2022.06.07

先輩に聞いてみよう!団体の作り方インタビュー|山口茜さん(劇作家/演出家/合同会社stamp代表社員)

presented by KACCO


京都市文化芸術総合相談窓口[KACCO]では、「文化芸術に関する活動を継続していくために法人の設立を検討するものの、どういった形態が自身の活動に適しているのかわからない」「任意団体を立ち上げたものの、今後どのように展開していくか悩んでいる」「そもそもメンバーをどうやって集めたらいいかわからない」という相談者の悩みの声を聞いてきました。そこで、すでに法人や団体を設立されている先輩方にインタビューを行い、どのように考え、悩み、実現されたのかを伺ってみることにしました。先輩方の様々なお話から未来の活動への手がかりを見つけてみてください。



山口茜さん(劇作家/演出家/合同会社stamp代表社員)

・活動拠点:京都府
・生まれた年:1977年

劇作家、演出家。2003年OMS戯曲賞大賞受賞。2007年若手演出家コンクール2006最優秀賞受賞。2007年から2009年文化庁新進芸術家海外留学制度研修員としてフィンランド国立劇場に在籍。2012年文化庁芸術祭新人賞受賞。2015年利賀演劇人コンクール優秀演出家賞一席を受賞。2016年から2018年セゾン文化財団シニアフェロー。2018年関西ベストアクト第3位に選出。2019年『悪童日記』がFemArt Festival(コソボ共和国)、瀬戸内国際芸術祭(香川県)に招聘される。

インタビュー実施日:2022年1月29日
聞き手・構成:京都市文化芸術総合相談窓口 [KACCO] 中山・高坂



プロデュース団体と劇団


──1999年に山口さんの作・演出で演劇を上演する団体として魚船プロデュースを設立されました。きっかけを教えてください。

大学生の時に京都で活動している遊劇体という野外劇団に入り、主に俳優として活動していました。当時は劇団員が10~15人ぐらいの大所帯で、若い人が次々に入ってくる劇団でした。とても刺激的な創作現場でしたが、一方で、俳優として所属している限り、他者が書いたものに出演するしか方法がなく、演出家の裁量で配役が決まるという、自分が選択できないストレスがありました。
そんな矢先に劇団で、作・演出をさせてもらう機会を得ました。俳優だけ劇団員で、自分で会場を借りて台本を書いて演出したんです。それに味をしめて、劇団をやめ魚船プロデュースを立ち上げました。その頃の演劇界はちょうど「ユニット」というのが流行り出した時期です。毎回同じ人と創作するのではなく、その場限りで解散。まだまだ劇団という形式が主流の中で、私はユニットならできるかもしれないと思いました。


──おひとりで立ち上げましたか?

最初はひとりでは不安だったのでいろんな人に伴走をお願いしました。でも、断られたり、続かなかったり。そのうち、毎回同じようなスタッフやキャストに頼むことになっていくのですが、基本はひとり、責任を負うという意味でもひとりでした。


──2002年に魚船プロデュースからトリコ・Aに改名されました。ちょうどOMS戯曲賞(*1)大賞受賞の時期ですね。

2003年にOMS戯曲賞大賞を『他人(初期化する場合)』(2002年初演)で受賞したのですが、それ以前も最終選考まで2回残っていました。OMSは上演が条件の戯曲賞ということもあり、賞をとった時にひとりで喜ぶよりみんなで喜んだ方が嬉しいのではないかと思って、劇団化を目論みました。でも結局1年で解消しました。


──劇団化を試行して、その後はまた公演ごとに出演者やスタッフを集めるプロデュース形式に戻ったということですね。名称も2004年の公演からトリコ・Aプロデュースに変更されています。その約11年後の2015年に設立されたサファリ・Pは、「パフォーマー・技術スタッフ・演出部からなる劇団」で主に既成の戯曲・小説を上演する団体です。再びカンパニーを立ち上げられたことが興味深いです。メンバーはどのように集まりましたか?

トリコ・Aを立ち上げて、OMS戯曲賞を受賞した後、20代の時ですが、精神的にまいっていたというか、家庭環境が複雑だったこともあって、精神的に不安定だったんです。でも、だからこそ絶対に這い上がってやると思っていました。だからお恥ずかしい話ですが、賞をとることがひとつの目標にもなっていて、出せる賞はどんどん応募していたんです。でも正直言うと、何も積み上がっていかないという気持ちが自分の中にありました。賞はとれるけれど、何がしたいんだろうか、逃げたいなと思って、文化庁新進芸術家海外留学制度研修員で、いったんフィンランドに逃亡するんです。それが2007~2009年です。その時出せる一番長い研修期間を申請しました。

ただ、フィンランドは私にとってはより一層、孤独を突きつけられる国でした。冬は16時に暗くなって朝10時まで暗いし、夏はみんなバカンスに出かけて人がいなくなる。家族で過ごすには最適な国ですが、日本みたいに独身者が楽しめるものが何もないように感じられて、逃げたのに更にしんどくなりました。でも帰国してはいけないルールがあったので、とにかく日本から小説や戯曲、内田樹さんの本をたくさん送ってもらって、持て余した時間でたくさん読みました。それで自分の中で何かがひとつ、大きく変わったんだろうと思うんですが、まだその時は孤独に耐えかねていました。
2年経って帰国したら、演劇界で、私は誰にも知られていない人になっていました。そもそも演劇界なんて狭い世界なので知られていようがなかろうが今思えばどうでもよかったんですが、「トリコ・Aの山口です」と言ったら、「鳥公園ですか?」と返される経験をしたんです。鳥公園は西尾佳織さんが2007年に結成した劇団ですが、次々に私の知らない若い人が演劇を始めていました。焦りのようなものを感じつつ、でもだからといってフィンランドに行く前の私にはもう戻れないというか、がむしゃらに賞だけをとるという謎の動機はもうなくて、地道にやっていくかと思っていた矢先に、ずっと一緒にやってきた人たちが結婚・出産によって演劇をやめ始めたんですよ。ユニットがいいと思って始めた創作で、結局人に依存していたことがよくわかりました。そして、フィンランドでのひとりとは違う意味でのひとりになった時、ちゃんと創作と向き合いたいという欲求が出てきたんです。

いくつか作品を作っていく中で、2015年に利賀演劇人コンクール(*2)で『財産没収』(作:テネシー・ウィリアムズ)を上演することになりました。その頃、京都舞台芸術協会(*3)の理事をしていたのですが、俳優の高杉征司さんも理事をされていて、一緒にコンクールに参加してもらいました。それで幸いにも優秀演出家賞一席を受賞することができ、だったらこの人と一緒に作品を作ってみようと思って、カンパニーにさせてもらえませんか?と声をかけ、その延長線上で、利賀に参加したメンバーを中心に立ち上げたのがサファリ・Pです。


──利賀演劇人コンクール2015以前に、高杉征司さんと一緒に仕事をされたことはありましたか?高杉さん以外のメンバーはどうやって集めましたか?

2008年に木村雅子さんを中心に活動を開始したトランク企画というインプロ(即興演劇)が京都にあって、高杉さんも私も割とよく出演しているメンバーだったんです。そこで高杉さんに出会いました。高杉さんは、演出家のあごうさとしさんと一緒にWANDERING PARTYという劇団を2001年に旗揚げされて、2011年の解散まで代表を務められていました。その後、高杉さんはひとりで活動されていたんですが、やっぱりカンパニーがいるなと思っていたところに私が声をかけた。タイミングが合ったんですよね。
ちょうどその頃は一般募集して応募してきてくれた人と小さい作品や短編を作ったり、ワークショップに参加してくれた人に声をかけたりしていました。ずっと一緒にやってきた人たちがいなくなったから、新たに開拓していたところだったんです。それで、利賀に参加したいと思っているんですよねと声をかけたら、課題戯曲をこちらが何も言わないのに読んでくれたのが高杉さんだったと思います。当時は私も必死だったので、待ちの人とは一緒に戦うのは難しいかなと思って、待ちじゃない人を選んでいった結果、そのメンバーになったというのがあります。





トリコ・A × サファリ・P vol.1『PLEASE PLEASE EVERYONE』(2021年)写真:松本成弘




合同会社stampの設立


──公益財団法人セゾン文化財団の助成プログラムであるセゾン・フェロー(*4)に、2016〜2018年度の3年間採択されています。この間に法人化を目指し、高杉さんと合同会社stampを2017年に設立されました。法人化された理由を教えてください。

論理的ではなくて申し訳ないんですが、正直に言うと私は会社をつくるのがひとつの夢だったんです。小学生の頃、父の会社が倒産して、会社を経営するってどういうことだろうと子供心に思っていました。側で見ていて、どんどん人間関係が拗れていって、家がなくなったり、食べるものがなくなったり。会社を経営するということは、どうやらとてもやばいことらしいということだけはわかりました。そういう中で育つと、普通、もう少し守りに入ると思うんですが、私はなぜかそうではなくて父が失敗したことをやってみたいと思っていました。
ただ、演劇をやるということと、会社をやりたいということがずっとリンクしませんでした。でも、セゾン・フェローに選んでいただいた時に、安定している今なら会社を立ち上げられるかもしれない、みんなにお給料も払えるかもしれない、と思いました。よく考えたらまあ払えないんですけど…。それでセゾン文化財団の人たちにも相談し始めたんです。


──それまでの活動は任意団体ですか?

そうです。でも助成金は結構活用していたので、セゾン・フェローに就任する1年ぐらい前から事務員さんをひとりバイトで雇って…という擬似的なことはしていました。経理の専門家ではなく大学生の方を時給で雇用し、公演の処理、支払い作業を手伝ってもらうところから始まりました。


──任意団体のままでは運営が難しそうでしたか?この頃のステージ数、観客動員数についても教えてください。

不都合はありませんでしたが、任意団体のままでは社会的に信用がないという話はよく聞いていたので、これ以上大きな仕事はできないなとはずっと思っていました。でも、ただ感覚的に思っていただけで、実際に言われたことは一度もなかったんですが。私ひとりが安定していればいいと思ったことが一度もなく、たくさんの人にお給料を払ってみたい、という欲求がありました。それは任意団体だと厳しいなと思っていたんです。

『赤ずきんちゃん』(2015年)では、劇団☆新感線の方に出演していただいたんですが、それまでお客さんがすごく入る劇団でもなかったのに、下北の劇場の階下までずらっと人が並ぶ、みたいなことがあって。その時は東京公演(下北沢OFF・OFFシアター)も大阪公演(心斎橋ウイングフィールド)も5日ずつで、トータル17ステージぐらいだったと思いますが、毎回満席でした。この公演の時びっくりしたんですよ。チケットがめちゃくちゃ売れたのに大赤字だったんです。なぜかと思ったらチケットが安すぎる。小劇場の相場で価格を決めていると、どれだけ売っても赤字なんだということに気づきました。それで、文化庁の補助金をとりたいと思いました。芸術文化振興基金の助成「舞台芸術等の創造普及活動」(*5)は赤字補填だから、赤字前提でしか演劇ができない。文化庁の文化芸術振興費補助金を財源にした「舞台芸術創造活動活性化事業」(*6)だと、公演本番の前日以前の経費に助成されるシステムなので、早くこちらに移行したいと。当時は、地点、ヨーロッパ企画、MONOなど、お客さんがある程度入っていて評価が高い劇団しかその補助金はとれていなかったんですよ。それなのに私はいずれ絶対とれるからそのためにも法人化しておかないといけない、と思ってたんです。それで、2021年度に初めて採択されました。6年越しです。


──合同会社を選択された理由と、法人の設立や運営で苦労したこと、よかったこと、想像していなかったことなどを教えてください。

セゾン・フェローの2年目頃に簿記の知識を持っている方が経理として関わってくれるようになり、法人を立ち上げた時に顧問会計士さんについてもらいました。私、高杉さん、経理の方、会計士さんで月1回の経理ミーティングを必ず行っています。会社をどうやって軌道にのせるかをこの5年ずっと話し合ってきました。ですが、普通に演劇だけをしていたら泥船でしかないなぁ...と。ただ演劇を上演しているだけではとても立ち行かないんです。例えば社団法人にする方法もありました。社団法人やNPO法人にすれば任意団体と近いかたちで法人にできるから、特にこんな悩みは持たなかったと思うんです。食い扶持は自分で探して、公演を打つ時に謝礼を払うというやり方。でも私はこれで稼ぎたいという欲求があって、会社を経営することでお金をまわしていきたいから合同会社にしました。別に給料制にしなければ泥船でもただ運営すればよくて、経理の人に時給を払って、会計士さんに月のお金を払って、公演ごとに私と高杉さんはお金をもらうのでもよかったんですが、それは私が思っているかたちじゃないなと思って割と早い段階で私と高杉さんは給料制にしたんです。そうすると泥船感がすごく増してきて。私がやりたいイメージを実際やると大変なことになる。毎年赤字を出しながら、このままいくと倒産だな~なるほど、とやりながら気づくんです。

先日、高杉さんに返してもらった本の中に、「保育園の立ち上げ方」についての本があり、そういえば、経営が立ち行かないから、stampで保育園を立ち上げて子供たちと一緒にアートをつくる、という話を本気で考えていたなと思い出しました。ほかには、日本中の公共施設に公演やワークショップを売り込む広報用のパンフレットを作ろうと考えたりしました。とにかく会社を沈ませないようにすることを毎月課題として突きつけられる。だから演劇だけをやっているわけにはいかなかったという印象がすごくあります。だからこそ、セゾン・フェローをいただいた時は、日当を俳優に払ってみるとか、ずっとやりたかったことを試せたのがよかったです。


──稽古期間の日当ということですか?稽古期間はどのぐらいですか?

はい、出演料とは別に稽古日当を払うということを、セゾン・フェローの間はサファリ・Pのメンバーに対して行っていました。ただセゾンからの助成が終わった後に一旦解消しました。タイミングよく文化庁の補助金をとれたらよかったんですけど、そんなに物事はうまく運びませんでした。今回の補助金採択でやっとまたセゾン・フェローの頃のかたちに近づき始めましたね。
ただ、サファリ・Pは非常にたくさん稽古をします。2022年3月の公演へ向けて今している稽古は、直近の3ヶ月間(平日の10〜17時)ですが、そのほかに、春夏秋と事前の集中稽古をしています。集中稽古は2週間程度で、10~14時の4時間。その日当を全て支払うのは難しいです。


──俳優さんとは公演ごとに契約を結ばれているんですか?

公演ごとです。全員と個別に条件が違う契約書を交わします。契約書や公演の処理などの作業を、会社を立ち上げる前は全部自分で行っていましたが、それを今少しずつ手放しています。振込は経理の方が担当してくれるようになりましたし、前回の公演ぐらいから入ってくださっている制作の方が契約書を引き継いでくれるようにもなりました。最初の約束は私がしたりしますが、概ね契約書自体のやりとりは制作と経理の方にお願いできるようになってきています。


──2019年6月から稽古もできるような事務所を借りられました。

一軒家で、一階二階ともに3部屋ずつありましたが、二階はぶちぬいてフローリングの稽古場に改装しました。稽古場の横にある細長いスペースには、材や舞台美術なども保管しています。一階では会議をしています。実際に舞台でするような稽古にはむいていませんが、事前の集中稽古はそこでも大丈夫かなという感じです。広さが必要な稽古は、京都芸術センターの制作室や、京都市のいきいき市民活動センターなどを利用しています。





サファリ・P 第8回公演『透き間』(2022年)稽古風景



──社員は山口さんと高杉さんの2名ですが、次年度のことをどのように話し合っていますか?

この数年忙しくてギリギリの感じが続いていますが、助成金の申請時期に話し合いをしています。夏頃から考え始めるという感じですね。


──社会保険(健康保険・厚生年金保険)や、労働保険(労災保険・雇用保険)などはどうされていますか?

社会保険には加入しています。会社が半分払っていますね。今は役員2人のみで対象者がいないため、労働保険には入っていませんが、いろいろ試しています。公演ごとに催事保険をつけたり、スポーツ保険に入ったり。でも、これというのが見つかっていません。


──山口さん個人の仕事も会社を通されていますか?

8割は会社で受けています。高杉さんもおそらく同様です。給料制なので。今、ようやく次年度から給料と時給を少しあげようという話はしていますが、この2〜3年の給料はスズメの涙ぐらいでした。でもとりあえず続けようと、なんとかしがみついてやってきました。事務所の維持費、会計士さんの報酬、経理の人のバイト代、いろんなことをキープするために外で稼いだのを全部入れているという感じです。


──顧問会計士さんとのやりとりの中で印象に残っていることや、言われて気をつけていることはありますか?

普段は演劇をご覧にならない方ですが毎回公演を見にきてくださいます。それで、京都府立文化芸術会館などで公演をすると、「こんなすごいところでやるんだ!」とおっしゃるんです。きちんと使用料を払えば誰でもできるんですけどね。逆に小さな劇場で公演すると「こんな小さなところで大丈夫かな」と心配になるそうです。自分が演劇界の中にいると気づかない、そういった一般的な感覚はためになります。
それから、毎月どうやって会社をまわしていくか本気で考えてくださいと言われるんですが、私はつい助成金探しをしてしまうんです。でも、そういうことじゃない、ビジネスとしてちゃんと成立させることを考えるべきだ、と言われて。確かにその通りだと思う反面、心のどこかでそういうことじゃないんだよなと思っている自分に気づくというか。でもそれも怪しいなと今は思います。まだ答えは出ていませんが、やっぱりビジネスにしないといけない側面はあるんだろうなと。
ただ、自分が稼ぐというよりは、みんなにお給料を払ってみたいとか契約書を交わしてみたいというところに私の興味があったので、先に会社というかたちを作りましたが、それが少しずつ安定してきたので、やっと創ることに集中できるなと思っています。


──顧問会計士さんとはどのように出会われたんですか?

会計士は、子供ワークショップ事業を担当してくれている方の紹介です。NPO専門の会計士さんで、stampは合同会社だけど演劇だから一緒だなという感じで引き受けてくださいました。ビジネス、ビジネスとはおっしゃっていますが、この稼ぎにならない感じはわかってくれていると思います。


──高杉さんとは会社を立ち上げる前に、劇団を設立されたわけですが、お二人で何か最初に決められたことはありましたか?

サファリ・Pをやろうとなった時は作品の話しかしなかったんですね。こういう作品がしたいよね、という話だけで盛り上がっていました。私と高杉さんって性格が真逆なんです。私はよく言えばおおらか、悪く言えばいい加減で、ざくっとしているんです。あんまり抱え込んだり情報をうまく出したり隠したりするのが得意ではなくて「全部無料で持っていって」というイメージです。すごく私を表している言葉だと思います。
高杉さんは、ものすごく誠実に物事を積み上げていく人で、質実剛健。本質的に真逆だから、うまくいくとすごくフォローしあえるし、うまくいかないと大げんか、ということをこの数年間繰り返してきました。この1年は高杉さんにお子さんが生まれたこともあってなのかもしれませんが、関係性に少し変化がありました。高杉さん自身の肩の力も抜けたし、私も人として少しマシになったというか、いい加減さを自律することも出てきて、ちょっと今うまくいっています。


──合同会社を立ち上げられた頃に山口さんは第一子を出産されました。台本執筆、演出、会社運営、育児と、一日のスケジュールがどのようになっているのか不思議です。

そのあたりで割りを食ったのが高杉さんなんだと思います。1人目が保育園に入れなかった時期は稽古場で授乳しながら稽古をしていました。その時期はうちの子だけではなく、いろんな人の子供が稽古場にいて、高杉さんに「子供いない人の気持ちも考えてよ...」と言われて、すみませんと。それ以外にも私の書類のミスをチェックしたり、忙しさを理由にあまり参加してこなかった京都芸術センターの使用者連絡会に参加してくれたりと、対外的に「きちんとした会社だ」という風に思ってもらえる素地づくりはほとんど高杉さんが中心となってやってくれました。
私のことで言えば、むしろ子供が生まれて時間が制限されることで、今しかできないと集中して仕事ができるようになりました。それから、心の溝みたいなものを子供が良くも悪くもぐっと埋めてくれるから人としてすごく安定しましたね。


──合同会社syuz’gen(*7)が制作に入られていますが、どういった部分をお願いされていますか?

2020年8月の公演からお願いしていますが、最初は当日の制作まわりと広報といったよくあるパターンの制作の頼み方をしていました。去年のロングラン公演はほぼ専任でお任せしましたが助成金や経理はまだ内部で行っていました。でもこの前、代表社員の植松侑子さんが「作品を上演するために山口さんがすることは、台本を書くことと演出することだから、それ以外のことは全部制作がひきとらないと芯を食わない感じがするんですよね」とおっしゃっていて本当にその通りだなと。どういうかたちがベストなのかはこれから考えていきますが、なるべくお任せしていけたらと思っています。本当にしたいことに自分が引き寄せられていくのだと考えると、今、私は台本を書いて、演出をするということがやっとやりたくなったんだなと思います。


──俳優への稽古日当を目指されているお話もありましたが、今後の運営や活動についてお聞かせください。

今稽古をしている、サファリ・P 第8回公演『透き間』(2022年3月に京都府立文化芸術会館、東京芸術劇場にて公演)は、芸術文化振興基金の最後の助成です。今後はどちらかしか申請できなくなるということもありますので、来年からは芸術文化振興基金には出さず、文化庁の補助金にしか出さないと決めています。ここからどうやって活動単位ではない支援に移行していくかというタームに入ってきました。
この機会にまともな創作サイクル、台本はせいぜい年1本にしていこうとも考えています。それ以外は、劇場の主催公演で既成台本の演出を行うなどの仕事をして時間をつくりたいなと思っています。それから新たな取り組みも始まっていて、船が少し持ち直しましたね。またいつ嵐がくるかわからないですが。人生って本当に何が起こるかわからないから自分がやりたいことをやってきてよかったと思っています。泥船だとしても。まともに考えたら演劇やって会社やるっておかしいですよね。舞台芸術って経費がかかりすぎるんです。採算がとれなさすぎる。このおかしさをみんなどうやって超えていくんだろうなと思いますし、私も考え続けていきたいです。




サファリ・P 第8回公演『透き間』(2022年)稽古風景




*1 OMS戯曲賞:大阪ガス株式会社が1985年に開設した複合文化施設「扇町ミュージアムスクエア(OMS)」の10周年記念事業として、次代を担う新しい劇作家の発掘と、既に評価を得ている劇作家に活躍の場を提供することを目的に1994年に創設された戯曲賞。OMSは2003年に閉館。

*2 利賀演劇人コンクール:舞台芸術財団演劇人会議により、2000年に日本初の演出家を対象にした「利賀演出家コンクール」として開始。2008年「利賀演劇人コンクール」に改称。2020年からは、富山県・利賀から引き継ぐかたちで、兵庫県・豊岡にて「演劇人コンクール」として開催。

*3 京都舞台芸術協会:1996年に京都を中心に活動する演劇やダンスなど舞台芸術の作り手たちによって設立。2002年より特定非営利活動法人。地域の芸術家の交流や人材育成、創作環境の整備を主な目的として活動している。

*4 セゾン・フェロー:現代演劇・舞踊界での活躍が期待され、劇作、演出、振付に対する優れた構想と実績を持つ芸術家の創造活動を支援対象とする助成プログラム。フェローに選ばれると、年間の活動経費の一部に対する助成金と森下スタジオの優先貸与や活動に関わる情報提供が受けられる。

*5 舞台芸術等の創造普及活動:出演費や会場費等の公演本番に必要な経費への助成。政府からの出資金、民間からの出えん金を原資とした運用益を財源に独立行政法人日本芸術文化振興会が実施。

*6 舞台芸術創造活動活性化事業:旧「トップレベルの舞台芸術創造事業」。稽古費、音楽費、文芸費等の公演本番の前日以前の創造活動に必要な経費への助成。文化庁の文化芸術振興費補助金を財源に独立行政法人日本芸術文化振興会が実施。「複数年計画支援」「公演事業支援(一般枠)」「公演事業支援(ステップアップ枠)」の3つの支援区分がある。

*7 合同会社syuz’gen:2016年に設立された舞台芸術業界のコンサルティング(企画・制作)から現場の運営までを行う会社。



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