—まずは2016年の奈良、2017年の京都の企画についてお話をお聞かせいただけますか。
建畠:東アジア文化都市が奈良、来年は京都と日本を代表する文化都市に連続して開催されることとなりました。日本では国際展というと大都市の街中や美術館を会場にするか、あるいは自然豊かな田園地帯で開催されるケースが多いのですが、奈良は名刹を会場にし、京都でも世界の文化遺産である二条城をメイン会場にします。奈良では広大なお寺にアートが展開され、川俣正は大安寺に幻想の塔を再建するというプロジェクト、蔡國強は東大寺の池に中国の伝統的な帆船を浮かべるという、こういう機会でなければ実現できない素晴らしいプロジェクトを行った。名刹でやるのはとてもいいアイデアですね。
北川:世界の中で日本海は緊張の海ですが、東アジア文化都市の三カ国は環境的に大変な中で、どうやってつながっていくかが重要な問題だと思っています。もうひとつ重要なのは、日中韓は非常に緊張感があるけれど、海洋のつながりが背景にあるという点です。そして現在の課題を考えた時に、私たちはどこから来てどこへ行くのだろうと、人類の移動を考えて、そこにシルクロードを重ねてみた。それが今回の出発点です。シルクロードや奈良の町の骨格を活かしながら、画一化、排他的なナショナリズムに対して、多様さというのをベースにしていったらいいと考えました。南都七大寺と平城宮跡、春日大社という場所を考えて、ある意味で、一番国際的な時代の、八社寺アートプロジェクトという形を目指しました。参加アーティストは、日本は川俣正、韓国がキムスージャ、中国は蔡國強、インドがシルパ・グプタ、イランがサハンド・ヘサミヤンです。東大寺で十一面悔過(けかえ、通称お水取り)を始めた言われる実忠和尚は、一説にはレバノンの人だと聞いたことがあります。お水取りの水はレバノンの灌漑用水、火はゾロアスターの影響じゃないかと。このように東大寺さんはいろいろな意味で国際的に関わっていた。東大寺さん側には、こういった精神を持ちたいとお願いした結果、許可がおりて蔡國強チームと中国の船をつくることができました。
東アジア文化都市2016奈良市で展示された蔡國強の「船をつくる」プロジェクト
大安寺さんは、地面を掘ることが出来ないので両脇に強力なおもりを置くことによって、川俣正の力技となりました。これは遠くから見ても気持ちよかったし、中から見ると仏教の帰依者たちの高見に対する憧れというのが表れていて、ものすごくよかった。紫舟は奈良に縁が深い方で、今西家書院に良く合う作品を作っていただいた。元興寺さんでは、キムスージャが、国旗が重なることで境界を曖昧にするという作品を小子坊(県指定文化財)にあわせて展開してくれた。薬師寺さんを一番よく調べてくれたのは、シルパ・グプタ。日本では仏教がどういう形に変化したかを非常に良く勉強していました。唐招提寺さんは、ダイアナ・アルハディド。見事な手法で背景を活かしながら、ユニコーンの角だけが見える。
アイシャ・エルクメンは最初、ベネツィア・ビエンナーレに出展していたタンクとパイプを使って水の浄化を表現した作品を展示して欲しいと思っていましたが、お寺さんの中でも特に大事にされてない場所を掃除してエコロジカルな水浄化を表現した作品を作ってくれた。そして、伝統的な町並みが残る「ならまち」は奈良を拠点とする日本のアーティストなどにお願いしました。
—奈良の舞台芸術部門を監督された平田オリザさんはいかがでしょう。
平田:東アジア文化都市自体の背景に触れますと、ヨーロッパにはヨーロッパ文化首都というインフラ整備も含めた非常に大きな制度があります。文化首都になった都市は町の様々なところを変え、道路工事などまで一度にやったりという規模の大きな催しです。そういうものを東アジア文化都市は目指そうと始まったのだと思うのですが、ふたを開けてみると、他の都市でやってきたことは、残念ながら、これまではほぼ伝わってこなかった状況だと思います。奈良市は、今まで特に現代アートや舞台芸術に関してクリエイティブな仕事をなさってきたわけではないです。全くやってこなかったということではないけれど、他の開催都市と比べれば全く経験も少ないところで、本当によくがんばられたと思います。逆に言うと、僕たちに頼んだのも、本当によくわかってなかったからだと思うし、奈良の行政官・公務員の方たちが、僕たちの仕事の仕方によく耐えたなと要所要所で思いました。その部分も含めて、今までに比べて格段に尖がったことができたと誇りに思っています。舞台芸術部門の関しては予算も限られていましたので、質を高めて一点突破しかないだろうと考え、コア期間を定めて上演しました。文化庁から内定が出たという事で奈良市の方が僕の元へいらした時には、奈良市サイドとしてはやることが最初から決まっていました。要するに芸術監督の仕事など無かった。そこから、いろいろ話して、最終的にどうしましょうかと聞かれて、奈良でせっかくやるのであれば、アジアの芸術をできれば野外で、とお話しました。フラムさんともお互いに、当然奈良でやるんだったらこれしかないでしょ、とすぐに意見が合致しました。一番最初の話に戻すと、ヨーロッパの文化首都は、レガシーを残すということが重要視されている。それはインフラだけでなく、きちんと文化政策をやらなくちゃいけないということなんです。ですので、奈良市が今後もそういうことができるといいなと思っています。その意味でも、平城宮跡が使えたことは重要だったと思います。文化庁もそれなりに活かし方がわかったのではないでしょうか。日本の場合は、ハードのレガシーを残すとなったらまたオリンピックみたいないことを連想する。どういうレガシーを残していくのかを考えてやっていくのが大事なんじゃないかなと思っています。
会期中野外演劇の公演会場となった平城宮跡
—来年の京都のビジョンをお聞かせください。
建畠:奈良のディレクターであったフラムさんとオリザさんという過激なふたりが、奈良にあった既存のストーリーをご破算にして大胆なプロジェクトを実現されたわけですが、京都の場合は、まだ何にも決まっていないのです。何も決まってないけど、やれないことが決まっていて、例えば京都市美術館が使えない。音楽部門や舞台芸術部門はロームシアターのコンサートホールが使えますし、マンガ・アニメ部門はマンガミュージアムを使いますが、中心になってやってくれといわれた現代美術だけ場所がない。これを受けてまず最初に考えたのは、文化財である京都芸術センター(元・明倫小学校)は使おうということです。ですが、ここだけでは到底規模的に足りませんから、二条城を全面的に使うことになりました。奈良は、海のシルクロードから始まりそれぞれの文化財の場所性を大切したストーリーがある。これはなかなか見事だなと思います。京都にも多くのレガシーがあるのですが、二条城の歴史はあまり長くない。歴史のシルクロードで奈良に張り合おうとしても、京都は平安京当時の建物は残っていないんです。ですので朝鮮通信使や大政奉還などといった近世や近代の記憶を活かしながらやりたいと考えています。中国は長沙市、韓国は大邱が選ばれました。まだ始まったばかりで具体的なことは何も決まってない状態ですが。京都への文化庁の全面的移転が決まりましたので、京都市と文化庁が協力して行う象徴的な事業になればいいなと思います。
対談の様子(左から橋本裕介氏、建畠晢氏、北川フラム氏、平田オリザ氏)
そしてもうひとつ。これは3つの都市で開催されますが一回限りの開催なんです。新しいインフラにはお金をかけられませんから既存のインフラをうまく使った展覧会でどんなユニークなことができるかが勝負になるでしょうね。一番重要なのは、歴史的な場所が持っている物語性をなんらかの形で活かしていくということなんです。二条城がどのように展覧会場として活かされていくのか、文化財を利用することにはさまざまなせいやくがあるでしょうが、関係する方々のご理解を得ながら、面白いことができればいいなと思っています。抽象的な言い方になってしまうのですが、お互いの相乗効果が得られるような素晴らしい展覧会になればいいなと考えています。
—アジアのマーケットやアートシーンで今後予想される変化や、その中で日本のアーティストがどのような関係を結んでいくべきとお考えでしょうか。
平田:台北でオーディションをすると、北京や香港、マレーシアからも300人ぐらいのパフォーマーが受けに来ます。演劇の世界では、中国(中国語圏)が大きなマーケットになっている。あるいは、韓国は来年度から中学校で演劇の授業が必修になります。今の韓国の経済成長率は3%ですが、韓国政府はこの状態から成熟社会へ徐々に移行してくべきと考え、国家戦略として初等教育から創造性を培うような授業を始めています。一番、問題なのは日本のアーティストだと思います。特に演劇は言葉という高い障壁があるので、アーティストたちが、どれだけアジアに開かれた視点を持てるか、国籍や民族を越えて仕事ができるか、広い意味での教養を持てるかということが課題だと思っています。そういう教育が大学の演劇科でできていない。アーティストに必要な教養を身につけることは日本の大学の演劇科ではなされていないし、美大でもなされていない、そういうところが問題かなと思います。
北川:瀬戸内国際芸術祭には日本のシニアカップルや、アジアから圧倒的多数のが人が来て、かつ滞留日数は年々増えています。今、瀬戸内国際芸術祭に行くと、100人ぐらいのサポーターがいますが、半分以上はアジアの方です。かなりまじめなサポーターの半分以上が外国から来ているというすごいことが起きている。このように、アートによる地域づくりとしての瀬戸内国際芸術祭の取組みが海外からも注目されていることから、アジア各国・地域でアートによる地域づくりに取り組む人々を集めて、瀬戸内アジアフォーラムというのを行ったのですが、当初は40人くらいの来場者を見込んでいたところ、蓋を開けてみれば26団体から50人が来た。現代美術のアーティストが来て作っていくものの面白さで、新潟県越後妻有地方や瀬戸内地方までこれだけの人が来ているんです。そういうことを含めて、今までの美術史に対しての書き替えが始まっているのではないかと思うんです。テートモダンは現代美術の大英博物館を作ろうとしていて、アジアの美術も含めて文脈を作ろうとしている。面白い例でいうと、瀬戸内アジアフォーラムへ来るのに中国では行きたいという人が多数いたので予選をやったそうです。こんなふうに土地や地域の問題、農村の問題に対して関心のある人たちが、妻有や瀬戸内でやっていることに強い関心を持っている。政治は良くない方向に行っている中で、広い意味でのアートに関わる人々がどういう動きをするかには大きな可能性がある。そんな中で日本だけ資本主義の倫理性が失われており、このような問題に関心がない。こういう美術が優れているんだとかそういったことばかりに関心がある。私たちは美術の中で土壷に落ちているんです。
東アジア文化都市2016奈良市で展示された川俣正の「足場の塔」
建畠:日本でいうグローバリズムは英語だけが尺度になっていて、非常に残念だと感じています。ソウルには国立近現代美術館っていう5万平米ぐらいある美術館があって、ここの館長は西洋人なんです。欧米では海外の館長を呼ぶというケースは良くあるんですが、実はアジアでも外国人のキュレーターが結構いるんですよね。しかし日本は、美術館が376館あって、外国人の館長はひとりもいません。キュレーターも、在日の外国籍の人が数人いるくらい。一方で大学におけるグローバリズムは進んでいるんだけど、結果は、英語だけで単位はとれますか?卒業できますか?ということに矮小化されてしまう。非常に危機感を感じています。グローバリズムの一番重要な本質は、多様性を許容することだと思います。多様性を許容するっていう意味で、今回の東アジア文化プロジェクトが、何らかの寄与をしてくれればいいなと思うんです。もちろんこれはアートのプロジェクトですから、同時にアートの自己目的的な存在意義も見失ってはならないのですが。異なった文化をもつ相手の文脈をすべては理解しないでも、少なくとも同じ事物をみて感動を分かち合える。それは多様性=ダイバシティの基本ではないでしょうか。今、世界各地に政治的、民族的、歴史的、宗教的な不寛容な思想に渦巻いていて、それを乗り越えたりするのは非常に大変なことです。人間って、感情の動物で、敵対するという本能を持っているのですから。そうした他者同士が同じ会場に集い、アートが一種の触媒作用のようになって喜びを分かち合えるということを期待しています。以前、越後妻有に行った時に、高床式の倉庫みたいなのを、フィリピンからきた農民たちが作ってみせたのですが、彼らにその場所を提供した地元の農家のおばさんがが、若者が地図をみながら、次のところに移動しようとしたとき、彼女は「もう他はいかんとき。これが一番すばらしい」といった。アートプロジェクトによって農民同士が喜びを分かち合うという、とても美しい光景だと思いました。アートは多様性を社会の中で許容していくという役割が大きい。東アジアの三つの国には緊張感がないわけではないけれど、毎年三都市が選ばれて相互交流するっていうのは、大袈裟にいえば戦争抑止力にもなるのではないかなと思ってます。
東アジア文化都市2017京都のメイン会場となる二条城
—ますます文化芸術に関するイベントが国や自治体主導のもとで増えている中、ある種その目的と手段が入れ替わるようにして、自治体や国のプロモーションの手段として文化芸術が利用されているような側面があるんじゃないかと思うんです。ダイバーシティ(多様性)がアートを支える考え方の根っこのひとつにあると思うのですが、一方で自らの都市や国を誇るための競争的なアピールたのめにこうしたイベントが行われるというような雰囲気がある中で、どのように折り合いをつけていくべきでしょうか。
平田:たしかに、東アジア文化都市や、トリエンナーレやビエンナーレを通して、あるいはオリンピックのようなイベントがあると、その時にしかできないことができます。ただ、その場合でも、普段から、アーティストの側に戦略とか、行政を利用していくだけの能力が問われてくると思うのですが、そういう感覚も教育も、残念ながら日本の演出家たちは受けてきていない。だから、東京オリンピックのようなものが迫ってくるとバタバタしてしまう。私たちは職業を選ぶことができるし、亡命をする権利さえあるので、そこも含めて国や自治体などとどのように対峙していくのかということは、ますます問われるのではないでしょうか。東京にいると、東京オリンピックと無縁ではいられない。何もやらないということさえもメッセージになってしまう。どういう風に距離をとるかってことも、若いアーティストにとっては、とても大変だと思いますよ。
北川:非常に厳しい中で、どうやっていくかっていうことだと思うんですけど、スローガンを言わないで、作法でやっていこうかなと思っています。つぶれちゃだめだし、そういうところから逃げてはだめだと。作法の中で、編集し、どうやっていくかを考えています。オリザさんの仕事は作法の中の普遍性だと思っています。演劇の世界でやりながら、お医者さんにそれをやらせるといった、普遍性を考えて同時に動いていたのではないでしょうか。普遍性をもちながらやることが重要でしょう。
建畠:ジャンルが融合したり越境したりすることが重要ではないでしょうか。今まで多くのトリエンナーレやビエンナーレに関わってきましたが、基本的には美術が中心だったし、ほかのイベントと言っても、そこまでシャッフルするようなことはしませんでした。今回はできれば、もともと未分化なところで、何かの表現が成立しているという風になればいいなと考えています。京都芸術センターや、二条城は美術専用の施設じゃないですよね。今回に関しては、自然にあいまいに共存しているような雰囲気が醸成できればいい。いいものができるように努力しようと思います。