2024.12.23

増川 建太_column 1「お豆腐(溢れ出る大豆触感)」

豆腐に鎹。浮世渡らば豆腐で渡れ。

肉食を長い間避けてきた日本人の、貴重なタンパク源であった豆腐。
冷蔵庫にあれば、使い勝手の良い豆腐。

京都は街中に豆腐屋が多いが、おいしい分、意外と高くつく。
ならば自分で作ってみようと、以前一度だけ豆腐を自作したことがある。

私はダンサーであり振付も行う。
サービスを通して欲しいものが手に入る時代に、敢えて自分の身体を使って、作ることに好奇心がある。

特に料理については、食材へ触れる触覚と、味覚(内臓感覚)を繋ぎ合わせる側面に着目しており、作品の題材にも取り入れている。
2025年2月には京都芸術センターにて、料理のレシピに言葉による振付を書き込み、身体を運ばせながら料理を行う公演も予定している。
  >>>開催日決定のお知らせ https://www.kac.or.jp/events/harakirininjinshow/


※2024年6月に行なった公演の記録写真 撮影:Misa Shinshi


自作の豆腐はどのような味がするのか、身体を介して、どのように大豆が豆腐へと変わっていくのか、好奇心が止まらなくなり、やってみた。そのときの話。
それではスタート。


  ◼️材料
  ---------------
   乾燥大豆
   水
   にがり
  ---------------


シンプル!
にがりはスーパーで手に入った。
大豆は北海道産のもの300gを600円で購入。この時点で豆腐屋で買うより、数倍費用がかかり、雲行きが怪しい。が、たくさん量が作れたらお得だと、捕らぬ狸の皮算用で開始。


まず大豆をよく洗い、一晩きれいな水に浸す。
一晩浸すと、柔らかくなるので、細かく潰す。

電動よりも、身体を使い潰したほうがうまくなる、と信じているので、電動ミキサーを持っていなく、石臼で潰した。
それがえらく大変で、1時間以上かけて潰した。とにかく骨の折れる工程で、もう2度とやらないな、、ミキサー買おうかな、、と思いながら潰した。




石臼の限界。全然粒が小さくならず、粗めの仕上がり。
インターネットに載っているミキサーでの仕上がりとかけ離れてるけど、この辺りでまあ良いかと、次の工程へ。

潰した豆腐を鍋に入れて、煮ていく。




沸騰してきたら弱火にしてしばらく煮た。大豆の香りが部屋いっぱいに漂う。うまそう。
そしたら、煮た大豆を漉して、大豆と煮汁に分ける。



勘のいい方ならお気付きだろうが、この汁が俗に言う豆乳で、漉した大豆がおからなのだ!

大量のおからが出来た。豆腐屋でたまにおからがレジ横で安く置いてある理由が判明した。このおから、大豆の香りが強く、とても美味しかった。

豆乳の方を再度加熱して温めて、にがりを加えていき、しばらくして固まってきたら掬って、布を敷いたざるに優しく載せて、固まったら豆腐の完成!





少ない、、、!
ギリギリ一丁ないくらいの量の豆腐が出来た。
味はにがりを少し入れすぎたのか、おいしくない訳ではないけど、少し苦い、、!
控えめに言っても、豆腐作り成功、とは言えない結果となった。

しかし料理の醍醐味は失敗にあり。
成功や美味しいが目的ではない。身体を使ってやってみることが目的である。

一晩水につけて、ぷっくらと膨らんだ大豆。
石臼と自分の重さで大豆を潰す、手や身体の感触。
火にかけ木べらで優しくかき混ぜる、大豆のふつふつした様子や湯気に乗る香り。
大豆を濾すとき、最後にギュッと絞る手。
ザラっとした舌触り。少し苦味のある豆腐。

全てに触感が溢れ、身体を使い、大豆が豆腐へと変わる状況の機微を、書かれたレシピではなく、身体が記憶している。
スムーズに料理が進むよりも、失敗は身体の引っ掛かりとなり、よりザラリとした舌触りで、記憶にアクセントを与えてくれた(しかしそれ以来、豆腐を自作しようとは思わず、おとなしく豆腐屋やスーパーで買っている)。

とっても楽しい大豆作りの時間であった。



★以下大豆小噺★

日本は豆腐をはじめ、味噌や醤油、油揚げ、納豆など、大豆からたくさんの恩恵を受けているが、なぜ国産大豆は高いのか。なぜ大豆の自給率は6%と低いのか。

戸田博愛が2001年に農文協から出版した「食文化の形成と農業」によると、大豆はそもそも必要な農耕地面積に対して、収穫量が少ないらしい。よって、国土が狭い日本では、増加した人口を支える収穫量を得ることが難しかったようだ。

明治期から大豆の輸入が始まり、日本が占領した満州国は、国内で消費するための大豆の生産における、重要なポジションであったとのこと(台湾は砂糖の生産において重要であったらしい)。
そして終戦後、1961年から大豆の貿易が自由化すると、海外から大豆が安く国内に入ってくる。大豆を生産していた農家は、収穫量の安定しない大豆を作っても価格で外国産に負けるため、分が悪く、徐々に大豆を作るのをやめてしまい、現在に至るようだ。





増川 建太 ますかわ・けんた
1993年東京都出身。大学在学中に舞踏と出会い、以後舞踏の身体観をベースに活動を行う。振付や演出以前の、身体そのものが重要であると考えており、大切にしている。2023年6月の「指で触れ火にかけかき混ぜ/る振付のレシピ」ではかねてから作品のモチーフとしていたことばによる振付を、料理のレシピに書き込んで、料理を行いながらことばによる振付で身体を運ばせることを行った。
🥕2025年2月には京都芸術センターにて「指で触れ火にかけかき混ぜ/る振付のレシピ(にんじん断面指なぞりショー)」を、渡辺綾子と黒田健太と上演予定🥕
一覧に戻る