KAB Dialogue インタビュー/対談

Vol.46

インタビュー2015.07.21 UP

新たな表現の地平を求めて
―京都からニューヨークへ

ヒョンギョン(美術家)

  • インタビュー/文/写真:青嶋 絢

京都へ留学生として来日し、2011年に京都市立芸術大学美術研究科博士課程を修了。京都を拠点に作家活動を行ってきた美術家ヒョンギョン。2014年春、京都からニューヨークへと活動拠点を移し、2015年3月には、新進気鋭のアーティストを紹介するアートフェアVolta NY, Shin Galleryグループ展VENI, VIDE, VICI、滞在中のレジデンスPIONEER WORKSでのオープンスタジオなど、精力的に作品を発表し活躍の場を広げています。Kyoto Art Boxの前回インタビューから約3年、活動拠点を移したきっかけ、滞在中のレジデンス、新たな場での表現の変化など、ニューヨーク滞在中の彼女を訪ね話を聞きました。

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SHIN GALLERY「VENI, VIDE, VICI」展

―京都からニューヨークへ拠点を移した理由、そのきっかけについて聞かせて下さい。

ニューヨークって、なんとなく行ってみたかったというのがあって。それまで日本以外の外国に行ったことがなかったから、本当になんとなくです。コンテンポラリーアートの中心地という印象もあったし、もう一回新しいところでチャンレンジしてみたいという想いがあって。自分ではいろいろ行き詰まりもあったし、個人的にも作家としても何か変化が必要な時期だったと思います。最初に日本に来たときも、「しっかり計画があって、こういう目的だから来た」というわけではなかったので。いつも通り本能的に動いただけですね。

―最初にニューヨークへ来たときに知り合いや、ツテはありましたか?

Shin Galleryというギャラリーに声をかけてもらったのですが、こちらに完全に移る前に一度ギャラリーを見にいったのが最初でした。思いがけず、その時に展覧会をやることになって、そのために2ヶ月間滞在して作品をつくりました。現地で制作と生活をしてみて「こういう感じだったら、ここでやってみてもいいかな」と思えたので。だからまったく知り合いがいない状況ではなかったのですが、人脈はほぼゼロでした。

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ロウアーマンハッタンにあるSHIN GALLERY

―Shin Galleryとはどういうきっかけで知り合ったのですか?

日本に住んでいる時に、韓国で展覧会をする機会があって。この展覧会は期間も短かったし、来場者もあまり多くない小さな規模の展示でした。その時に見にきてくれた人がブログに私の作品を載せてくれて。それをギャラリーの人がネットで見つけて興味を持ってくれたみたいで、「作品がすごく面白いから、一度、展覧会をやりたいのだけれど。」という電話をもらったのが始まりです。その時はギャラリーも立ち上げたばかりで、現代アートやアーティストについてよく知っているわけではなかったようです。私も電話をもらっただけでは信頼出来るかどうかわからなくて、でも最初に目に留まったというのが始まりでした。 「ニューヨークのギャラリストが、日本を拠点に活動する作家の作品を、韓国のウェブサイトで見つける」ということが面白いと思いました。昔だったらあり得ないことですが、今ではウェブサイトやSNSなどから縁が始まったりもするので。私はソーシャルサイトに鈍感な人間なのでこれまで興味が無かったのですが、そういう発信方法も大切だと思うようになりました。どこでなにが起こるか分からないですから。

―ニューヨークでの制作環境や滞在中のレジデンスプログラムについて教えてください。

ニューヨークはびっくりするほど家賃が高いので、スタジオを個人では借りられません。最初の頃は制作スペースが無くて、まったく制作出来ずに憂鬱な日々を過ごしていました。ギャラリーの地下でなんとか制作をしていました。それからISCP (The International Studio & Curatorial Program)というレジデンスに応募して、そこで制作を始めました。ISCPは個人のスタジオ・スペースがしっかりあって、制作するにはよい環境でした。ただ、スタジオのドアを閉めてしまえば完全な個室になるので、私のような人見知りの性格では他の人とコミュニケーションをとる事がなかなか難しい環境でした。もちろんそれは私個人の問題で、レジデンス自体はすごく国際的な場でした。世界各国からアーティストが来ていて、キュレーターや関係者とのミーティングをアレンジしてくれるなど、いいところでした。私は英語が全くできなかったので、すべてをスキップしていました。他の人はパーティーやイベントで友達を作ったりしていたみたいですが、私はそういうふうにはなれなかった。だからスタジオで制作して家に帰るという毎日でした。その頃は徹底的に一人の時間を過ごしていました。良かったのは、オープンスタジオをした時に沢山人がきてくれて、作品に対する反応が得られたことです。

―その後に、PIONNER WORKSのレジデンスに移った?

はい、PIONNER WORKSにはギャラリーがレジデンスを申し込んでくれました。後から知ったのですが、PIONNER WORKSは入るのが本当に大変なレジデンスだそうです。スタジオの数が少ないので競争率が高いそうです。ここは本当に素敵な場所で、煉瓦づくりの建物を改装したビルに、スタジオや展示スペース、オフィスなどが入っています。とてもオープンなつくりで、いつでも誰でも入って見ることができます。制作スペースにはドアが無く、仕切りだけで個別のスペースを分けています。最初はちょっとやりにくかったのですが、だからこそ、すぐ人と出会えて、場所も広くて本当に最高のレジデンスだと思います。滞在期間は短くて3ヶ月、長くて6ヶ月のプログラムで、様々な国・地域からアーティストが来ており、アメリカを拠点にしている作家の他に、フランス、ブラジル、イスラエルなどから来ています。今のレジデンスでは、アジア人は私一人です。街から離れていてアクセスが少し不便ですが、イベントが毎週企画されていて、いつもにぎやかで活発、元気な場所です。

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PIONEER WORKS レジデンス施設

―PIONNER WORKSと同時期にResidency Unlimitedにも参加されていますが、どのようなレジデンスですか?

Residency Unlimitedは、制作スペースが無い代わりにキュレーターやギャラリー、レジデンス施設などの紹介や、アーティストが活動出来るためのネットワークと情報を提供してくれます。ニューヨークでの人脈やネットワークを紹介してもらえるのは海外からのアーティストにとってとても大事なことです。Residency Unlimitedが窓口の役割をしてくれて、PIONEER WORKSでは制作をするという贅沢な感じでやっています。どちらのレジデンスも滞在期間がこの6月で終わりですが、その後も別のプロジェクトに声をかけてくれたり、展覧会を企画してくれたりと、ネットワークは今後も繋がっていきそうです。

―PIONNER WORKSのスタジオでは、取材中にも多くの人が訪れていて、作品に見入ったり、作品について話を聞いたりしていましたね。廊下とスタジオが繋がっていて、通り過ぎながら目に入るというのはとてもよい仕組みだと思いました。ところで、作品に対してニューヨークのオーディエンスのリアクションはどのようなものですか?また、印象に残ったオーディエンスとの出会いはありますか?

ニューヨークのオーディエンスは、好きなものに対しては大げさなくらい表現する。はっきりしていて何かしら反応してくれるので、それがすごくいいです。いろいろな人と出会いましたが、印象に残っているのはコレクターと出会えたことでしょうか。印象に残る二人がいます。彼らは本格的なアートコレクターというより、家族で作品を楽しんでいます。展示やアートフェアに子供を連れて来て作品を見せたり、互いに意見をかわしたり、そういった形で私の作品を楽しんでくれるのはうれしいですね。私はいい人と巡り会っていると思います。 ただ、私はキュレーターやアート関係者と上手く話すのが苦手なようで、レジデンスではキュレーターを紹介してくれるのですが、ちゃんと自分をプロモーションできないことがもどかしく感じます。「自分の言葉で自分の作品を伝えること」それが今一番の宿題です。 外国語だからというだけでなく、自分の言葉で伝えることは難しいです。日本でも、自分の作品を日本語で説明するのは本当に時間がかかりました。その国の言葉を話せるようになるまでの時間に加えて、自分の言葉で作品について話すのはさらに別の時間がかかると思います。アートは頭、手、心をもって作るものだと思いますが、私は感情が先走って、手がやっとついていき、頭はまだまだ後を追いかけるという状態です。

―今年の3月にはVolta NYへの出展、グループ展、オープンスタジオと立て続けに作品を発表していましたが、それ以前には何か発表の機会はありましたか?

今は立て続けに見てもらえる機会が出来ましたが、ニューヨークに来てからの1年間、これといって機会は無かったです。日本での8年間も、それほど多くの発表の機会はありませんでした。まだニューヨークに来てから1年ですので、ギャラリーでの展覧会以外は、美術館などの公的な場所で作品を見てもらえる機会はなかなか無いですね。ギャラリーやオークションなどでちょっとずつ作品を買ってもらえることはあったのですが、それ以外に自分でもリサーチして展示の機会を見つけていかなければとも思います。今はレジデンスに参加することで、外に向けて自分を少しでも知ってもらう時期だと考えています。

―今回のVoltaやグループ展の作品を見ていると、これまでと比べて抽象的な作品が増えたと感じました。表現において変化したことはありますか?

やはり作品は環境の変化を受けると思いましたね。ニューヨークと京都では時間の流れの感じ方がまったく違います。こちらではすべてがあっという間という感じです。レジデンスなんて3ヶ月か6ヶ月で出て行かなきゃならない。頻繁な引っ越しやら何やらで、落ちつく環境ではとてもありません。京都ではよりディテールな作品、じっくり時間をかけたペインティングを多くつくりました。私は日本の工芸的な技巧や美しさに惹かれましたし、見習いたかった。そして京都の静的な空気感や落ち着いた環境が私の作品のスタイルを作ったと思います。こちらではどうも落ち着ける場所も時間もない。荷造りをほどけばまた荷造りをしなければならない。京都でのやり方でやったらレジデンスが終わるまで1、2点くらいしかつくれないと思い、限られた時間でそのときの感覚をそのままキャンバスにぶつけるなど、以前より即興的なやり方を選びました。ブラシを使わず手で描くとか、体の動きの痕跡がみえるフィジカルなプロセスを大事にする作品を追求したら抽象表現に近くなった部分もありますが、今は私にとっては変化の時期なので、それを素直に受け入れ、これまでの作品とうまく合体させ新しいペインティングを模索中です。根本的に変わった事はありません。ただ変化を嬉しく受け入れている真っ最中です。

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ギャラリー・スタジオにて、滞在中に制作した作品

―京都とニューヨーク、制作面、生活面での実際的な違いはありましたか?

素材に関しては、ペインティングは絵の具で日本と変わらないし、ファブリックもあるものを使うので、こっちにきてアメリカならではというものは特にありません。それよりも、素材を手に入れるのにも、買い物一つがとても大変。何が、どこに売っているのかを探すだけでも、サービスもあまり良くないですし、高いし、制作を始めるまでに手間がかかります。何ガロンもするようなモデリングペーストを3つも4つも持って電車に乗ったり、長い木や大きなパネルを持って電車に乗ってみんなに見られたり、道で拾ったオブジェを電車で運んだり。恥知らずもいいところで、そういう意味では本当にたくましくならなきゃと思います。一人ではできないことも沢山あって、日本では本当に友達やみんなに助けられていたなと思います。京都を思い出すたびに私の周りにいてくれた人たちに感謝の気持ちでいっぱいです。言葉にして言わないけれども…こちらでも、もうちょっと社交的な人にならないといけないなと思っています。そういう面ではレジデンスに入ったほうが情報共有もでき、ずいぶんと助けになります。 生活面においては、どこにいても私自身の生活は一緒だと思います。韓国にいても、日本でも、ニューヨークでも。自分がまず変わらないと。日本での私はどちらかというと自分に自信がなく引きこもりのタイプだったので、ニューヨークでもそういう意味ではあんまり変わりはありません。「作品を作って家に帰ってご飯を食べて寝る」という生活がずっと続くのは、京都での生活リズムと一緒です。もっとソーシャルな活動をしようと思えば沢山の人に出会えるし、いろんな経験が出来るだろうなっていうのはすごく分かります。そこに飛び込まないのは自分の問題です。自分で刺激を求めて、それを見つけない限り、いくらニューヨークだからといって大して変わりはないと思います。 私にとってニューヨークは、自分から好きになろうとしないと好きになれない場所かもしれません。観光で来るのと、ここで生きていくのとは大きく異なります。自分でがんばってコミュニケーションをとって、人々に出会って、いっぱい作品を作って認めてもらえる。頑張った分だけ好きにはなれる。まあ、どこでも結局一緒かな、こういうのも…今、気がつきました。1年経って、いまだに来たばかりの気持ちです。まだまだ知らない事だらけで、京都との差なんてわかりません。ただ、ニューヨークはパーティーやイベント、オープニングなど、なにかしら常に行われている、なにかが常に動いている、変化している、活気があり過ぎる場所という感じです。

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PIONEER WORKS オープンスタジオの様子

―韓国から日本、さらにアメリカへ、単に場所を変えるだけではなく、新たな言語を修得し、人間関係を築いて、自ら作品を発表する場を広げてゆくことは、容易いことではないと想像します。そのモチベーションはどこから来るのでしょうか?

日本から出てこっちにくるまで、時間的には早かったのですが、実は後で引きずったり、いろいろ考えたり、泣いたりしました。長くいた場から離れる事は易しいことではありません。後悔もあったりしますし。私はすごく自己中心的な人間なので、そのときの自分には一番大事だった事に従う事が正解でした。寂しい気持ちも、悲しい事もありますが、自分で決めた事だから我慢ですね。モチベーションというのは実はそういうところから来ているかもしれない。幸せかどうかは分かりませんが、自分で決めた事だからなにがあってもやり通したいという根性が私のモチベーションかもしれない。びっくりさせるような作品を作り続けたいと思っています。それはつねに私が生きてゆくためのモチベーションです。

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Plofile

ヒョンギョン (Hyon Gyon)

美術家, 韓国出身、ニューヨーク在住。韓国の大学を卒業後、日本へ留学し京都市立芸術大学大学院で修士、博士号を取得。京都を拠点に活動し、日本国内のグループ展・個展は、東京都現代美術館(2007年/2010年)、「On a Knife Edge-二つの向こう岸展」(京都芸術センター/2011年)。海外では、サンフランシスコアジア美術館「Phantom of Asia」 (2012年) 、「Phantoms on Parade」(Shin Gallery, New York 2013年)など。2014年からアメリカ・ニューヨークに拠点を移し、Pioneer Works, Residency Unlimited等のレジデンスで滞在制作・発表を行っている。ブルックリン美術館、The High Museum (アトランタ), 京都市美術館、 the Frederick R. Weisman Art Foundationなどに作品収蔵。
HP: http://www.shin-gallery.com/Artist/ArtistsView.aspx?ArtistCd=20

青嶋絢

アート・コーディネーター。ニューヨーク・ロングアイランド大学でアートマネジメントを学び、シェナンドア大学音楽院(ヴァージニア)で芸術運営学修士号を取得。京都芸術センター アート・コーディネーター勤務を経て、2011年よりフリーランスコーディネーターとして、国際アートプロジェクト、アーティスト・イン・レジデンス、音楽企画のコーディネートに携わる。大阪大学文学研究科文化表現論(音楽学)博士前期課程在籍。京都市立芸術大学インターナショナル・コーディネーター。

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