Message コア・ネットワークへのメッセージ

Message コア・ネットワークへのメッセージ

コア・ネットワークに寄せられたメッセージをご紹介します。

山崎伸吾

セカンド・サマー・オブ・ラブと憂鬱

山崎伸吾

GTSVL/Refsign Magazine/hanare

 世界は瞬間的な歓喜と憂鬱、そしてその惰性で出来ている。

 DJがバスドラのイーブンキックにBPMを合わせて、スペシャル時間のために針をドロップしていく。地下に伸びる階段はいつも暗くて、わずかな不安とそれを飛び越える期待を持って扉を開ける。そこは暗くてうるさくて、それでいてキラキラと眩しい。
 僕がクラブ(ミュージック)の洗礼を受けたのは90年代の後半だった。テクノ、ハウス、ドラムンベース、ダブ。DJは世界中から最新と呼ばれる音楽のムーブメントをかき集め独自のスタイルを確立しプレイしていた。彼らは時代のマスターピースとして、どの都市でも熱を帯びた歓喜で迎えられていた。当時20歳前後だった僕は、ラウドスピーカーから流れる音楽を身体に受け止めて、でも受け止めきれず地団駄踏むように踊っていた。音と匂いと眩しさ、音楽に揺られて身体を動かす、そんな個人的な感覚と体験がフロアの中でいくつも起こり連帯していた。
そんな記憶が僕にはある。みなさんはどうだろうか。

 レイブカルチャーの発端になった「セカンド・サマー・オブ・ラブ」はイギリスの工業都市リバプールやマンチェスターで生まれたダンスミュージックのムーブメント。60年代ヒッピームーブメント「サマー・オブ・ラブ」の再来のように言われその名がついた。
 ロンドンではなくクラブ文化が盛んだったリバプールやマンチェスターから生まれた事、それまでの商業的な音楽とは違い、DJや参加者が自らの手でDIYに作り上げていた事、街中のクラブやディスコではなく郊外の廃屋や倉庫、野外で行われた事などが特徴的なこととしてあげられる。「セカンド・サマー・オブ・ラブ」が生んだライフスタイルは瞬く間に世界中に広がっていった。でもやがて、ドラッグ文化と深く結びついていたこと、プロモートされた商業的なレイブが増えた事などをきっかけに「クリミナル・ジャスティス・ビル」など国家による取り締まりを受ける事になる。
 僕は当時のイギリスを知らないけれど、音楽に寄って生まれる開放感と自由、そこに集まる人たちの連帯感と創造性については知っている。時代がいくつかの理由で閉塞感を帯びる時、人々は開放感と連帯感、自由と創造性を持ち合わせて寄り添い、文化を更新する必要がある。

 世界はいつも鬱々としていて、ただ流れているかのように過ぎていく。突然えも言われぬ驚きや悲しみが生まれたとしても、生きていく事に変わりはない。それでもDJは時代をあざとく切り取り、自由と連帯をフロアにつれてくる。あとは踊るだけじゃないかな。

 京都文化芸術コアネットワークに寄せて

佐野真由子

京都文化芸術コア・ネットワークの発足を寿ぐ

佐野真由子

国際日本文化研究センター准教授

 こんなにも、心躍ったことはない。……と言ったら、少し大げさになるだろうか。否、京都文化芸術コア・ネットワークの設立計画を初めて伺ったときの、私の正直な気持ちである。自ら芸術活動に携わる方々から、そのプロデュース、あるいは支援にかかわる方々、そして批評家、研究者まで、さまざまな立場で京都の文化シーンをつくっていこうという広義の関係者が、とにかく交流し、意見を交換して刺激し合い、しかし結果を求めず、いつか自分の仕事に反映させるというのでも、気が向けば互いに連携してコトを起こすというのでも、何でもいいという。
 曲がりなりにも実践と研究の双方から文化政策という領域に接してきて、どんなにお金のかかる制度づくりにも増して「最も必要だ」と思っていたのが、まさにこれであった。ある政策提言活動の中で、ちょうどこのネットワークの全国版のようなものを提案したこともある。しかし実現にはどうするか、呼びかけには一定のオーソリティーも必要だが、公的になりすぎても問題があり、なかなか難しい……、ところがこのたび、その難しいものになんと京都「市」が着手された。だから官僚的なものになってしまったなどというストーリーとはほど遠く、まことに柔軟な発想で理想的と言ってもよいスタートを切られたことに、心からの敬意を持って拍手を送りたい。
 いま、これ自体は「京都市」という限定のついたプロジェクトだが、そのなかで団結を深め、他と一線を画するというより、こうした努力が京都の外へと広がりを見せるときに、あたりまえのようにその核になっていくといったスタンスも大切だろう。このネットワークを、ともかくもそこにつながっていることに意味があると皆が思い続けられるような、上質なものに育てていく、その努力の一端に参画させていただけることは望外の喜びである。

樋口貞幸

先鋭的な表現を牽引し、後ろ盾となって支えてきたもの

樋口貞幸

インディペンデント・アート・アドミニストレーター

 今日の日本は、現代社会の課題解決のために必要となる社会的なサービスを、自らの手でつくり、提供していく社会へと変貌を遂げつつあります。その際、市民一人ひとりの自発性に基づき、様々な経験と知見を持ち寄り、熟議を重ね、年々複雑さを増していく社会的な課題の解決にむけて、市民が相互に連携しながら取り組むことが求められています。つまり、「公共」を担うのは、ほかならぬ私たち自身なのです。
 芸術文化においても、市民自らが公共文化政策の担い手となって、その意思決定のプロセスに参加し、多様で彩り豊かな市民社会の創出に向けて、役割を果たさねばなりません。くわえて、表現の自由とその多様性を保障するのもまた、私たち「民」の役割です。いうまでもなく、芸術文化とは、十人十色、百人百様のまさに多様性そのものであり、多文化化する地域にあって、既存のつながりを超えた人々の新たなつながりを創り出す存在として、私たちにさまざまな示唆を与えてくれます。 

 特に、巧みな表現者である芸術家たちがうみだす表現の先駆性や先見性、あるいは、極めて高度に洗練された表現は、ただちに理解されない場合もあるでしょう。しかし、芸術文化はもともと社会の中に存在し、私たちの生活に息づき、四季折々の暮らしぶりに彩りを添えていました。先鋭的な表現を牽引したり、後ろ盾となって支えてきたのも、民の気概であり篤志でした。日々の労働と風土が織りなす文化的な営為のなかで生まれ、民の力によって研ぎすまされ、社会に花開いてきたもの、それこそが芸術文化であったはずです。

 いつの頃から私たちは、芸術文化を生活から遠く切り離してしまったのでしょう。今こそ、表現をもういちど日常と結びなおす術を創造するときです。芸術家のみならず、今日を生きる誰しもが表現者であることに思いを馳せ、十人十色、百人百様の表現が溢れる社会の実現に向けた、民のゆるやかな連携に期待を寄せています。

安河内宏法

よく知らないから、出来ること。

安河内宏法

アート・コーディネーター

 近くにいる親しくない人とどう関わって行くかがポイントになると思う。例えば遠くにいる困っている人は、その人がどういう人であるかという以前に、ある特定の問題に悩んでいる人として、僕たちの目に映る。だから僕たちはその問題の解決策を考え、対応しようとする。あるいは、家族や友人といった日常的に接している人が困っているのなら、僕たちはその人の個性や趣向を尊重しながら、応接する。

 しかし、近くにいる親しくない人にはそうはいかない。近くにいる分だけ、その人の固有性が見えてしまう。かといって、親しくないのだから、その人の固有性を尊重することは難しい。つまり、近くにいるけれど親しくない人に対しては固有性への配慮が生まれ、その配慮によって隔たりが出来てしまう。

 僕は京都芸術文化ネットワークにおいて、こうした隔たりが出来る限り無くなればいいなと思う。ある芸術ジャンルが抱える問題は、たいていの場合そのジャンルの固有性と結びついているがゆえに、問題の当事者たち、すなわちそのジャンルの価値観やルールに馴染んでいる人たちにとっては解決策を見出しにくいことがある。その場合必要なのは、当事者性という枠組みの外部から訪れる他者であるだろう。

 ある人が抱える問題に対して、別のジャンルで活動する人が配慮を持って接するのではなく、無責任を自覚的に装いつつ、当事者には思いつくことの出来ない大胆な提案を取り交わすこと。もっと単純に言えば、「よく知らないけれど、言っちゃった/聞いちゃった」といったコミュニケーションの連関を作ること。そうした、近くにいる親しくない人同士が親しくないがゆえに作り出せる関係性を築くことこそが、多様に活動する人たちが集うこのネットワークの可能性のひとつではないかと思う。

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