
Vol.18
インタビュー2013.09.25 UP
環境に依存しない「自分自身」
—新天地にて思う「これまで」と「これから」—
Aoki laska(シンガーソングライター)
- 聞き手:田中郁后、岩橋真平
- 撮影:薄田和彦
東京の名門レーベル「& records」初の日本人女性シンガーソングライターとしてデビューし、都内を中心に大型音楽フェスへの参加やテレビCMソングを歌うなど精力的に音楽活動を展開してきたaoki laskaさんが京都府亀岡市に移住してきたのが2013年4月。現在は京都を拠点に活動するaoki laskaさんにお話を伺いました。
—aokiさんは東京で音楽活動を開始する以前は各地を転々とされていたとの事ですが元々出身はどちらなんですか?
生まれたのは神奈川県の川崎市なんですが、親が転勤族だったという事もあって福岡に住んでいた時期もありました。その後はずっと神奈川ですね。秋田は元々母親の実家で、今は母親もそちらにいるので秋田は現在の実家という感じです。だからどこが故郷なのかあんまり分からない(笑)
—ニューヨークにいた時期もあるとお聞きしました。
ニューヨークには半年くらい居ました。音楽がやりたくてニューヨークで音楽の先生に付いて勉強をしていました。その先生には日本に帰る時に日本での音楽活動の基盤となる人を色々と紹介して頂いたりしたので、今に繋がる大切な時期だったなと感謝しています。
—そして日本に帰って来て東京で本格的に音楽活動を開始されるわけですが、東京ではどのような音楽活動をしていたんでしょうか。
最初は一人で弾き語りを都内のライブハウスで地道にやっていました。23歳くらいの頃ですね。その頃はバンドや、誰かと一緒に演奏したりする事もあったんですけど、全然長続きしなくて。
—一人でやる方が性に合ってた?
一人でも……別にやりたくなくて(笑)ほんとは弾き語りもしたくなかったんです。でもとにかく私は歌を歌いたかったから。その為には弾き語りしかなかったという感じです。

—とにかく歌いたい、音楽を続けたい一心だったと。そんなaokiさんも後に東京でサポートメンバーを迎えバンド形態でのライブを行うようになりますが、それは何かきっかけがあったのでしょうか。
ずっと一人でやってたんですけど、段々自分の音楽に行き詰まってしまって。何とかしようと思って元々知り合いだったYOMOYA(※1)というバンドの長倉さんに相談したんです。それで紹介されたのがnhhmbase(※2)というバンドの入井さん(現在は脱退)という人で。その3人で一緒にバンドのようなものをやる事になって1年くらいライブをしたりデモを作ったりしていました。
—YOMOYAもnhhmbaseもaokiさんが現在所属している「& records」(※3)所属のバンドですね。
そうです。それである日入井さんから電話がかかってきて「& records主催の震災チャリティーイベントをやるんだけど、出演枠に空きがあるから出ないか」って言われて急遽出演することになったんです。その時に1年間貯めていた曲を入井さんと二人で演奏したんですけど、そのライブの反応が凄く良くて。そこから少しずつ考え方が変わってきた気がします。そのライブを& recordsの関係者の方が観てくださっていて「うちで一緒にやらない?」と声をかけて頂いて結果的にデビューのきっかけにもなりました。

—そのライブを転機に誰かと音楽を一緒にやるのが楽しくなってきた?
そうですね。あとfolk squat(※4)の平松さんにCDのプロデュースして頂いたのも大きかったです。化学反応が起きたというか、他の人のアイディアが自分の曲に加わることでこういう風に変化するんだなっていう経験をして、誰かと一緒に音楽をやる事に抵抗がなくなっていった気がします。
—そうした東京での活動を経て、今年の4月に京都府亀岡市に移住されてくる訳ですが、京都に移住する事でそれまで一緒にやってきた& recordsを中心とした東京で活躍するミュージシャンたちと距離が離れる事に不安はありませんでしたか。
それがもう全然無くて。確かに東京のメンバーとずっと一緒にやってきたけど、自分の中だけでなくメンバー全員の中で「やりきった」という満足感があった。皆の中で一区切り付いた時期だったんじゃないかな。メンバーも京都に行く事に対して「いいんじゃない?」って賛成してくれたし。
—では京都に来る事は音楽活動という面においてはあまり意識しなかった?
むしろ京都に行った方が面白そうだと思っていました。東京に居た時、京都のミュージシャンと知り合いになったり共演する機会がほんとに多くて。京都の人たちって「ちょっとそこまで」っていう感じでフラッと東京にやって来るんですよね(笑)だから自然に仲良くなっていって、気がついたら周りに京都のミュージシャンがいっぱい居たので不安はなかったですね。
—実際に亀岡に住んでみてどうですか。
亀岡に初めて関西ツアーの時に来た時はまさに「一目惚れ」という感じでした。自然豊かで星もきれいだし、「ここに住みたい!」って強く思ったので、今はとても充実しています。ただやっぱり音楽は続けたかったので、京都市が近いっていうのが前提としてあったと思います。京都市はやっぱり面白いライブハウスやイベントも沢山あるし、カルチャーの面でとても面白い街なので。亀岡はそういう自然と文化のバランスというか、距離感がちょうど良かったのかもしれない。
—確かに亀岡は自然も豊かだけど京都市内にも車や電車ですぐに行けますもんね。
そうですね。「ここなら自然の中にいてもやりたい事できそうだな」って思いましたね。音楽活動と並行して自然の中で暮らしたり農業をしたり、ミュージシャンとしての新しいライフスタイルを模索するには良い環境なんじゃないかな。

—そうした自然の多い環境に移住した事でご自分の中の歌詞、メロディ、音楽に対する考え方などが変化したと感じる事はありますか。
私も最初亀岡に来た時は「この豊かな自然は私の中の何を変えてくれるのか」と期待していた部分があったんですね。でも実際に一面の田んぼと山と空を前にして、結局何も変わらなかったというのが正直なところです。
自分でも「あれ?」と思って。それこそ、引っ越して来てすぐの時は散歩してて山を見ては「さあ、私!目の前に山があるぞ!」とか「さあ!何か感じるんだ!」とか思っていたんですけど(笑)それは返って不自然ですよね。で、気づいたのはやっぱり環境じゃないなと言う事。あくまで自分は自分で、大切なのは自分の心だという事ですね。
東京に居たときは「東京は〇〇で〇〇だからダメなんだ!」とか「もっと生活がこう変わればこういう曲が書けるんじゃないか」と考えていたんですけど、それは結局全部環境に依存して環境のせいにしているだけだったんだなと亀岡に住んでから気がつきました。
結局何かを「意図してやる」っていう事をしてしまうと私の場合は良いものが出来ない事が多いですね。小手先で上手くやる事もできるけど、色々ごちゃごちゃ考えないで流れに身を任すのが良いかなと思っています。
—では最後に、京都で音楽活動を行っていくにあたって今後の目標、やりたい事などを聞かせてください。
さっきも言った様に京都に移住してくる事に不安が無かったのは、京都に来て間もないのに一緒にやってくれる京都のサポートミュージシャンがたくさんいてくれたからだと思うんです。そういう恵まれた環境にいるのが本当にありがたいと思っています。だから今は京都の素晴らしいミュージシャンたちとCDを作りたいですね。レコーディングスタジオ、エンジニアから、ミュージシャンまで全て京都の人と場所で、CDを作りたいです。
逆にライブは京都の外にどんどん出て色んな所に行けたらいいなと思っています。東京に居る頃はもっと自分の人生が「どこまでも遠くに行けばいいのに」「行ける所まで行ってしまいたい」という感覚もあって積極的にツアーに行ってたんですが、今は亀岡に根を下してここでずっと暮らしていくっていう……帰る所があるから今までとはまた違う気持ちで府外にも積極的に出て行ける気がしています。

■取材日:2013年9月5日(木)■取材場所:京都府亀岡市にて
(※1)YOMOYA(ヨモヤ): 2003年結成されたトリオバンド。「& records」所属。エレクトロニカ、ポスト・ロック、オルタナ、USインディー、フォーク、J-POPなどを消化した音楽で都内を中心に活動、人気を博すが2011年12月22日、o-nestでのワンマン公演にて惜しまれつつ解散。
(※2)nhhmbase(ネハンベース): 2004年より都内を中心に活動を開始。数学的なリズム解釈で独自の音楽性を追求し続け、今も尚多くの賛同を得続けるバンド。現在は「& records」から移籍、自主レーベルである「rpmdrecords」(ラペミンドレコーズ)に所属。精力的に活動している。
(※3)& records(アンド・レコーズ): aoki laskaの所属する音楽レーベル。2003年に東京にて創設。国内外、ジャンルを問わず良質な音楽を紹介し続け、幅広い層より支持を集める。
(※4)folk squat(フォーク・スクワット): 2002年より活動を続けるバンド。「& records」所属。メンバーの平松泰二氏はaoki laskaのデビュー・ミニ・アルバム『about me』と、ファーストフルアルバム『it’s you』の録音、ミックス、プロデュースを担当した。
Aoki laska(あおきらすか)
& records初の日本人女性シンガーソングライター。2011年12月、ミニ・アルバム『about me』でデビュー。同レーベル所属であるfolk squatの平松泰二がプロデュース、レコーディング、ミックスを手がけ、同じく同レーベル所属であるYOMOYA(現在は解散)の長倉亮介、4 bonjour’s partiesの日下部裕一も参加したこの作品は、リリース前から大きな話題を呼び、exPoP!!!!! や KAIKOO POPWAVE FESTIVALに出演を果たし、強烈なインパクトを残す。リード・トラックである名曲「群れ」 はTOKYO FMやFM石川、USENなどでヘビーローテーションとなる。同曲のMVの監督はenvyやLOSTAGE、チャットモンチーらの作品を手がけるMINORxU。2012年、初の関西ツアーや東北ツアーも成功させ、3月にはCharaや坂本真綾もファンであるというアメリカのOWENの前座も務める。4月には、デビュー後わずか半年たらずでARABAKI ROCK FESTに出演するという快挙を果たす。6月にはスズキの軽自動車「ラパン」のTV CMで、広末涼子の「大スキ!」をカヴァー。全国で大量オンエアされ話題に。SHIMOKITAZAWA SOUND CRUISING、下北沢インディーファンクラブ、見放題などのライヴ・サーキットにも相次いで出演する。9月、代官山晴れたら空に豆まいてにて、Predawn、YeYe、Carolineを招いて開催された初のリリース・パーティーはソールド・アウトとなる。2013年、二年連続となるARABAKI ROCK FEST出演。6/12にリリースされたSpangle call Lilli Lineの2枚組ベスト・アルバム『SINCE2』に収録された名曲「nano」のリメイク・ヴァージョンにヴォーカルとして参加。現在は京都に拠点を移して活動中。

田中郁后(たなかいくこ)
フリーペーパー「音読(おとよみ)」編集長、株式会社翠灯舎 代表取締役。印刷物やWEBなどのデザインを中心に様々な方面で活動中。

岩橋真平(いわはししんぺい)
株式会社翠灯舎に勤務。音楽活動も行っており「スーパーノア」「欠伸ACBIS」などのバンドにベーシストとして参加。関西を中心に活動中。また最近ではaoki laskaのライブサポートメンバーも務めている。

薄田和彦(すすきだかずひこ)
フォトグラファー。京都産業大学外国語学部イタリア語専修卒業。一般企業を退職後、フリーランスとして活動を開始。京都を中心に、スポーツ・ブライダルの他、音楽ライブなどの撮影を行う。フリーペーパー「音読」スタッフ。
