―文化庁芸術祭優秀賞のご受賞おめでとうございます。芸術祭参加の中で、最も小さい公演の一つかもしれない、とおっしゃってましたが、まず新内浄瑠璃とはどういう芸能か、からお聞きします。
一言で言うと「三味線に乗せて、人間の物語を語る」語り物です。太夫(たゆう)が物語を語り、三味線がそれを支えます。役者も人形も映像もない、非常にシンプルで、大きな舞台ではなくお座敷での素語りです。
新内といえば江戸の浄瑠璃、と思われているので、「なぜ京都で新内を?」と言われますが、源流である一中節はもともと京都で生まれたもので、新内は京都には所縁が深いんです。
―芸能の持つ記憶というのがあれば、新内をルーツである京都でやるおもしろさがありますね。さて京都芸術センターでの公演について。
この10年間、京都芸術センター(以下芸術センター)で様々な公演をやらせて頂いたので、一度過去を俯瞰してみたらこれから先どうしないとあかんかも見えてくるかな、と。もちろん他の場所でもいろいろ活動してきましたが、芸術センターではたくさんの人との出会いがあったのが大きく、感謝しています。
―芸術センター公演のはじまりは2005年「新内の夕べ」ですね。
このときは、古典の新内浄瑠璃の他に、俳優さんの1人芝居、新作で日舞、舞踏、現代美術、三味線とシタールというコラボレーションをしました。
―異ジャンルとのコラボレーションは、単なるセッションと違い難しいと思いますが、どういう事をなさりたかったのでしょう?
新作でコラボレーションするときは、異なる表現の方法を持つ演者との共演が、作品に絶対的な必然性があることを前提にして、台本の段階から共演者を念頭に書きはじめます。違いがあるからこそ、音色や間、発声など、日本音楽の固有の面白さに気づく機会になるのではと思います。
―異質なものと共演することにより、伝統を崩すのではなく、逆にその特徴を際立たせるということですね。翌年2006年は、お座敷唄が中心のコンサートをなさいました。
映画に時々芸者役として出演するので、ずっと座敷唄を勉強していましたが、映画がご縁で上方の粋な唄を集めた「みやこ遊びうた」コンサートとCDもつくりました。
―お座敷というのは、限定的な場でありながら、高度に洗練されていった濃縮文化の場なんですね。
そうなんです。ちょうどその頃、大阪の花街・南地(なんち)の由緒ある大きなお茶屋の大和屋さんが廃業され、関東、関西を問わず危機感があり、今、何らかの形でそこで唄われていた楽曲を残さんとあかんと思ったんです。
そして、翌年は、歌舞伎役者・坂田藤十郎襲名ドキュメント映画「平成の坂田藤十郎」上映イベントで心中天網島の梅川忠兵衛という古典の新内を、語らせていただきました。
―歌舞伎の舞台では使われない新内で語る、というのも珍しいですね。続いて翌年、視線は海外へ。
はい、2008年はブラジル移民100年ボサノバ50年記念の年で、新内とボサノバで綴るブラジル移民の創作《望郷センチメントス》という公演を。実はその頃読んでいた『サンバの国に演歌は流れる』『遠きにありてつくるもの』という本の中に、「ブラジル移民の船上で新内を聴いた」という実話があり「これだ!」と。著者・細川周平さん(国際日本文化センター)が京都に住んでおられたので初演を見ていただくこともできました。
「京都の距離感」というのでしょうか。自転車で行き合えるサイズの街に、研究者と演奏者、宗教者、工芸家などさまざまな人が住んでいて交差する。研究者の方からも、研究が実際に音としてたち上がることを喜んでいただけました。
―そして次の年は、実験的な現代音楽に参加。
アメリカの現代作曲家「ジョン・ケージ生誕100周年記念コンサート」で、《Ryoanji》という作品に参加出演。現代音楽の図形楽譜を読むのも、三味線を弓で弾くのも初めてでしたが、とにかく作曲家ケージが描いた、龍安寺の「石」になろう、作曲家の意図を体現する一演奏者に、と無心に徹したことから、禅における「無」、ケージのいう「沈黙」にふれられたのではないかと思います。あらためて日本音楽の「間」について振り返ることになりました。
―重森さんは見た目は楚々として非常に控えめですが、なさることはアバンギャルド、伝統の世界でお育ちになったのに?
小さい時から母に、歌舞伎やお芝居などによくつれて行って貰いました。おけいこは小唄、三味線、お茶、お花、日本舞踊、書道、ピアノなどたくさん習わせてもらっていたのですが、後に、新内志賀大掾(しんないしがのだいじょう)という東京の太夫に新内を教えて貰うようになり、この人の芸は本当にすごくて、すっかり新内にはまってしまったんです。
―小学生で新内にはまるって渋すぎませんか。
いえ、どんな芸でも凄いものには、子どもでも夢中になります。母・重森由郷(しげもりゆうごう)は日本舞踊家ですが、ドビュッシーの曲や、鳥の声と打楽器だけで野外で踊るなど、とても先進的なことをしていたようです。また、祖父・重森三玲は作庭家でしたが、1950年代頃、日本中を前衛的な創作運動が怒濤のように吹き渡った時代、勅使河原蒼風、中川幸夫、イサムノグチなど様々な人が家に出入りしていたそうで、三玲の娘である母も随分影響を受けたのでしょう。
―ははぁ、それらが幼い重森さんの記憶に残っていた?
いえ、私が生まれたのはその後なので、物心ついたとき母はスタンダードな(笑)日舞をやっていたことしか知りません。前衛的な事はやり尽くして古典に回帰したということだったのではないかと思います。
―でもその精神は重森さんの体に流れているようですね。
ところでご出身の京都産業大学ではイタリア語を専攻なさいました。イタリアは自分の中でどういう位置を占めていますか?
建築や美術やオペラなど、長い歴史から生まれた伝統的な芸術と、デザインなど新しい優れたものを生むイタリアに惹かれました。卒論ではイタロ・カルヴィーノを研究しました。子供のときから伝統的な日本文化の中で育ちましたので、広い世界から日本を観る良い機会となりました。
また近年、日本を描いたハリウッド映画の海外ロケに参加させて頂いた時に、日本の文化や芸能そのもののあり方や伝え方についても考え直すようになりました。
―なるほど。さて、異ジャンルとの共作共演、お座敷唄、映画、イタリア文化など、本当に多方面での蓄えを経て、いよいよ2012年に新内研進派家元新内志賀を襲名されました。家元になって変わられたことは?
やはり「新内」そのものをしっかり伝えて表現していかんとあかん、と強く思うようになりました。そして2012年から三年シリーズで「語りの系譜」という新内の公演を始めたのです。
『新内志賀の会~語りの系譜 Ⅲ』(2014年11月2日 京都芸術センター)撮影:林口哲也
―語りの系譜、という意味は?
新内は、孤高の芸術ではなくて、常に社会と共にあります。わたしもその中を生きています。公演「語りの系譜」では、毎回、江戸時代の『古典』と、明治大正頃の『近代』の作品と、現代の『新作』の三作品で構成しました。
新内のこの3つの時間軸の中で、古典や近代の名作を堪能し、作品とその描かれた時代の変遷も感じてほしいし、古典の名作を聴いていて、現代の人の情がはっとわかることもあります。江戸時代から私の師匠へと、人から人へ伝えられてきた芸のつながり、すべてが「語りの系譜」です。
―重森さんはたくさん新作を作られていますね。
新内の曲というのは案外多くはないので、新しい作品を作って残さなければとの思いがあります。去年の新作《月の媼(おうな)》は能の「三老女」から創案で、能管との二管を使い、我が子の為に永遠のいのちを得た媼の「その後」を描いて、「いのちとは、人間の時間とは?生命科学の進歩の行方は?」という命題を投げかけてみました。iPS細胞の研究がノーベル賞を受賞し、私たちにも身近な命題です。これから他の方がどんな形でも再演してくださったら嬉しいと思っています。浄瑠璃でなくても、日本舞踊でも、演劇でも。
―他に、現代社会とのかかわりでは、どういう作品がありますか。
9.11(NYテロ事件)が起こったとき、考えに考えました。中世の説話「御伽草子(おとぎぞうし)」の鬼退治の話をもとに、鬼の立場からみたらどうなんだろう?暴力の連鎖は?と悩みながら「大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)」を創りました。
―確かに、歴史というのは勝者の物語。敗者は悪者にされがちですね。じゃ、そういう定説や歴史観もひっくり返そうと?
そんな大それたことは考えていませんが、新内は、演劇的でもあり、文学を音楽的に語るもの。演劇も文学も同時代のものです。この時代を私の見方で取り上げ、「一緒に考える」新内として表現したいと思います。
―それは、映画や芝居と違って、視覚的要素が少ない新内だからこそ、観客が想像力をフルに使うのですね。
そうなんです、想像させる力。ここが語りの大きな魅力です。お客様ひとりひとり違う想像の世界に遊べるのです。
―重森さんの公演で驚くのは、観客の半分位は和服の上品な年配の方ですが、残りの半分くらいが若くて個性的な格好をした美術系の大学生とか、ライブが好きそうな若い男性とか・・が眼をキラキラさせながらかぶりつきの座布団に座っている光景ですね。そして切ない場面で泣いてはります。
はい、それは嬉しいことです。芸術センターでの今までの活動で出会って興味を持って来られてるのかもしれませんね。
―演奏会「語りの系譜」では溢れる位満員なのに、もっと広いホールでなくなぜ芸術センター大広間(和室)で?
はい、立見や入れない方にはご迷惑かけましたが、生で体験する芸能には、「場」の雰囲気や設えから受けとるものも大切。新内は座敷の芸能ですから、生声が届くサイズと、障子など日本的な建築での音の響きと、空間を満たす光の柔らかさ、そこに流れる時間など、「音と聴く場の関係」にこだわりたいのです。
―生の場を共有する、非常に身体的な部分が大切だと。ところで古典では、常識的なストーリーってあまりありませんね。
はい、登場人物は、ハチャメチャな人生ですね(笑)。とことん恋に溺れて心中したり、非道の限りを尽くす極悪人とか・・。
―人の奥の無意識の悪意などもむき出しにしてみせるのに、美しい。
人間の弱さや愚かしさが、人の情や営みの愛おしさとともに、真っ直ぐに描かれて、人の心に届く。まさにそれが美の力ですね。そういう普遍的な人間の生きることの畏れや喜びを演じたいと思っています。
―新内について、今後どういう点に力を入れていきたいですか?
「ことば」だけで語るので、現代では、「心中ってなに?」と。まず肝心の「ことば」の意味が伝わらないのです。そこをうまく補足するのも課題です。なにより日本語の「音の響き」の美しさと、三味線の「艶やかな音色」を味わって欲しいです。
―なるほど、もう一度、重森さんにとって、新内とはなんでしょう?
私自身の生きている一部、です。大切なものを誰かとやりとりする・コミュニケートできる、というのでしょうか。その「場」です。そして後から続く人たちに、新内という芸の面白さを伝えたい。その一心です。
―有り難うございました。新内演奏家として、また和楽アーチストとして、これからも目が離せませんね。今秋からも「アートに国籍は必要か」(シンポジウム・9/19)「京都・和の文化体験の日」(12/12-13企画・コーディネート)など、演奏家としてだけでなく、幅広く邦楽活性化の要として活躍が期待されます。
■取材:2015年3月2日 京都芸術センター和室「明倫」にて