日常にある些細なものごとも、
私たちを動かし、既存の認識を疑わせる
水、ペットボトル、空き缶、米、段ボール、電球、家電……、梅田哲也は、どこにでもあって誰にでも手に入れられる素材を多用する。そして、その場所の機能や性質、土地の文脈に寄り添い、時には利用しながら空間と体験する時間をつくり込む。だからだろうか、作品が占める領域とそうでないものの境界は曖昧で、極端な話、帰り道で誰かに声をかけられたとして、「これも作品だろうか……?」と疑ってしまう。
今回新たにつくられるツアー型作品も、会場の建築を生かす梅田の空間のとらえ⽅・介入の結果が積み重なり、展覧会とパフォーマンスの間にあるような景色となっているだろう。1930年に建てられ、かつては銀行として機能していた特徴的な3階建ての建築のなかを、観客は時間差で案内され進んでいく。建物の構造を活かしたインスタレーションで構成された各フロアでは、ガイド役あるいは作品内部の人物と出会い、小さな出来事の数々に遭遇していくことになる。観客がその場に居合わせるかどうか、何に着目するか、その行動や意識の先を絶妙に導く梅田作品は、作品の体験を自らの手で「変えられる」ことも教えてくれる。そしてそれは、私たちの日常にも介入していく。会場を出てから出会う京都のまちは、どんな風景になっているのだろう。