ腰を痛めてしまう。何度かヒヤリとした思い出がある。書棚に手を入れた際、帯紙が爪に入り込み血が滲んだ時の痛み、静かな店内から聞こえてくる遠慮がちにひそめられた声、閉店後、人の気配がない店内で黙々とモップをかける時の自分の足音、ふと顔を上げると天井まで書棚に囲まれていて、そこに自分1人だけが取り残されているようなぞくぞくする感覚などは、体が覚えている記憶。
思い出深い葛藤したエピソードがある。勤めてまだ日が浅いころ、自分の中で、どうしてもおすすめしたい気持ちになれない本が入荷してきた。けれどこの本は、当時の話題書として飛ぶように売れていた。お店としては売上のために、たくさん入荷しなくてはいけない。これまで読みたい本しか読んでこなかった自分が初めて経験する、好ましく思わない本と隣接し続けないといけない状況だった。棚に置かれた一冊の本と、どう接していいのかわからず悩み、上司にも相談した。その時出た結論が、「どんな本でも本は本として平等に扱う」だった。今改めて考えると、また違った答えが出てくるのだけれど、当時はそういう答えに落ち着かせることにした。どうせなら、と自分でも買って読んでみたけれど、途中で読むのをやめてしまった。読書は、心地いい経験だけではなく、途中でやめたり、読みきれない、読むのがしんどいという時もある。何年か経って、また読むタイミングがくる場合もある。
ところで読書とは一般的に本を読むことであり、1964年のユネスコ総会で採択された基準では、「本とは、表紙はページ数に入れず、本文が少なくとも49ページ以上から成る、印刷された非定期刊行物」と定義されている。ただし、広義における本のかたちは、製本された冊子だけに限らない。石板、巻物、地図なども本となり得る。電子書籍、オーディオブックなども身近な存在になってきている。

滋賀県高島市での制作リサーチ時に出会った、本の形状をしたモニュメント。
少し飛躍すると、建築そのものが聖書になっている教会というものも存在する。仏教寺院などで見かける曼荼羅、街中にある碑文、石碑やモニュメント。これらも、自分が実際にその土地の建築や路地を歩きながら図や文字を読み解き、歴史背景や伝統文化の成り立ちに関する知識を深めることができる。
そうすると読書とは、本の中だけに限らず、様々な手段で書かれた人々の記録や痕跡を、自分の身体を使って言葉や感覚として解いていく営みともいえる。

《Phonation -palindrome-》 高松市美術館での公開制作風景 2021 撮影:守屋友樹
口紅を塗った口を壁に押し当てて喋ることで声を保存する「Phonation」という自作がある。口紅さえあればどこでも制作できるので、美術館やギャラリーの壁にインストールすることがあるが、その口紅の痕跡を鑑賞者が読もうとしている姿は、読書をしているようだなあと感じることがある。書かれた言葉をなぞり、そこにいた人の気配や音を想像しながら読む行為が読書なのであれば、私の作品は本として捉えられ、見る人は読書ができるということになる。
大人になってから、Bruno Munari『I PRELIBRI』の存在を知った。イタリアのデザイナー、ブルーノ・ムナーリが制作した、日本語では「本に出会う前の本」と訳されるタイトルの大型本である。開くと中には手のひらサイズの12冊の本が収められている。どの本にも、タイトル以外に文字は何も書かれていない。素材はファイバーボードやフェルト、不織布、プラ板、ビニールなどが使用されている。製本方法も、簡単な紐とじ、ミシン綴じ、リング綴じだが、よくみていくと仕組みがきちんと考えられている。子どもが触っても危なくない。読む時は、目以外の感覚をたくさん使う。指でなぞったり、透かしたり、叩いてみたりして、五感で感触を確かめる。経験として、確実に読書している。文字を読むだけが読書ではない。
色々な読書の方法に考えを巡らせていると、ふと、私が覚えている一番古い本の記憶は、本当に絵本の読み聞かせだったのだろうか?と思った。買ってもらったばかりのクレヨンの蓋を開けて色を選ぶ時間、公園の砂場に書き残された誰かの落書きを見つけた時、母から与えられた柔らかいタオル生地のぬいぐるみを気に入り、いつまでも触っていた時間。
これらは全て、狭義の本に出会う前から、無意識のうちに読書をしていたのかもしれない。
あなたの一番古い本の記憶はなんですか?
<京都の好きな本屋さん4選>
丸善京都本店
品揃えが最強なので行ったら絶対何か買ってしまう。洋書も豊富。
MEDIA SHOP
美術の歴史や資料で困り事があったら、ついつい相談に行ってしまうくらい博識な店主さんがいらっしゃる。ムナーリの「本に出会う前の本」はこちらで購入。
開風社 待賢ブックセンター
町の本屋さんの風情があり、訪れるとどこかホッとする大好きなお店。お店の看板やポップがいつも可愛くて、笑顔になれる。
鴨葱書店
お店自体は小ぶりですが、本の品揃えがシャープで、棚から目が滑る事なくあれもこれもと惹かれ、ついつい長居してしまう。あと猫がいる。
他にも好きな本屋さん、行ってみたい本屋さんはたくさんありますが、挙げだすとキリが無いのでこのあたりで。おすすめがあったら教えてください。
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<コラムに出てきた本>
宮沢 賢治『銀河鉄道の夜』藤城 清治(絵),講談社,1982年
林 明子『こんとあき』福音館書店,1989年
三浦 綾子『塩狩峠』新潮社,1973年
Bruno Munari『I PRELIBRI』Corraini,1980年
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林葵衣_Column 2 >>> Coming soon!
林 葵衣 はやし・あおい
1988年京都府出身。2013年京都芸術大学大学院修了。
音声をはじめとする身体のふるまいに独自の形を与え提示している。国内外で作品を発表する他、展示会場での公開制作やワークショップを行うなど、幅広く活動を展開。
主な展覧会に2025年「くばせのつらなり」KUNST ARZT/京都での個展、2025年「ECHO by ebs phono/graph」ebs project space/イタリア・EAC(les halles)/スイス、2024年「白髪一雄の好奇心 林葵衣+」尼崎市総合文化センター/兵庫などのプロジェクトに参加。
2022年第1回白髪一雄現代美術賞を受賞。
2023年図書館司書資格取得。
今年は製本の勉強をしています。
https://www.hayashiaoi.com