京都のアーティスト・ラン・スペースsodaは、11月17日~20日の4日間に映像作品による展覧会「50秒」 を開催いたします。
1895年のリュミエール兄弟による記念碑的映像作品「工場の出口」が50秒であったことを起点に、127年 後の現代を生きる34アーティストによる50秒の映像作品を一挙上映し、アートしての映像の新しい可能性 を探ります。
参加アーティスト
青木真莉子、青木陵子、青崎伸孝、秋吉風人、麻生晋佑、荒川医、荒木悠、池崎拓也、イッタ・ヨダ、 伊藤存、江口悟、岡田理、片岡純也+岩竹理恵、金村修、
KAYA (デボ・アイラース+ケルスティン・ブレチュ)、窪田隆之、COBRA、小松浩子、佐藤純也、 アーロン・ジェント、庄司朝美、髙橋耕平、たちばなひろし、田中和人、玉山拓郎、ナヴィッド・ヌール、 花代+斎藤玲児、甫木元空、 細倉真弓、増本泰斗、サトミ・マツザキ、間部百合、南川史門、森田浩彰
【展覧会ステートメント】
50秒。リュミエール兄弟による、世界で初めての動く画像による記念碑的作品「工場の出口」は50秒で あった。1895年当時、35ミリフィルム1本の長さは17メートル、撮影できる時間の限界は50秒。127年 後の今日、映像表現は、時間的、技術的制約から解放され自由になったように見える。初めてスマートフォ ンを与えられた小学生から、VR技術を駆使するゲーム作家まで、あるいは、SNSに集う見知らぬ知り合い たちから、数億ドルを投じるハリウッド映画監督まで、今や地球上のあらゆる人間が映像の作り手となって いる。アートの世界でも(もしそのような世界があるとして)、映像作品の多様性と重要性は増すばかり で、大規模な国際展でもその割合は増加の傾向にあると言う。映像のみに焦点をあてたグループ展も今やな くてはならない存在だ。しかし、誰もが映像を簡単に扱えるようになった今日の日常的状況を照らしてみれ ば、映像を扱うアーティストはまだ少なく、アートとしての映像に対するハードルはいまだに高いと言える のかもしれない。 ここで、歴史を折り紙のように折りたたんで、現代と1895年を接続させてみるのはどうだろうか。少し乱 暴ではあるが、あえて時代に逆行し、映像作品にとってはひどく不自由な制限を与えてみることで、裾野を 拡張し、新しいものが生まれてくる可能性はないだろうか。つまり50秒という時間的制約を制作する者た ちに課すこと。50秒は、しばしば長時間におよぶ現代の映像作品からみれば極端に短かすぎる時間である が、日常で浴び続けているSNS 内での映像やテレビCMなどにはより時間的に接近するものだ。その50秒 でアートにできることはあるのか。50秒だからこそ超えられるハードルがあるのではないか。 この展覧会には、いままでまったく映像を扱ってこなかったアーティストも、映像作品に長年取り組んでき たアーティストも垣根なく招待しよう。そこでは多種多様な技術や主題の50秒の作品が次々と映し出される だろう。そして、連続するいくつもの50秒作品の総体は、どんな姿を現すのだろうか。ぜひ、闇に浮かぶ新 しい光の連続を目撃してほしい。ソーダ工場跡地に誕生したアーティスト・ラン・スペースsodaがこの展覧 会の会場だ。まったく新しい「工場の出口」を今ここに始めよう。わたしたちに与えられた時間は50秒。 そして、また、50秒。50秒。50秒。