「春秋座―能と狂言」シリーズは、2009年度にフランス文学者・演出家の渡邊守章当センター所長(当時)の企画・監修により始まりました。今回で15回目を数えます。
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プレトーク
片山九郎右衛門(観世流シテ方)
きたまり(振付家)
天野文雄(大阪大学名誉教授)
狂言 『隠狸』
シテ(太郎冠者): 野村万作、アド(主): 野村萬斎
〈休憩約15分〉
能 『卒都婆小町 一度之次第』
シテ(小野小町): 観世銕之丞
ワキ(高野山僧): 宝生常三 ワキツレ(従僧): 舘田善博
笛 : 竹市学、小鼓 : 大倉源次郎、大鼓 : 亀井広忠
後見 : 青木道喜、片山伸吾
地謡 : 片山九郎右衛門、古橋正邦、味方玄、分林道治、観世淳夫、橋本忠樹、梅田嘉宏、安藤貴康
舞台監督|小坂部恵次、大田和司(京都芸術大学舞台芸術研究センター)
照明デザイン|藤原康弘
協力|銕仙会、万作の会
令和5年度京都府文化芸術体験機会創出事業
「春秋座—能と狂言」高校生以下無料ご招待
詳細・お申込みはこちら https://k-pac.org/noh_shoutai/
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「主従の探り合い」と「宗教問答」、そして「憑依」
―『隠狸』と『卒都婆小町』―
『隠狸(かくしだぬき)』は和泉流だけにある狂言です。狂言では、太郎冠者の隠し事が事の発端になることが多いのですが、本曲では、太郎冠者の隠し事は狸を釣るのがうまいことと、前夜に釣った大狸を市で売ろうとしていることです。客に狸汁をふるまおうと、主人は太郎冠者に市で狸を買い求めてくるよう言いつけますが、太郎冠者の隠し事を見破ろうと、主人もあとから市に向かいます。以下、市を舞台に、大狸を腰に隠し持った太郎冠者と主人の探りあいが、酒盛りのなかで繰り広げられます。客への狸汁の振る舞いはどこへやら、主人にすすめられた太郎冠者が、一さし二さしと舞ううちに‥‥‥。
『卒都婆小町(そとわこまち)』は南北朝期の古い能で、作者は観阿弥です。都から(たぶん)紀州玉津島明神に参詣しようとしている老残の小町が高野山から上洛しようとする僧たちに出合います。場所は摂津の阿倍野です。その阿倍野がこの能の舞台でもあります。小町が長旅に疲れて路傍に倒れている卒塔婆に腰かけていると、僧から叱責されます。以下、小町と僧との、いわゆる「卒塔婆問答」になるのですが、小町は教義通りの僧の詰問に、「善悪不二」という立場からことごとく反論し、問答は僧の完敗に終わります。そこで小町は自身の素性を語るうち、かつて小町がソデにした四位(しい)の少将(深草の少将)の霊が小町に憑依し、小町のもとに通って百日目に亡くなったことを再現するのですが、憑依から覚めた小町はそこで悟りの道に入ることを決意して、『卒都婆小町』は終曲となります。前半の「卒塔婆問答」と後半の「憑依」が見どころとされていますが、わたしたちは、この二つの見どころをどのように関連させればよいのでしょうか。
(天野 文雄)