3年ほど前から月に1度、中国茶教室に通っている。
それまでは嗜好品として主にコーヒーを飲んでいたが、胃腸があまり強くないので、一日に何杯も飲むとなんか気持ち悪くなるなーと思い始めていた。コーヒーを入れて飲む時間は好きなのだが。
そんな時、陶芸家の清水志郎さんに中国茶を淹れていただく機会があった。私が学生の頃から陶芸を教えてもらっていて、今でも月に1度はアルバイトとしてお手伝いさせてもらっている。心の師匠。
お茶も美味しかったのだが、清水先生の作った中国茶器も相まって、とても癒された。

私は上下関係に疎く、その上末っ子なので少々生意気であることを自認しているが、結構長い付き合いなのに清水先生を前にするとなぜか緊張してうまく喋れなくなってしまう。
しかしその時はお茶があまりにもよかったのでついいつもよりペラペラと話してしまったところ、興味を示してくれたことが嬉しかったのか、中国茶ビギナーセットとして清水先生の作った蓋碗(ガイワン)と茶杯と中国茶の茶葉をくれた。
それから家で中国茶を飲むようになり、インターネットで茶葉をあれこれ注文したりして、試すようになると、どんどん前のめりになっていった。
それは2022年末ごろのことで、私は2度目の新型コロナウイルスにかかった後くらいだった気がする。 私がコロナにかかったと分かったのはコロナ検査キットの陽性反応ではなく、嗅覚と味覚を一時的に失ったことからだった。食事がクソどうでも良くなり、コーヒーはただの黒い液体。世界がなんかモノクロに見えてこなくもない。普段全く意識せずにいたこの2つの感覚器官を侮っていたことを思い知った。
今思えばそれがきっかけか、繊細な味と香りを知覚してゆける中国茶にのめり込んだのかもしれない。清水先生に紹介してもらい、まずはお試しという形で中国茶教室に行くことになった。
初めて教室に入った日、ドアを開けるなり、嗅いだことのない複雑な香りが部屋に立ち込めていて、壁にはたくさんのお茶が入っているであろう缶や木箱。少し薄暗い部屋の棚には、無数の茶道具が整列している。中国茶の複雑かつ混沌とした豊かさのようなものが凝縮した空間を全身に浴びて圧倒されている中で、中国茶教室は始まった。
「はい、じゃあ瞑想します」
ポーンとシンギングボウルが鳴らされて、瞑想が始まる。先ほどの興奮から、突然の瞑想に全く集中できない。なんか普通にお茶を飲んだり淹れたりするのかと思ってたのに、スピリチュアルな感じなのかな、後で変な壺を買うことになるのかな、、瞑想は心の弱い部分が泡のように浮上してくる。
まあいいかお試しだしと思って、呼吸に集中し始めた頃に瞑想は終わり、本日のお茶の話が始まる。
この中国茶教室では、発酵度合いで6種類に分類されている緑茶、白茶、黄茶、青茶、紅茶、黒茶のうちひとつのお茶をテーマに、5種類ほどの茶葉を飲み比べる。

この日は青茶に分類される烏龍茶。緑茶や紅茶は馴染み深いけど、どれも基本的に茶の葉っぱは同じで発酵のさせ方の違いだったとは初めて知った。
お茶の種類によっては異なるが、茶を入れるときの流れはだいたいこのようになる。
・まずは、茶則にいれた茶葉を見て、匂いを嗅ぐ。
・その後、茶壺(チャフウ)と呼ばれる茶器にお湯を入れて温め、茶杯に移して温める。
・茶壺に茶葉を入れて、蒸らし、その茶葉の匂いを嗅ぐ。
・茶葉の入った茶壺にお湯を入れ、お茶の抽出を待つ。
・茶壺の蓋の裏の匂いを嗅いで、お茶が抽出されているかチェックし、十分であれば茶杯にお茶を注いでいく。
小さな茶杯は、ぐい呑みくらいの容量だが、少しずつ少しずつ、香りや味を確かめるように、飲む。
もう、飲むというか、お茶を呼吸すると言いたいくらいで、香りを感じるために自然と呼吸が深くなっていく。はじめに瞑想をして呼吸を意識することには合理性があったのだ。
この繊細な味や香りを言語化したい気持ちに駆られたことをお茶の先生に伝えると、言葉にしなくていいんじゃない?と一蹴された。
私は少々生意気なので、心の中でどのようにこの味と香りを言葉にできるのか考えているとお茶教室は終了し、気づけば次の教室のスケジュールを確定させていた。
そんなこんなで日々お茶を飲んでいる。意気揚々とこの味わいを言葉にしたい!と考えていたことも懐かしい。最近になってようやく分かってきた気がすることは、複雑な香りや味わいを感じ取るには、まず言葉で考える以前に身体で受け止めることの訓練が必要なのかもしれないということだ。
複雑だが豊かなものを、単純化せずに複雑なまま受け取ることができたと思う時、美味しいお茶を飲む喜びを感じる。
2025年の春、清水先生に誘われて初めてお茶摘みをし、烏龍茶を作ることを教わった。

滋賀県の湖西には、お茶の木が自生している場所がたくさんある。整えられた茶畑ではなく山に入って、芽吹いたばかりの新芽を一つ一つ指先で摘んでいく。時間を決めていないといつまでも摘み続けてしまうくらい没頭する。
ある程度摘み終えたら、ザルのようなものに数時間干すことで発酵させ、ほどよい柔らかさにしていく。これを萎凋(イチョウ)という。

萎凋を終えた茶葉を今度は、ザルごと手で揺り続けて、茶葉の表面に傷をつけ、発酵を促進させる。2時間くらいただ茶葉をザルの上で転がし続ける時間。次の日は肩周りが筋肉痛となる。
ついに発酵を止めるための佂炒りだ。コンロと陶製の平たい鍋の上で茶葉に熱を加える。焦げたら苦くなるし乾燥しすぎると次の工程に影響があるので、気をつけながら素手で押さえたり、かき混ぜたりする。この時部屋中に茶葉の香りが充満し、お茶作りヒーリング効果が頂点に達する。

茶葉に熱が入ったら、布巾の上で揉んでいく。茶葉がどんどんねじれていき、小さく小さくなっていく。数時間没頭して摘んだザルいっぱいの茶葉が野球ボールくらいのサイズになる。こんなことしていいのかなって戸惑うくらいに春の新芽の生命エネルギーを圧倒的に凝縮させて作る茶葉の塊。

ひとしきり揉捻した茶葉を再び佂炒りして完全に乾燥させると、烏龍茶が出来上がった。

初めて作った烏龍茶は、ややワイルドな青臭さがあったが、とっても美味しかった。
烏龍茶は特に、何煎も入れては飲むことで、ねじれて小さくなった茶葉が徐々に開いていき、そのつど味や香りが変わる。
お茶作りでは、萎凋の長さや揉捻の強さ、茶を摘む時期やその日の気候などで出来上がりの味が変わってくる。友達と一緒に作ってみたときは、同じ場所で作ったのに、それぞれのお茶は全然違う味がした。
お茶作りを実際にしてみると、お茶に対する解像度が明確に変わったことに驚いた。あぁ、また扉が開いた。
お茶って楽しすぎる。
坂本森海 さかもと・かい
陶芸家/美術家。長崎県出身。1997年生まれ。2019年旧京都造形芸術大学美術工芸学科総合造形コースを卒業。同年からシェアスタジオ”山中suplex”に在籍。土や 火、食べることなどの陶芸が持つ根源的な行為や要素を使って、作品を展開している。主な展覧会に、「バグスクール2025 」(BUGアートセンター/2025)、「火と土と食べたいもの」(京都市京セラ美術館ザ・トライアングル/2025)、「半井桃水館芸術祭シャンデリア」(対馬/長崎)、など。